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2005.12.1
 
 


モデル論議…

 「水平分業モデルの登場で、垂直統合モデルの日本企業は敗退した。
 しかし、モジュール型モデルが通用しない分野なら、擦り合わせ型で戦える日本企業は優位性を維持できる。」

 とある会合でこんな話がでた。

 これを聞いて、さる優等生企業のCTOの右腕として活躍されている方が、ぼそりとつぶやいた。
 「いつまでも、こんな話ばかりして、どうするつもりなのかネ。」

 その通りだ。

 モデル論は、知恵を生むためのウオーミングアップに過ぎない。一般論で議論したところで、自社の進むべき道が見つかる訳がなかろう。

 水平だろうが、垂直だろうが、必死になって考えれば、生き残れる道は見つかる筈だとは考えない人が多い。
 自社技術に自信があり、知恵を生み出でると考えているなら、飛躍のチャンスは見つかるものである。学者論議に加わるのではなく、いかにして、素晴らしい知恵を組織的に生み出すかを考える方が重要だと思うのだが。

 そもそも、日本企業が絶不調に陥ったのは、このようなモデル問題というより、経営原則を無視した経営がまかり通っていたことが原因と見た方がよい。勝算が無いのに、事業を続行していただけの話とも言える。
 そもそも、資本コストを大幅に下回る事業になってしまうような研究開発投資を平然と行っていたのだから、その結果はわかりきっている。

 はっきりいえば、“資本コストを下回る可能性がある研究開発テーマなど言語道断”と考えない人達が大勢いたのである。まさに、社会主義国の研究開発と言ってよいだろう。

 1980年代初頭の頃を今でも思い出すことがある。
 当時から、世界のリーダー企業の研究開発レビューでは、資本コストに達しないテーマは中止となった。ところが、その当時、上り調子だった日本の大企業は全く違った。研究開発の幹部がそんな見方は日本には合わないと胸を張って言い放ったからである。

 これこそが、無理筋を走ってしまった真の原因ではないのか。
 要するに、経済原則は無視し、勝手な技術発展モデルに金科玉条の如くこだわったのである。リアリストではなく、ドグマ体質なのだ。

 この反省なきモデル論争は、危険である。

 何故流行るかは自明である。時代の流れに合わないモデルだったから、負けたと語れば済むからだ。

 技術系幹部が何と語っていたか、忘れてしまう前に、是非思い出して欲しい。

 次世代技術に遅れると、生きていけなくなる。研究開発投資は必須と熱弁を振るっていたのではないか。一見、正論に聞こえるが、何の知恵も、洞察力も欠く、主張だった。
 早い話、先端技術を使って、とことん性能を上げよ、と技術部隊の尻を叩いたのである。経済性を考えない無茶な方針だ。そのうちコストは下がるから、かまわぬという乱暴な考え方だ。

 言うまでもなく、累積生産量と生産コストの関係のドグマを土台とした方針である。
 歩留まりを下げても、生産プロセスを簡素化し、コスト優位に立つ方針など検討の対象にもしない。技術マネジメントのイロハを無視すれば、結果は見えている。
 今、優等生と言われている企業は、ほとんどがリアリストである。常にプロセスの複雑化を避けているし、高コスト化の道を歩まないよう、常に徹底的な検証が行われている。

 MOTが流行しているから、流石に、こうしたドグマ型マネジメントから脱したと思っていたが、モデル論議を見ていると、そう見る訳にはいかないようだ。


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