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■■■ 「古事記」解釈 [2023.3.17] ■■■
[歌の意味50]歌体ルールが想像できる
|♩♩♩𝄽|♩♩♩♩|♩♩♩♩|・・・・・_・・・・・・・・・・・・・・この項は、恣意的な分析による勝手な見方を展開したくて書いている訳ではないので、予めおことわりしておく。歌の概念を設定せずに単純分析しても無意味であることを歌体の見方を例にとって主張しているだけ。
歌体の検討は素人には無理を伴う。
と云うのは、1音1音素文字で記載されているから、音の数ははっきりしているが、学者によって句分けが違うからである。翻訳自体が違うことが少なくないから、当然発生することだが、問題はそれぞれの原理原則がどうなっているのかさっぱり読めない点にある。(アクセントについては想像さえできない。)ここは結構重要なことで、和歌は5句31音と数が決まっているので、それに合わせて句を区切るだけのことで、当てはまらない歌は字余り字足らずとして、語彙の意味が通じるように分ければよいだけ。
しかし、総音数と語彙がわかっていても、無文字社会の口誦歌にこのルールを適用することはできない。定型なのかわかっていないからである。それに、そもそも音素という概念が存在していなかったと考えるべきだろう。(例えば、アルファベットは音素表記文字として生まれているが、26音で済む訳がなく、それでは表記できない二重や三重音や長音も存在している。1文字1音の定義自体が事実上破綻しており、別途標音文字を必要とするが、それが使えるのは特別に訓練されたエキスパートだけ。文字"音"そのものでも漢・呉・唐といった3種あるし、もともと表記音と発音の関係は1対1対応にならない訳で。[本居宣長 :「字音假字用格」文錦堂 1893年])

要するに、以下のような流れと考えるしかあるまいということ。
【俳句】5-7-5
  ↑
【和歌】(5-7-5)-(7-7)
  ↑
【標準的文字表記倭歌】(5-7)-(5-7)-7
   …1句5/7文字
  ↑
【標準規格口誦倭歌】(短-長)-(短-長)-長
  ↑
【原初口誦倭歌】
  (短-長)フレーズ複数-(長)コーダ
   …1句4拍子(休符有無)

すでに書いたように、「記紀」歌はほとんど同じだが、目的が違うので実際は全く異なる。それを表記で見るなら、ポイントは2つある。

1つは、歌の呼名。
「古事記」はところどころに宮廷歌と思しき名称の注記がついている。間違えてならないのは、当該譚でこの歌が詠まれているというだけで、それが発祥という訳ではなく、知られている歌がそのシーンで詠まれたという話を記載しているだけのこと。そのような歌は宮廷歌として使われているということだが、これも同一とは限らない。宮廷楽師が曲に合わせて音を変えることは当たり前だからだ。もちろん、曲が付かず唄うだけの場合もあり、その様な歌の名称は<読み歌>とされているとはっきり書いてある。ともあれ、「古事記」の対象譚の歌とは宮廷歌謡である。
一方、国史は事績編年集。そこに宮廷歌を最適な位置に埋め込む編集をしているだけ。「古事記」とは違って叙事歌謡を追求している訳ではなく、単に、儒教的な汎国家歌謡の重要性を踏まえての機械的な作業だったと見てよさそう。
従って、国史では、わざわざ呼名を注記する必要性は無い。名称注記歌(來目 思邦 挙 夷)は特別視したいのだろう。重複歌に小異があるのは当然で、宮廷歌担当違いによるバージョン違いと見るのが自然。

2つ目は、中心は「記紀」歌はどう見てもどちらも5句体中心だが、それに当てはまらない歌を見ると、「古事記」には3句体が多いことに気付かされる。
そして、その辺りを眺めていると、「古事記」の歌体ルールが想像できる。

「古事記」譚は、散文と歌が一体化している、あくまでも一塊の叙事を描いており、歌と歌の間に文章がはいったり、1首の歌であっても、独立している歌ではないから、偶数の句数歌はコーダを欠くから、必ず最後は3句体を持ってくる筈ということ。2首になってはいあるが、連続歌ということになる。
5句の標準体でも、後歌が連続している場合は、両歌の頭としての2句を置いて、前半3句と後歌との体裁と見た方が落ち着きがよい。
と云うのは、どう見ても3句は短すぎて、独立表現には無理過ぎるからで、あくまでもコーダ体。
ただ、3句体の連続があるが、これは2者による掛け合いであり、見えないだけで、なんらかの2句を両者が想起していると考えることになる。

このととは、5句の基本構造がすでに完成していたことを意味する。
頭の2句は話題の提示部。
現代の散文で、<〜が or 〜は>は助詞からうると、主語とされかねないが、題詞のようなものであることが多い。この日本語の特徴と全く同じ。話し手と聞き手にとってこの部分が自明と考えられるなら省力の方がセンスが良いとされるが、その言語文化と全く同じ。
提示なので、<〜が or 〜は>的な1句で十分なことが多いが、それでは歌にならないのでなんらかの修飾の1句が必要であるが、心地よい言葉はクリシェであるから、<枕詞>が定着することになる。従って、長歌はどこにでも登場んしておかしくないが、5句歌の場合は冒頭2句の前句で用いるべきものだろう。
冒頭2句に続く2句が主題で、末尾の1句で〆るスタイル。現代語でも、文章の意味は最後で決まるので、この長句で全体を味わうことになっていると思われる。ここをわざわざ短句にするとしたら、特殊な歌であることを示すための意図的な用法と見るしかない。
<即位後の皇后探し>…5首
[16]㊄(4-6)-(4-5)-7大和の高佐士野を七行く乙女ども誰をし枕かむ
  or
 (4-6)大和の高佐士野を
┌───────────────────────
 (4-5)-7七行く乙女ども誰をし枕かむ
 ・・・
[17](5-7)-6且々もいや前立てる姉をし枕かむ
└───────────────────────
---
┌───────────────────────
 ・・・
[18](4-7)-7胡鷰子鶺鴒千鳥ま鵐何故黥ける利目
 ・・・
[19](4-7)-7乙女に直に逢はむと吾が黥ける利目
└───────────────────────
---
[20](5-7)-(5-7)-7葦原の穢しき小屋に
        菅畳いやさや敷きて吾が二人寝し


<妻の身を捧げる愛>…3首
[25](4-7)-(5-7)-7さねさし相武の小沼に燃ゆるこの火中に立ちて問ひし君はも
---
┌───────────────────────
 ・・・
[26](4-7)-7新治筑波を過ぎて幾夜か寝つる
 ・・・
[27](5-7)-7日々並べて夜には九夜日には十日を
└───────────────────────
<辞世的に、最後の気力で心持発露>…5首
[30]⑪(4-7)-7-[5]-3-([5]-7)-7-7-[5]-3尾張に直に向かへる尾津の岬なる一つ松吾兄を一つ松人に在りせば太刀佩けましを衣着せましを一つ松吾兄を
   or
 ・・・
 (4-7)-7尾張に直に向かへる尾津の岬なる
 ㊁[掛声5-3]一つ松吾兄を
 ㊄(5-7)-(7-7)-7一つ松人に在りせば太刀佩けましを衣着せましを
 ㊁[掛声5-3]一つ松吾兄を
---
[31]㊆(4-7)-(5-[4-6])-[4-4]倭は国のまほろばたたなづく青垣山籠れる倭し麗し
   or
 ㊄(4-7)-(5-10)-8
[32](4-7)-(5-7)-(7-8)命の全けむ人は畳薦平群の山の熊樫皮を髻華に挿せその子
[33](5-7)-7はしけやし我家の方よ雲居騰ち来も
---
[34]㊄(4-5)-(5-6)-6少女の床の辺に我が置きし剣の太刀その太刀はや

<葬儀で遺族は深い悲しみに陥る>…4首[大御葬儀歌]
[35]㊄(4-7)-(5-7)-5水漬きの田の稲柄に稲柄に匍匐廻ろふ野老葛
   ↑ (6-5)-(5-7)-5

  or
 (4-7)水漬きの田の稲柄に
 (5-7)-5稲柄に匍匐廻ろふ野老葛
[36](6-5)-(6-6)浅小竹原腰難む虚空は行かず足よ行くな
[37](6-5)-(6-4)-(4-4)海処行けば腰難む大河原の植ゑ草海処は猶予ふ
   or (6-5)-(6-4)-8

[38](6-7)-5浜つ千鳥浜由は行かず磯伝ふ

<天皇拒否の【女鳥王】が、【速總別王】と一緒に反逆>…5首
[67](4-7)-(5-7)女鳥の吾が大王の織ろす機誰が料ろかも
[68](5-7)-6高往くや隼別の御衣裾が料
---
[69]㊄(4-6)-(5-6)-7雲雀は天に駆ける高往くや隼別雀獲らさね
[70]㊄(5-7)-(5-7)-7梯立の倉椅山を険しみと磐懸きかねて吾が手取らすも
[71]㊄(5-7)-(5-7)-8梯立の倉椅山は険しけど妹と登れば険しくも非

<本邦で雁孵化との吉兆>…3首
[72]㊆(5-5)-(4-6)-(4-7)-8たまきはる内の朝臣汝こそは世の長人そらみつ倭の国に雁卵?と聞くや
  or
 (5-5)-(4-6)たまきはる内の朝臣汝こそは世の長人
 (4-7)-8そらみつ倭の国に雁卵?と聞くや
[73](5-4)-(5-5)-(4-5)-(5-6)-(4-7)-(5-6)高光る日の御子諾こそ問ひ給へ真こそに問ひ給へ吾こそは世の長人そらみつ倭の国に雁卵生と未だ聞かず
[74建内宿禰 祝歌片歌](5-7)-7汝が御子や遂に知らむと雁は卵産むらし

<即位前の歌垣で家臣と大喧嘩>…6首
┌───────────────────────
  ㊁・・・
[106](5-6)-7大宮の遠つ端手隅傾けり
  ㊁・・・
[107](5-6)-7大匠拙みこそ隅傾けれ
└───────────────────────
┌───────────────────────
[108](5-7)-(5-7)-7大王の心を宥み臣の子の八重の柴垣入り立たず有り
[109](4-7)-(5-7)-7潮瀬の波折りを見れば遊び来る鮪が端手に妻立てり見ゆ
└───────────────────────
┌───────────────────────
[110](5-7)-(5-7)-(7-7)大王の御子の柴垣八結締まり閉り廻し切れむ柴垣焼けむ柴垣
[111](5-7)-(5-7)-6大魚吉鮪突く海士よしが有れば心恋しけむ鮪突く志毘
└───────────────────────

※:「日本書紀」重複3句歌
  [21]愛しきよし 我家の方ゆ 雲居騰ち來も
  [25]新治 筑波を過ぎて 幾夜か寢つる
  [26]かがなべて 夜には九夜 日には十日を

「古事記」非収載:
  @巻十一仁徳天皇
  ≪宮人桑田玖賀媛を寵愛できず。播磨遠待が賜るが、媛は独身に固執。≫
  [44]水底ふ 臣の嬢子を 誰養はむ
  [45]播磨遠待みかしほ 播磨遠待 岩壊す 畏くとも 吾 養はむ
  巻十六武烈天皇以降は対象としていない。


国史は、編年事績に最適なバージョンを宮廷歌(専門担当官のトリミング済みの独立歌化版)から選んだに過ぎず、「古事記」の様に叙事としての伝承歌をママ収録する必要はないが、例外的に、物語の一部としての歌を意識した箇所がある。初代天皇の建国譚に係る箇所である。ココだけは、口誦風情を表現したかったと見える。・・・囃子詞的な句のリフレインに拘ったり、句数を偶数にして、乱れた歌体による古代感を醸し出している。
[14]㊆(5-6)-(4-7)-(5-7)-7神風の伊勢の海の大石におひしにい這ひ廻る細螺のい這い廻り撃ちてし止まむ
[8]⑫(5-6)-(6-7)-(5-5)-(3-3)-(5-7)-(7-7)神風の伊勢の海の大石にやい延ひもとほる細螺の細螺の吾子よ吾子よ細螺のい延ひもとほり撃ちてし止まむ撃ちてし止まむ

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