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2004.11.12
 
 


技術者の負担感…

 先日、技術部隊を率いる経営幹部と、大型技術者をどう育成すべきか、意見交換の場をもった。

 その場の雰囲気は、まさに「う〜む」一色だった。

 問題が難しいという点もあるが、それよりは、ここまでやらなければならないのか、と思わず唸ってしまったのである。

 その場にいた全員が、スタッフから提出された技術者研修計画を見た瞬間、頭がボーとなった、と言ってもよいだろう。

 その理由は単純である。
 学ぶ内容が、余りに多岐で、膨大な分量だったからである。

 先ずは、従業員として、役職に応じた必須研修がある。

 さらに、ほぼ必須の技術系研修がある。部署毎にカスタマイズされているが、全社の枠組みに従ったものである。品質や機能をどう設計すべきか、という問題解決技法だから、必須研修に近い。さらに、品質を担保する仕組みの理解と、実践の方法論も身につけることになる。
 個別技術領域毎に純技術スキル獲得の研修も必要だから、効率よく進めるために、両者が合体している部署もある。
 これに加えて、現場毎に、安全や環境問題の取り組みのための活動のための研修が行われている。

 ここまでは、現実の業務に直接かかわるものだ。昔から行われており、新項目が次々と持ち込まれてはいるが、負担感はそれほどではなかろう。

 次が、全社の業務プロセスにかかわるものである。企画から、開発、製造に至るまでの、流れを円滑に進めるためのマネジメントスキル研修である。デザインレビュー等の実務も含まれているが、プロジェクトマネジメント能力向上のスキルが中心である。
 研究開発の流れを支える不可欠なスキルだから、これも、必須研修となる。

 これで済む訳ではない。

 問題発見・分析、アイデア創出、論理的思考、プリゼンテーション、等々、個人の基礎力を向上させる研修が組まれている。任意参加の研修もあるが、研究者ならすべてに参加せざるを得まい。

 同時に、職場でのITの活用が進んできたから、ノレッジマネジメントやコラボレーションの道具を上手く使うためのトレーニングも入ってくる。
 IT化はこれだけではない。全社のプロセス改革に伴い、管理業務が個人ベースに落ちてきたからだ。この「雑務」の仕方も習う必要がでてくる。技術業務は例外事項も多く、下手をすると、手続きに、多大な時間を取られかねないから、手抜きは命取りになる。

 さらに、研究者・エンジニアに負担となってきたのが、知財関連の研修である。企業の生命線だから、個人レベルまで、知財の意義を理解して、行動する必要があるということで、どの企業も積極的である。
 お蔭で、様々な研修が入ってくる。
 特許の明細書が上手く書けるとか、特許マップ作りができるだけでは、勝てるチャンスを見逃しかねない時代だから、当然ではあるが、今まで知らん顔していた人達には、大事である。
 グローバルに戦う企業では、さらに標準化競争に対応するための研修も必要となる。

 ここまでは、面倒とはいえ、どれも納得性は高いから、皆、なんとかこなす。

 ところが、やっかいなものが登場した。人事考課の研修である。

 年功序列廃止とは、個別に、人の評価を行うことを意味する。これが、技術者にとっては、頭痛のタネである。
 技術の業務内容は人によって全く違うし、目標値の難しさは簡単に計れない。業績主義と言った瞬間から、個々人の業績の定義がわからなくなりかねないから、大変である。下手に進めれば、皆が、簡単な目標に向かって進むことになる。
 従って、評価者も被評価者も、どのように行うか相互に納得した上で、新しい仕組みを動かすしかない。
 研修無しでは、機械的に考課などできるものではない。

 これだけではない。

 顧客の期待に応えて動けるよう、商品企画部門以外でも、マーケティングの知識が要求されてきた。
 もちろん、MOTも加わる。
 技術者の視野を広げるべき、異分野との接触を図る研修も盛り込まれ始めた。
 そして、・・・

 ここまでくると、まさに圧巻である。

 技術者にとっては、純粋の技術業務そのものが、勉強、勉強、又、勉強だが、それ以外も勉強、勉強、又、勉強なのだ。

 会合では、しばしの沈黙の後、誰でも感じていた一言が幹部の口から漏れた。

 「ここまでやって、技術者の給与が同じなのかよ。」

 そして、ため息が漏れるなかで、質問とも、決意ともわからぬ調子で、「やるしかない訳だな。」との発言が出て、ようやく実質的な議論が始まった。


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