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■■■ 「古事記」解釈 [2023.3.11] ■■■
[歌の意味44]クーデターなど日常茶飯事に近い、と
国史に収載されなかった歌についての続き。…📖非収載の国史挿入歌一瞥 表示歌

   《下巻17代天皇》…3首(#76〜78)
<弟の、暗殺を狙った焼き討ちを喰らったが辛くも逃走>…3首
[76]丹比野に寝むと知りせば立薦も持ちて来ましもの寝むと知りせば
[77]埴生坂吾が立ち見れば陽炎の燃ゆる家群妻が家の辺り
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[78]大坂に遇ふや乙女を路問へば直には乗らず当麻路を乗る
[64]大坂に遇ふや嬢子を道問へば直には告らず當摩徑を告る
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同腹弟の皇位簒奪クーデターであわや焼死というところを、臣下の機転で辛くものがれたが、深酒で寝込み状況わからずの天皇が、目覚めて、呑気にも歌詠み。現代感覚だと非常識なおとぼけになってしまうが、そんな時でも、歌詠みというのが倭国に於ける古代人のたしなみなのだろう。
国見歌の地域寿ぎもどきに、妻の家辺りがボーボーと燃えているにもかかわらず、秋の夜だが春の天気のよい穏やかな日に地面から立ち昇る"かげろふ"のようだネ、と詠むのは常人にはとてもできることではない。
国史は律令国家体制構築の一環でもあり、クーデターなど即時握り潰してしまえ調が求められるから、この手の歌などとても収録する気にはなるまい。

それ以上に、両書の違いが出ているのが、道の選択。国史プロジェクトは当然ながら"真面目に"最短コースで危険な地からいち早く逃れるのが当たり前の決断となろう。儒教的合理主義の意思決定だが、それを後押ししたのが、少女の敵兵のいる道は避けよとのご神託的な一言という位置付け。
一方、呑気な「古事記」流のお話は、天皇が少女の言葉に従ったのかさえ定かではないが、楽だが遠回り道を選択することになろう。なるようにしかならぬのだから、なにがあろうと大丈夫ということで。要するに、少女の言葉とは<急がば廻れ>という知られた言葉でしかなく、天皇は必死の逃亡という訳でなく、なるようになるさモードのお気楽さ。
この話を聴く方は喝采かも。・・・"クーデターなど日常茶飯事に近い。"と達観している天皇がそこに居るのだから。神代の時代から、とてつもないことが発生しても頭を抱えてアタフタせず、大宴会まで開催して困難を乗り切るのが倭国の風土であることを、太安万侶は見抜いていたともいえよう。
当然ながら、この叙事だけで十分過ぎる位の描写であり、この天皇段には他の事績記載は一切不要。

と云うことで、口誦叙事と編年事績と、どちらのストーリーが優っているだろう?と考えたり、「記紀」のどちらが史実に近いのか、あるいはでっちあげ天皇かも、と悩むのはおよそ馬鹿げている。

言うまでもないが、両者ともに十分な潤色がある記述と見てよいだろう。しかし、それは太安万侶が意図して行っているとか、国史編纂チームが威信発揮のために試みているという性格のものではない。すでに、伝承譚自体がそうなっていると考えるべき。
間違えてはいけないのは、だからといって伝承譚が史実から遠い訳ではなく、それこそが史実そのものとして読む必要があろう。忘れがたき事件であればあるほど、話は潤色されて様々なバージョンが生まれるもの。統一されて見える場合は、王権が儒教国化に踏み切り正統譚への変更を強制しただけのこと。"口誦"伝承譚に於ける潤色とは、史実から離れて行くのではなく、記憶をコミュニティに残すための工夫であるから、それはより核心に迫っている記述とも言える。
ただ、後世の人にとって、その読み解きは簡単ではない。

<超大木製の船を造り、その廃船材で琴を作成>…1首

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