↑ トップ頁へ

2009.3.23
 
 


格差是正のための酒税論を耳にした・・・

 中華料理屋さんで食事をしていたら、他のテーブルでの話が耳に入ってきた。聞くつもりがなくても、大声で話されるとどうにもならない。
 煩いので注意したかったが、常識が違う人達かも知れないので止めた。と言いたいところだが、つい、聞かされてしまった。たいした内容ではなかったのではあるが。
 なにせ、“格差拡大政策はけしからん”と言うだけの酒飲みの話だったのだ。ただ、その視点は面白かった。
 普通、この手の話題だと、貧困層拡大とか、高収入層の所得シェア拡大になると思うが、「酒税」制度が許せぬという論旨。酒税を格差拡大策に結びつける発想が実にユニークだった。

 その発想の原点は、低所得層はビールを沢山購入するが、高所得層はワインという点。
 早い話、ビールの価格を高くする現在の酒税は許せぬという結論にすぎないのだが、それを収入格差是正論に繋げるのだ。貧乏人の負担が重くなるような酒税の設定は即刻止めろという主張。
 ビール党かも。細かなデータを駆使し、なかなか聞かせる演説だった。

 まあ、恣意的に“格差”を持ち込んだ歪んだ税制であるのは間違いないが、トンデモ論である。こんな話を真面目に話す人がいる位だから、今や、格差是正論は大流行なのだろう。
 社会の歪みはますます酷くなってきたということでもあろう。

 そう考えると、酒税とは、社会の鏡かも知れぬという気になってきた。
 もともとはビールは遊興品と見られていた。従って、重い課税でもかまわないという感覚があった筈。この雰囲気を利用して、“格差”拡大許さず型の主張を展開することで、ビールの税金が重くなったというのが実情だろう。簡単に言えば、儲かる大資本の製品は重税で、低収益に苦しむ零細企業の製品には低課税ということ。
 焼酎に至っては、零細企業と低所得者のために、税は最低にせよという主張が繰り広げられてきた。それが、今や、高級酒になりつつあるし、至るところで焼酎長者が生まれているらしい。結局のところ、廉価品どは、零細企業の蒸留酒ではなく、大企業の大量生産品になってしまった。

 そんな状況が現実の世界である。
 ビールの税負担が重いのがおかしかろうが、面倒でいじれないというに過ぎない。
 そして、この不合理是正に動いたのは政治ではなく、ビールメーカーだった。規制緩和の風潮に乗ることで、不文律規制を壊したのである。流石ビジネスマン。
 よく知られるように、高い課税を逃れるため、発泡酒や第3のビール開発に注力した。なにせ、ビールは、直接の税金以外にも、原料価格に、農家収入“格差”是正策が組み込まれている。政治的に、とんでもない歪んだ市場が作られているのだから、これ以外に手はない。
 発展途上国なみの、なんの一貫性もなき、滅茶苦茶な制度しか作れないのが日本の保守政治。ビールの定義さえ、ご都合主義的に、国産と輸入で変えるのだからどうにもならない。
 資本主義経済としては最悪のパターンと言ってよいだろう。

 資本主義経済の利点とは、資本を蓄積することで革新が実現し易くなる点に意味があるが、それをできる限りさせないのが、“格差許さず”論の自称“革新”勢力。それを上手く利用するのが、日本の保守政治である。セフティネットと格差是正とは違う問題にもかかわらず、混ぜこぜにすることで、既得権益をまもろうとするのである。当然ながら、市場には大きな歪みが発生するし、経済発展は抑えられてしまう。
 おわかりだと思うが、両者は対立しているように見えるが、補完関係。

 その結果、大きな被害を受けるのはもっぱら低所得層。
 日本は、資本主義経済を採用しているのだろうか当たり前だ。格差是正策でコストが上昇すれば、商品価格に上乗せするしかない。それは売上げ減になりかねないから、コスト削減圧力がかかる。これが、雇用費用抑制に繋がらない訳がなかろう。しかも、産業構造が固定化するので、この状況を突破するのは大事。そうならなかったのは、国外市場で食べてきたから。
 この先どうなるかは自明。
 最低生活費用はますます嵩み、低所得層の働き口は狭まる一方。これがリアリズムの世界。
 情緒的な“格差許さず”論を、笑い話で済ます訳にはいかない時代が来ているということ。しかし、そんな緊張感は微塵も感じられない。


 苦笑いの目次へ>>>     トップ頁へ>>>
 
    (C) 1999-2009 RandDManagement.com