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2005.7.5
 
 


アカデミックと呼ばれている研究員の話…

 スキル構築について、企業の中央研究所の研究員と話す機会があった。

 履歴から見る限り、秀才のようだ。研究所でも、真面目で通っており、一生懸命仕事をしている。よく勉強しているようで、担当分野の知識の豊富さでは群を抜いていた。
 但し、特段の成果をあげたことはない。

 面白い話題が多かったから、予定外の長時間面談になった。
 お陰で、最後には、進路相談まで受ける羽目になってしまった。

 と言っても、相談内容は単純である。大学に戻った方がよいかという話。

 研究所の同僚から、君はアカデミックだと言われるので、企業より大学の方が向いていそうな気がするという。ただ、大学の研究室で何をするか考えあぐねているので、決断がつかないのだという。

 実は、これに対しては答えようがなかったのである。

 この研究員が「アカデミック」という用語を誤解していたからである。

 同僚が使った「アカデミック」の意味は通常とは違うのである。大学タイプの研究をしているとか、論文にまとまりそうな仕事っぷりだと言っているのではない。

 与えられた問題を徹底的に分析して、結果を緻密に整理するだけだから、「アカデミック」と言ったのである。結論が見えてきたなら、それほど細かくやらないで、実践的なことをしたらよいのに、といった感覚で語っているだけのことなのだ。

 要するに、分析は満点以上だが、それ以外のアウトプットはゼロと見ているのだ。
 データ解析は美しい。しかし、それをどう読みとったのかさっぱりわからないし、提案にも繋がらないから、周囲は呆れているのである。

 ストレートに言えば、研究者には向いていないということだ。

 ところが、このことが本人にはわかっていない。自分は研究能力があると思い込んでいるようだ。
 こまったものである。

 よりもよって、大学がこのような人が欲しいというのだから、恐れ入る。データをきちんと集めて、細かな解析をすれば、それだけで十二分の成果がでる研究室もあるのかもしれない。

 この後、研究員のスキルと人事考課についてマネジメントと話し合った。

 話の流れから、かの研究員の話になってしまった。

 聞いてみると、この研究員に対しては、研究職に向いていないと、さりげなくアドバイスしたことはないそうだ。波風を恐れているのかと思ったらそうではない。組織の仕組みから見て、難しいという。

 と言うのは、研究員不適と見てはいるのだが、人事考課の点数は結構高いからだ。
 全社一律のフォーマットで人事考課を行うので、研究職はどうしても歪んでしまうのである。

 それに、この秀才研究者は、大学の研究室からもらってきた人材という点もある。今更、研究員に不適と伝えたりすると、企業が折角の人材を駄目にしたと言われかねない。

 結構、歯に衣着せぬ発言をされる方だが、これだけは極めて慎重なのである。

 話すうち、その真意がわかってきた。

 事情があって、データ収集型の仕事に徹している研究室から学生をリクルートしたのである。企業内で鍛えれば変わるだろうと考えていたのだが、そうはならなかったのだ。
 その責任を感じており、どのようなキャリアを考えてあげるべきか、悩んでいたのである。

 言うまでもなく、この問題は解決したが、大学の研究室での研究活動の影響力の大きさを再認識させられた。


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