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2007.6.14
 
 


麻疹大騒ぎの感想…

 麻疹(はしか)が大流行。(1)

 こんなことは予想されていたこと。ワクチン接種で免疫をつくっておかなければ、感染後ほぼ100%発症すると言われているからだ。しかも麻疹ウイルスは空気感染。感染力も強い。

 にもかかわらず、1993年に、麻疹・流行性耳下腺炎(おたふく風邪)・風疹の混合ワクチン接種を中止した。

 その結果、どうなるかは、素人でもわかるはず。
 今までも、流行の兆もあったが、不思議と大事にならなかっただけのこと。
 海外から見れば、とんでもない国に映ると思う。
 なにせ、毎年推定で10〜30万人が罹患しているのではないかというのに、(2)有効な流行防止策をとらないからである。

 ところが、マスコミはこの話には触れようとはしない。タブーなのだろう。
 実に不甲斐ない。
 ロシアでは、すでに3桁のジャーナリストが消されていると言われているが、それでも言論は死んでいない。使命感があるからだ。
 日本とは大違い。
 麻疹より大騒ぎしている年金問題でも、マスコミは無力だった。問題を暴いたのは、どう見ても、民主党の議員達。マスコミは、その後を追って、騒いでいるように見える。
 ちょっと、話が外れたか。

 もっとも、マスコミのこうした姿勢は、国民性に合わせているだけと見る人も少なくない。
 日本はとかく感情論が支配する世界だから、それに乗らなければビジネスにならないということ。

 日本では、感情論としては、3つのパターンがよく知られている。
 麻疹問題でも、これがピッタリ当てはまる。

 ご紹介しておこう。

 一つ目は、“あいつの言うことはその通りかも知れないが、悲観的でちっとも面白くないから聞きたくない”というもの。
 ともかく正しいことをやろうというのに、ケチをつけるなど許せぬというもの。現実を直視しないのである。
 この発展形は、“どうすればよいか語らない輩の話は聞くな”というもの。
 無理筋だろうが、ともかく動けという発想。
 大昔、B29大型戦闘爆撃機の攻撃に対して、地上で竹槍で戦おうと檄をとばしたという、信じがたい話があるが、未だにその伝統は生きているのかも。

 ワクチン接種を止めれば、どうなるかわかっている。しかし、悲観的なことを言うと嫌われる。そして、誰も聞こうとしない。
 できそうにないこと、やっては駄目なことは、はっきりさせるべきである。その上で何をすれば一番効果的か考える。それがビジネスマンの流儀。
 しかし、それはいたく不愉快なのだ。

 二つ目は、“あいつの言っていることは正しいが、言い方が悪いから認めない”というもの。
 よくある派閥抗争のようなものをさしている訳ではない。
 副作用があるワクチンなど許せぬ。早く止めろと言うだけ。全く聞く耳を持たないのである。
 副作用は確かにあるが、死ぬことはなさそうだという意見もあった筈である。しかし、こんな言い方をすれば、さらなる怒りをかう。その結果、後遺症が残らないなら、大流行を抑える方を重視すべきではないかという意見は消された。
 マクロで、メリットとデメリットを天秤にかけるような、ビジネス流儀は許せないのだ。そもそも、言っていたより、副作用発生が多いこと自体許せないのだ。
 一人でも副作用が発生すれば、それは大問題だから、マクロ論での議論など不愉快極まる訳だ。
 皆、おし黙るしかない。恐ろしい社会である。

 三つ目は、“あいつは我々とは違う輩だから、目指す方向が同じでも一緒にやるな”というもの。
 なかには、企業と一緒に仕事をするような金儲け主義の人達は「敵」と考える人もいる。利益が出ないビジネスで、どうやって社会を発展させるつもりなのかさっぱりわからないが。
 公務員以外は信用できないのだろう。
 現実は、年金問題をとってもわかるように、まったく逆だと思うのだが。

 ・・・こんな話をしても、面白くないから、誰も読もうとはしないか。
 もっとも、このホームページは、はなからそういった性質のものとして始めたから、どうということもないが。

 --- 参照 ---
(1) http://measles.jp/
(2) http://www.ncbi.nlm.nih.gov/sites/entrez?cmd=Retrieve&db=PubMed&list_uids=12673398&dopt=Abstract


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