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■■■ 「古事記」解釈 [2023.2.18] ■■■
[歌の意味23]歌物語からすれば倭建命は非英雄
倭建命の歌物語全体の書き方を見るに、"素晴らしき英雄"としての扱いをしているとは言い難いものがある。

明らかに、残虐行為好みの性情にハイライトを当てており、社会的に好まれる姿で描こうという気は全く無かったようだから。(現代であれば、成金のボンボンが親の威を傘に傍若無人に勝手し放題という姿に似た印象を与える書き方に近い。)
 天皇に諭すよう命を受けた小碓命は、兄を惨殺。・・・
  朝 署入廁之時 待捕搤批 而 引闕其枝 裹薦投棄

辞書では、英雄とは、<才知・武勇・胆力にすぐれ、ふつうの人にはできないような大事業を成しとげる人>とされているが、これでは知力抜群の勇者という概念でしかなかろう。
重要なのは、とてつもない冒険に挑戦するとか、危機的状況を突破したことでは。政治的には、征服王を民族の英雄として崇めることは少なくないとはいえ。
要は、そのような行為が人々の住む社会に大きなインパクトを与えるかどうか。そこから、尊崇の念が生まれ、英雄の誕生に繋がるのではなかろうか。多くの人々から賞賛されなければ英雄たりえない訳で、そんな願望に応える、勇気と身を捧げる高潔な大志が必要だろう。(小生は、悲劇で終わる点を英雄の条件とは見ていないが、日本ではそれこそが最重要と考える人も少なくない。)

・・・このように考えると、太安万侶は倭建命を、偉大な征服者として扱っているに過ぎず、多少同情的である書き方とは言え、恣意的に英雄扱いしていないと見ることもできよう。
天皇の評価も記載されており、理性を超越した恐ろしい人物と考えられているのは間違いなく、その見方が御子嫌いからくる偏見と考える根拠はなにもない。

何といっても、倭建命の一番の特徴は、少女に変装できるほど華奢で美しい男の子("男具那")にも拘わらず、残虐な仕方で殺戮行為を行う点にあろう。
これは、速須佐之男命とはかなり違う。・・・
父の意向への強烈な反撥心から、泣き叫んで地上に大異変が発生したり、高天原に上って暴虐に振舞ったが、その一方で支配者の地位に着きたい願望もあり、高天原で大暴れ。この様なアンビバレントな感情の持ち主という点では瓜二つだが、倭建命はあくまでも父の命に忠実という点では正反対だからだ。

しかしながら、天皇の眼から見れば、倭建命はコントロールできそうになく、まさに手に負えない御子にしか映らない。
そもそも、天皇から賜るのではなく、朝廷に敵対する熊曾建から頂戴した、いかにも反朝廷的な<建(≒梟帥)>という名称を大事にするのだから、当初から天皇と御子の間には感情的に深い溝があるのは間違いない。それを埋めるのは不可能だろう。

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