→INDEX ■■■ 「古事記」解釈 [2023.3.7] ■■■ [歌の意味40]皇位争奪がらみの歌は注意喚起か 国史は編年体で事績が並べられるので、皇后との婚姻から先は淡々と記載が進む。 「古事記」と違って、皇位継承争奪の話は不要ということで、2首も登場の出番が無い。(「古事記」はこの歌を収録することで、崩御後の空位期間は皇后が実質的に代理としての天皇の地位に居ることを示しているともいえよう。) 《中巻初代天皇段》 <崩御後 皇后が皇子の危機を救う>…2首 [21伊須氣余理比賣]狭井川よ雲立ち渡り畝傍山木の葉騒ぎぬ風吹かむとす [22伊須氣余理比賣]畝傍山昼は雲と居夕去れば風吹かむとぞ木の葉騒げる 国史の流れを簡単に記載すればこんな具合。・・・ 庚申年正妃⇒辛酉年卽帝位⇒二年定功行賞⇒四年用祭皇祖天神⇒卅有一年皇輿巡幸⇒ ここで国見、內木錦之眞迮国 or 蜻蛉之臀呫の如きと。 どうしてそう呼ぶのか想像がつかないが、秋津洲名称譚とされ、さらに、唐突にも、ここまでで語られていない名称も挿入される。不思議なことに歌は1首も無し。 【伊弉諾尊の言葉】浦安国 細戈千足国 【大己貴大神の言葉】玉牆內国 国土創成→出雲王朝→天皇草創天基という王権推移正統性の確認のようなものか。 そして、神代下の巻尾までは、すんなりと次代に継承されたような記載になっている。 ⇒卌有二年神渟名川耳尊皇太子⇒七十有六年崩于橿原宮⇒明年葬畝傍山東北陵 ところが、続く巻では、崩御年の喪中に、兄 手硏耳命が弟達を暗殺する計画を立てたと。経緯は記載無いが、それを知って、両皇子が協力して逆に暗殺。神八井耳命は殺戮で動けず、末子に皇嗣を譲ったとされている。・・・もともと、太子を立てており、慣習からすれば末子継承と思われる。即位翌年に五十鈴依媛爲を立后としているし。(彦波瀲武鸕鷀草葺不合尊は、父彦彦火火出見尊の后 母 豊玉姫の妹 玉依姫を妃とし4男を生み末子継承。) (C) 2023 RandDManagement.com →HOME |