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■■■ 「古事記」解釈 [2023.2.9] ■■■
[歌の意味14]皇位継承祭祀について
歌で自らを神と詠み込んだ16代天皇の代で、宮廷祭祀の行儀次第が定まった可能性が高そうと書いたが、最重要である皇位継承についてどのような考え方に行き付いていたのかも、おおよそ推定ができる。

・・・太安万侶の地文に埋め込まれた歌の編纂にはそのような心配りがなされていると見てよいだろう。
単なるコンパイラー的努力で歌集的なレベルにまで持って行ったのではないから、全体を俯瞰的に眺めながら歌の位置付けを考えて、初めて個々の歌の意義が見えてくることになる。従って、細かな分析をしすぎると本質と異なる解釈を金科玉条の如くに正当と思い込みがちになりがちなので注意が必要だと思う。

まず忘れてならないのは、中華帝国とは根本的に違う点。

儒教国では、宗族第一主義を貫くために、皇帝は嫡子長兄を東宮とし、見かけ上は万全な継承体制をとる。しかし、革命是認である以上、宗族防衛という名目で宮廷クーデターを否認することは原理的に無理である。そうは言っても、実質的継承者は皇帝存命中に決められているので、即時、継承を宣言するだけで、皇帝位を引き継げるから、空位が生じる場合は異変の兆候ということになる。

倭はここらが全く異なることが判る。天皇は皇嗣を決めることはあっても、それが実現するとは限らないからだ。「古事記」ではくどいほど、そこらの話を記載している訳である。
その理由は、皇統譜と、皇位継承儀式次第からほの見える。
崩御後に即即位で空位期間を避けるという配慮はされないどころか、臣下が認めない限り即位はできないから、長引くこともある。と云うより、皇嗣打倒(宇遲能和紀郎子)、皇嗣解消(軽王)、反対派臣下抹殺(志毘臣)という動きもあり、皇位継承は熾烈そのもの。
候補ははなから絞られて2者どちらでもよい場合でも、相互協議で決めて欲しいとなっても、そこは深謀遠慮の世界であるのは必然である。

話が長くなったが、崩御後すぐに即位できず、臣下の同意が必要なのはレガリアを皇嗣が奪取しても意味がないからだろう。臣下が行儀に則り、献納するため同意なくしては一歩も進まないということでは。(その前段として臣からの特別献食が行われるのだろう。)さらに、それは旧宮から新宮に移ることを意味しており、そこに天皇が座する式典でもあろうから、宮が神婚の地である以上、娶る相手についての薄々の合意も必要だろう。

注意を要するのは、皇位継承祭祀としては、これで完了した訳ではなく、魂の継承のための、御陵における葬儀を行う必要があろう。歌の最後が、23代天皇の父である市辺之忍歯王の御陵にまつわる話であることが、それを象徴していよう。22代天皇の葬儀に直接的に係れなかった可能性があるし、19代の御陵を破棄して、惨殺された父王に天皇追号したかったことを意味しよう。24代となる兄は、そのようなことは力関係を考えれば無理と知り尽くしていたと見てよかろう。

これで、天皇として認知されるかというと、どうもそういうことではなさそうである。神としての行為がなされている訳ではないからだ。

そのメルクマールが大嘗祭ということになろう。歌による儀式次第を定めた21代天皇が形式を整えたと言ってよさそうである。これを経て国見行幸を行うことで、倭国天皇として認められる存在になるという筋道になる。
もちろん、上記の過程に神婚が組み込まれることになる。男女間の睦事こそが、倭国の神の力の根源なのであるから。それこそが神の意志の力であり、それを表現したものが歌ということになろう。

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