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2001.2.10
 
 


「未来型」研究テーマ探索の難しさ…

 大企業の若手研究所員からなる特別チームと議論する機会があった。将来シナリオを作成して、夢のような研究に挑戦しようということで、トップの指示で発足したチームだ。

 その時に話題になったのが、「奇想の20世紀」という本だ。(荒俣宏著、NHK出版、2000年10月)奇妙な絵も多いため、異端文化論といった印象を与える著作だ。このなかで、100年前の未来予測が極めて的確であるのに対して、21世紀に生きる我々は空想する能力を失いつつあるとの指摘がなされている。
 といっても、ジューヌ・ベルヌ、HGウエルズといった良く知られた人が題材ではない。風刺画家アルベール・ロビタといった、それ程知られていない人の話が多い。このロビタが、1890年に出したという「電気生活」の引用が特に面白い。現在の携帯電話のように、通信が生活のなかに入ってくる様子が描かれ、電磁波嵐で世界の通信が大混乱する話しまで登場する。しかも、試験管のなかで人間が誕生する。時代の先取りが余りに的確なので皆驚かされる。

 よく考えてみると、19世紀末は次世代がどのようになるか、皆、必至に考えていたのだ。今の我々に、そのような姿勢はない。
 当時の「万国博覧会」は未来を予告するような一大ページェントだったらしいが、最近の博覧会には、そのような気迫は感じられない。我々は、確信できる「夢」を提起できなくなったのかもしれない。

 実際、先端科学技術の研究者にヒアリングしても、その「夢」は小さなものが多い。そのため、未来志向の「夢」ある研究の種を探すのに、1900年のパリの万博に求めるという、驚くべき逆転現象が生まれる。

 一番頭が柔らかいと思われる若手研究者にとって、「未来型」研究テーマ探索は一番苦手なのだ。


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