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■■■ 「古事記」解釈 [2023.3.10] ■■■
[歌の意味43]政治状況記載より叙事表現に注力
国史に収載されなかった歌についての続き。…📖非収載の国史挿入歌一瞥 表示歌

   《下巻16代天皇段》…23首(#53〜75)
⑯天皇<皇后の嫉妬におびえて帰郷した妃を追いかけた>…5首
[53]沖辺には小舟連ららく黒鞘のまさつこ我妹国へ下らす
[54]押し照るや難波の前由出で発ちて吾が国見れば阿波島淤能碁呂島蒲葵の島も見ゆ先つ島見ゆ
[55]山県に蒔ける青菜も吉備人と共にし摘めば楽しくもあるか
[56]倭辺に西風吹き上げて雲離れ退き坐りとも吾忘れめや
[57]倭辺に行くは誰が夫隠り処の下由這へつつ行くは誰が夫
国史プロジェクトが収録していないのは無理もない。個々には"一応、それなりに解釈して見るものの”、5首を眺めると1首として合点がいく歌が無いからだ。一体、何のために大后によって追放されたK日賣を追って吉備を訪問する必要があるのか、何の説明もないからだ。
聖帝として位置付けている官僚層から見れば、収載候補にさえならない歌となろう。神婚により、巨大な造山古墳がある吉備を従えるという想定しかありえそうにないが、それにしては内容が不釣り合いすぎるし。ママ読めば、天皇がK日賣に会い青菜摘みをして帰るだけで、えらく奇妙な動きをしたことになる。一体、吉備で何があったのかと疑念だけが残ることになる。

ただ国史では、応神22年に、天皇が妃である吉備臣祖 御友別之妹 兄媛と共に大隈宮の高台から国見をした事績が記載されている。そこで、西方を眺めた兄媛は<冀暫還之得省親歟>と云うことで大津發の船で帰郷。天皇は高台からその船を望んで歌う。
[40⑮応神御製]淡路島 いや二竝び 小豆島 いや二竝び 宜しき島々 誰か た去れ放ちし 吉備なる妹を 相見つるもの
<阿波島淤能碁呂島蒲葵の島>とは違い、淡路島-小豆島が吉備に対面しているような雰囲気あり。どうして、兄媛との対偶関係がなりたたないのかという主旨だが、観念的な言い回しにすぎず、どのようにしたいのかが見えてこない。
その後、応神天皇は行幸し、宮には兄媛の兄 御友別が参内とある。そして柵封。その事績記載のツマ以上ではなさそう。
 淡路島(狩猟)⇒吉備⇒小豆島(遊)⇒葉田/簸娜の葦守宮@吉備

ともあれ、時代的に⑮〜⑯天皇の頃に吉備隆盛があったが、瀬戸内勢力は急速に弱体化していったのかも。

<皇后不在中の宮での浮気が発覚>…5首
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▼大后山代川俎上1/2
[58]つぎねふや山代川を川上り吾が上れば川の辺に生ひ立てる烏草樹を烏草樹の木其が下に生ひ立てる葉広斎つ真椿其が花の照り坐し其が葉の広り坐すは天皇ろかも
[53]つぎねふ山背河を河泝り我が泝れば河隈に立ち榮ゆる百足らず八十葉の樹は大君ろかも
▼大后山代川俎上2/2
[59]つぎねふや山代川を宮上り吾が上れば青丹吉那良を過ぎ小楯倭を過ぎ吾が見が欲し土は葛城高宮吾家の辺り
[54]つぎねふ山背河を宮のぼり我が泝ればあおによし那羅を過ぎをだて倭を過ぎ我が見が欲し國は葛城高宮我家のあたり
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▼臣下の派遣1/3
[60]山代にい及け鳥山い及けい及け吾が愛し妻にい及き遇はむかも
[52]山背にい及け鳥山い及け及け吾が思ふ嬬にい及き會はむかも
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 ▼臣下の派遣2/3
[61]三諸のその高城なる大猪子が原大猪子が腹にある肝向かふ心をだにか相思はず有らむ
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▼臣下の派遣3/3
[62]つぎねふ山代女の木鍬持ち打ちし大根根白白腕枕かずけばこそ知らずとも云はめ
[58]つぎねふ山背女の小鍬持ち打ちし大根根白の白臂纏かず來ばこそ知らずとも云はめ
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上記のうち4首はすべて地名の山代/山背が組み込まれており、大后と天皇の対応歌の様相を呈している。"三諸の・・・"だけがえらく異質。
読まれたている地も不詳であるし、国史プロジェクトとしては、捨象するしかなかろう。しかし、恋が破れる寸前であり、それをなんとか防ぐための歌という観点では、この歌が必要ということか。

⑯天皇<激怒し家出した皇后に平謝する一方・・・>…2首

⑯天皇<・・・愛人とも睦み合う>ことができなくなった…2首
[65]八田の一本菅は子持たず大君し宜しと聞こさば独り居りとも
[66]八田の一本菅は独り居りとも大君し宜しと聞こさば独り居りとも
ボゥーと見てしまうと、この2首は余計な記述に見えてしまう。さんざ皇后の"嫉妬"が描かれており、宮での睦会いを止めざるを得ない状況に追い込まれたことを確認するだけの歌に映るからだ。
国史ではこの歌は無視だが、当然だろう。38年に八田皇女立后だから、意味なしなので。(22年には妃にさせなかった大后が35年に薨@筒城宮したことで。)
恋の叙事として描こうと考える「古事記」はそうはいかない。この2首だけが"相聞"形式になっているからだ。太安万侶と稗田阿礼の拘りか。

<天皇拒否の【女鳥王】が、【速總別王】と一緒に反逆>…5首
[67]女鳥の吾が大王の織ろす機誰が料ろかも
ここの伝承は「古事記」タイプに人気ありとみる。国史は体面もあり、天皇が女鳥王宅に出向いて、機織りに気付いたという話を選ぶしかない。騙されて、来てみたところ、なんと求婚に出した遣いと恋仲になっているとは、というところ。
従って、以下の機織りの女人の歌で気付いたというシナリオになる。

「古事記」はあくまでも宮廷歌収録。私的には神聖な活動だろうが、外部の労働歌が入ってくることは無い。従って、女鳥王の歌しかありえない。当然ながら天皇の質問に対する答であるから、上記の質問歌が詠まれていることになる。天皇の面目丸つぶれの態であり、国史プロジェクトが容認できる流れではなかろう。
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[68]高往くや隼別の御衣裾が料
[59]ひさかたの天金機雌鳥が織る金機隼別の御襲裾料
[69]雲雀は天に駆ける高往くや隼別雀獲らさね
[60]隼は天に上り飛び翔り齋槻が上の鷦鷯捕らさね
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ただ、国史プロジェクトが設定している、⑯天皇のイメージは聖帝なので、面子より兄弟間の義というトーンで話が進むことになる。反逆の狼煙は、それに反する隼別皇子があげる。と云っても、本人の歌としては、鳥名では違和感があり、隼別皇子の舎人が詠んだとなろう。
一方、「古事記」ではあくまでも男女の恋愛ありき。女鳥王は、大后の枠内でこそこそ手を出すような動きなど恋愛に当たらずと見なしたからこそ求婚拒絶を表明したのであり、隼別皇子との仲を完璧に仕上げるには皇位簒奪しかあり得ないと考えるのは自然なこと。従って、ほぼ同一歌であっても、歌人は異なることになる。
すでに強固な王権を樹立している天皇に対して、無謀な反逆ではあるが、それこそが恋愛がもたらすものというのが「古事記」のトーンであるから、以下の、〆となる2首、いわば皇子の辞世歌は重要である。と云っても、現代感覚からすれば独自性を見てしまうことになるが、歌物語の前駆であり。クリシェ的な句を当て嵌めるだけの歌で十分というか、だからこそ聴衆に琴線に触れるのである。人気のほどは、2首連続していることが示している。
[70]梯立の倉椅山を険しみと磐懸きかねて吾が手取らすも
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▼以下2首は同一と見なされている訳ではありません。
[71]梯立の倉椅山は険しけど妹と登れば険しくも非
[61]梯立の嶮しき山も我妹子と二人越ゆれば安席かも
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<本邦で雁孵化との吉兆>…3首
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[72]たまきはる内の朝臣汝こそは世の長人そらみつ倭の国に雁卵?と聞くや
[62]たまきはる内の朝臣汝こそは世の遠人汝こそは國の長人明つ鳥倭の國に雁子?と汝は聞かすや
[73]高光る日の御子諾こそ問ひ給へ真こそに問ひ給へ吾こそは世の長人そらみつ倭の国に雁卵生と未だ聞かず
[63]やすみしし我が大君はうべなうべな我を問はすな明つ鳥倭の國に雁子?と我は聞かず
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[74建内宿禰 祝歌片歌]汝が御子や遂に知らむと雁は卵産むらし
臣下に琴が下賜され、寿ぎの歌を詠むのは当然の行儀。
国史では、異変の報を受けて派遣された使者が確認したとのことで、それ以上のことではなく、臣下とのやり取りであるこの歌は不要。
しかし、「古事記」ではあり得ない扱い。国史の"2"首では歌にならないからだ。独立歌が散文に埋め込まれているのではなく歌と地文が一体化しているからで、第2と第3の間に文章があるからといって、ここは連続しており、第3を取り去ると、コーダが無く尻切れトンボになってしまう。国史にとってはどうでもよいことだが。
  七句…(5-5)-(4-6)-(4-7)-8
  十二句…(5-4)-(5-5)-(4-5)-(5-6)-(4-7)-(5-6)
  【祝歌片歌】三句…(5-7)-7


<超大木製の船を造り、その廃船材で琴を作成>…1首

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