→INDEX ■■■ 「古事記」解釈 [2023.2.28] ■■■ [歌の意味33]「記紀」で漢字選定方法は異なる しかし、歌の文字表記は1文字1音表記であり、100%表音文字。音がわかればよいのだからどうでもよさそうに思えるが、その使い方にはルールがあるようだ。地文でも用いることからくる誤読を避けるため、漢字本来の意味を考慮にいれた用法になっているように見受けられるが、それだけではなさそうだ。 「古事記」のみで考えても用例不足なので、どうしても「萬葉集」を参考にせざるを得ないが、文字創作作品として扱っているために歌にもかかわらず地文型表記。各種表記が混在(「万葉用字格」でよくわかる。)するので一筋縄ではいかない。 勅命編纂書「古事記」 序文…正格漢文 地文…倭文(各種表記混在) 歌…音素文字(呉音)(1文字1音) 国史「日本書紀」 本文…正格漢文+変格漢文 歌…音素文字(漢音) 非公式編纂歌集「萬葉集」 題詞/注記…漢文 歌…各種"音訓"表記混在(呉音) ここで注目すべきは、「古事記」と国史は、歌については音素文字表記に徹している点。あくまでも口誦であるから、当たり前と言えばその通りだが、目で読む歌の「萬葉集」とは全く違うことを軽く考えるべきではないと思う。 "実は"、「記紀」読み必須社会なので、音素文字設定ルールを探ることの重要性は、古くから知られていること。(この目的に合ったテキスト分析環境が整わない段階での検討は徒労に終わる可能性が高い。) "記紀歌謡は漢字の使い方が著しく食い違っている"[高木市之助:"記紀歌謡の比較に就て"@「吉野の鮎−記紀万葉雑攷」岩波書店 1941年] そもそも、ほとんど同時期に成立した書が、宮廷伝承の同じ歌を、同じ様に音素文字表記しているにもかかわらず、異なる漢字を用いるのは極めて異常としか思えない。少なくとも、国史プロジェクトでは朝廷として威厳を傷つけたりしない、官僚が公的文章で使う"立派"な文字を選んでいる筈である。それなりの標準化も行われて当然。 しかし、太安万侶も中位専門の殿上人扱いの官僚であり、その考え方と相容れない訳がなかろう。にもかかわらず、双方の用字は違うのである。 どうしてそうなるのかは、かなはだわかりにくいが、「古事記」はサンスクリット的な音素の考え方を取り入れている以上、基本は仏教経典読みである呉音を基本として、誤読を避けるように配慮しているようだが、国史は編纂時の中華帝国の読みを重視しているという違いはありそうだ。王朝や天子によって、読みは左右されるので、なかなか一意的に音素文字を確定しがたいところがあるし、倭語をサンスクリット的に整理することが決まっていた訳でもなく、倭語の助詞という概念も不要だから、中華帝国的な措置での発音標準化を模倣していると、倭語歌の音素文字表記が複雑化してもおかしくない。 ・・・そんなところか。 以下、例を取り上げて、見ておこう。 国史は基本語彙でも色々な文字を用いたがる。漢字世界を縦横無尽に逍遥できる力を誇示したいのだろうか。 [_44] 加 袁 賣 ↕ ↕ ↕ 伽 塢 [_35] --- 濁音や鼻濁音は「古事記」では区別していないが、国史では意識しているようにも見える。 [__1]【速須佐之男命】作御歌大神初作須賀宮之時 [_10] 賀 碁…濁音 ↕ ↕ 餓 語…鼻濁音 [__1] [__7] --- 重要な語彙については、国史は濁音か否かに神経質で、「古事記」と発音を変えていそう。 [_31]【倭建命】伊吹山より敗走思國歌 登 婆 本 ↕ ↕ ↕ 苔 摩 倍 [_21] --- 「古事記」は濁清の区別を導入してはいるものの、こだわる必要は無いとの姿勢。もともとは濁音を意識して使っていなかったとの見方か。 [_78] 藝 ↕ 𡺸 [_64] --- 国史の用字方針の理解は困難を極める。 [_79] [_86] 許 存 ↕ ↕ 去 [_69] [_70] (C) 2023 RandDManagement.com →HOME |