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■■■ 「古事記」解釈 [2023.3.14] ■■■
[歌の意味47]袁祁命の扱いは特殊
国史に収載されなかった歌についての続き。…📖非収載の国史挿入歌一瞥 表示歌

   《下巻23代天皇関連》…9首(#105〜113)
この天皇に関する歌は「古事記」のみの収載歌ありとすべきか、悩ましいところがある。

まず、冒頭の歌だが、一般には歌とされていない。"歌曰"の箇所ではないし、音素文字表記化されておらず、両書の詞も句の構造全く異なるから、このリストに入れるようなものではない。しかし、これを欠くと、無内容な段になってしまうのでどうしても書いておきたかった。
このセンスで9首を眺めると、全部重複歌とせざるを得なくなる。
しかし、普通に字面を負えば、正式歌8首のうち5首は重複していないとなる。ところが、これは両書共にほとんど同内容の6首の組歌。重複歌1首だけが完全に同一であるに過ぎない。従って、「古事記」独自の歌は無いとも言える。

・・・些細なことに拘っているといえば、その通りだが、「古事記」の特徴がよく見える箇所でもあるので、お座なりに眺めない方がよいと思う。
<播磨の隠遁地で身分を明かした>…1首
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[105]物部の 我が夫子の 取り佩ける 大刀の手上に 丹畫き著け 其の緒は 赤幡を載り 立つる赤幡見れ者 山の三尾之 竹矣 訶岐刈り 末押し縻かすなす 八絃琴調ふるごと 天下所治賜 伊邪本和気天皇之御子 市辺之押歯王之 奴末
[83]御製稻莚 河副柳 水行けば 靡き起き立ち 其の根は失せず
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両書の歌は全く違う。
しかし、皇統上、皇位継承権を有する者であるという主旨で詠んでおり、「古事記」は歌扱いしないが、国史では皇統存続を決定付けた結節点での歌ということになる。
両書とも実に的確に歌を収録していることに驚かされる。それに気付かないと、次の6首組歌の両書での掲載段が違う理由は多分わからない。

「古事記」所収(歌)は、太安万侶視点では、実は皇位継承権の観点ではほとんど意味が無い。単に父親が皇子であり、素晴らしいと独りよがりで褒めたたえているに過ぎない。系譜を見れば一目瞭然。・・・
⑰伊邪本和氣命/履中天皇@伊波禮若櫻宮
└┬─△黒比売命(葛城之曽都毘古の子 葦田宿祢の娘)
├○市辺之忍歯王
├─□御馬王
└──△青海郎女/飯豊郎女@葛城忍海之高木角刺宮
┼┼└┬─△n.a.
┼┼┼├──㉔意祁命(袁祁命の兄)/仁賢天皇@石上廣高宮
┼┼┼┼┼└─┬─△春日大郎女(㉑大長谷若健天皇の皇女)
┼┼┼┼┼┼┼├㉕小長谷若雀命/武烈天皇@長谷之列木宮
┼┼┼└㉓袁祁王之石巣別命/顕宗天皇@近飛鳥宮
┼┼┼┼└─┬△難波王
┼┼┼┼┼┼≪無≫
皇統譜確定のための諸でもあるのに、天皇の母親名不記載とは異常以外のなにものでもなかろう。そのような記載がまかり通るのは、母は皇女ではないことを意味しており、本来的には皇嗣候補にならないことを示したと見るべきだろう。従って、即位可能な根拠は、父親はほとんど天皇と同等であり、その御子は皇子とみなすべきとの自説だけ。飯豊郎女が後ろ盾になって、葛城勢力への全面的依拠で力を得ているものの。
言うまでもないが、国史は㉒⇒㉓がスムースに進んだというシナリオを選択。つまり「古事記」とは違い、皇子がいない先代が皇位継承を予め決定したとのストーリー。
このため、「古事記」では、即位前の天皇に臣下が歌垣で無礼な振舞いをすることになる。国史の流れでは、そのようなことはまずあり得ず、次の世代のことと判定することになる。

・・・何度も書いて来たが、「古事記」は女系観念が浸透していることを繰り返し示唆している。一方、国史はそこから脱し、中華帝国の儒教の宗族観念的な完全男系系譜化を目指している筈で、ここらは一致する訳が無い。(「古事記」がこのような対立的な形で表明できたのは、仏教志向の女帝による編纂命を頂戴できたからだろう。ただ、漢文の序文は、朝廷の政治的動きに沿った内容にする必要があり、本文とは齟齬が生ずるものの、限定読者の諸であるからどうということもない。)

<即位前㉓天皇の歌垣で家臣と大喧嘩>…6首
[106志毘臣]大宮の遠つ端手隅傾けり
[107即位前天皇]大匠拙みこそ隅傾けれ
[108志毘臣]大王の心を宥み臣の子の八重の柴垣入り立たず有り
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[109即位前天皇]潮瀬の波折りを見れば遊び来る鮪が端手に妻立てり見ゆ
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[110志毘臣]大王の御子の柴垣八結締まり閉り廻し切れむ柴垣焼けむ柴垣
[111即位前天皇]大魚吉鮪突く海士よしが有れば心恋しけむ鮪突く志毘
▼「日本書紀」巻十六武烈天皇
国内居人咸皆震怖の天皇とある。(但し、その一方で、日晏坐朝と成務に精を出し、法令分明で刑理に強く明確に裁定を下し、情も心得ていたとあり、表面的には矛盾が甚だしい印象を与えるので、即位後人格が一変したか、二重人格者とも読めないではない。)
「古事記」では事績スルーの期間に入っているので、太安万侶の見方がわからないので残念だが、しいて記述の必要性無しと判断しているとも言える。インテリからすれば、残虐ではあるが、過激な思想に染まってしまった天皇と見るだけで、特異ではあるが人格破綻とは考えないと思う。中央集権国家への流れが奔流化してしまった以上、そのような天皇が生まれることもあるということ。(厳罰を旨とする法家思想の国家を樹立した始皇帝に倣ったのだろう。儒家が法律化を支援したから成立したのだろうが、個人の精神領域まで管理すべしとの儒教の国家秩序観とは先鋭的に対立する。)

顕宗天皇兄の仁賢天皇は11年に崩御。太子が物部麁鹿火大連の娘 影媛を聘ようと媒人を派遣。実力者平群真鳥大臣の息子 茲寐に犯されていたとされるが、海柘榴市で太子と会う約束が成立。その歌場宇多我岐で影媛が太子の袖をとったところに。鮪臣が登場して邪魔をする。そこで歌。・・・
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[87太子]潮瀬の波折を見れば遊び來る鮪が鰭手に嬬立てり見ゆ
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[88鮪臣]臣の子の 八重や 唐垣 許せとや 御子
[89太子]大太刀を 垂れ佩き立ちて 抜かずとも 末は足しても 遇はむとぞ思ふ
[90鮪臣]大君の 八重の組垣 懸かめども 汝を有あましじみ 懸かぬ組垣
[91太子]臣の子の 八符の柴垣 下動み 地震が寄り來ば 破れむ柴垣
[92太子(影媛に贈る)]琴頭に 來居る影媛 玉ならば 我が欲る玉の 鰒眞珠
[93鮪臣(影媛代理)]大君の 御帶の 倭文織 結び垂れ 誰やし人も 相思はなくに
この後、太子は鮪を殺害。さらにその父親の平群真鳥の宅を焼いて殺害を重ね、年末には即位。

「古事記」の秀逸なのは、㉑天皇の、ロリコン的とも思える恋愛への傾倒にハイライトを当てた後なので、高齢女性好みで皇子つくりに関心の薄そうな㉓天皇の話が際立つこと。
「古事記」に於ける置目譚とは、父の遺骨を見つけてくれたことで、巫女扱いしたとことになるが、祭祀の場ではなく、常時御側に召すのだから神婚と同等の所業。しかも、老女であり、一般の観念とかけ離れているのは間違いない。兄と違って父性へのコンプレックスで生活が廻っていそうで(統治事績無記載)、独特なキャラクターを呈している。
国史プロジェクトはそのような天皇像を嫌っているようで、宗族が受けた辱めは末代迄贖う義務があるという儒教の鉄則取り入れに前向きなのかも知れない。そうなると、同じ詞の歌でも、両書で解釈が異なっているのかも。
<殺された父の遺骨埋葬地を覚えていた老婆に感謝>…2首
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[112]浅茅原小谷を過ぎて百伝ふ鐸ゆらくも置目来らしも
[_85]浅茅原小曾根を過ぎ百傳ふ鐸揺ぐもよ置目來らしも
[113]置目もや淡海の置目明日よりは御山隠りて見えずかもあらむ
[_86]置目もや淡海の置目明日よりは深山隱りて見えずかもあらむ
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