↑ トップ頁へ

2009.10.15
 
 


インターネットに壊滅させられるモノ・・・

英国との比較で、日本でのインターネットの影響を語ってみたくなった。
 後でじっくり読もうと、マークしておいたコラム記事に気付いた。執筆者は、英国TelegraphのジャーナリストMatthew Moore氏。(1)いかにも英国らしい、冗談だらけのお話だが、結構本質をついているから面白い。
 Telegraphは滅多に見ないウエブだから、どこかで引用されていたのだと思うが、そのソースは忘却のかなた。失敬させて頂き、このコラムをタネにして書いてみたい。
  → Matthew Moore: “50 things that are being killed by the internet” Telegraph [04 Sep 2009]

 タイトルを見ればわかるように、インターネットで消滅の憂き目にあっている50件を羅列しただけ。特段の目新しさがある訳ではない。従って、これを、そのままご紹介したところでつまらぬ。内容に多少手を加え、勝手に分類し、コメントをつけることで日本の状況を考えてみることにした。

礼儀知らずが珍しくはなくなった。
 確かに、礼儀のレベルは相当低下した。しかし、インターネット普及が原因というより、せちがらい世の中になったということでは。日本の場合は、メディアの質が零落したことも、大きく影響していると思われる。なにせ、事実誤認ばかりの内容だが、堂々と意見を表明した姿勢には敬意を表したいと語るジャーナリストがいる位だから。自分の好きな方向に社会を変えることができそうなら、嘘でも大歓迎という人が闊歩しているということ。ジャーナリストと言うより、政治ゴロ。
 ・・・と、罵倒型の表現が普通になってきた。これこそが、ウエブの文化か。身につまされる指摘ではある。
   ・罵倒型の激論が当たり前と化した。
    (意見の相違をそのまま受け入れるのが難しいようだ。)
   ・非常識な話題や冗談が飛び交い始めた。
    (今までは口に出せなかった言葉を平然と使うようになった。)
   ・約束時間に間に合わない時は、遅刻お知らせメールで済ますことができるようになった。
    (時間厳守の真面目さが薄れつつある。)
   ・文面を考えて綺麗に手紙を書く習慣や、文通で異質な文化を知る努力は消えつつある。
    (手早くてお金もかからないeメール全盛。)
   ・医者等のプロフェッショナルを尊敬しなくなった。
    (素人でも先端医療情報が簡単に入手できる。)

道徳/倫理感が消え去ったと見る向きもある。
 ネットのアダルトサイトの大繁盛ぶりを眺めると、D.H.ロレンスの小説が問題になるような時代など、今や、想像もできまい。怒り狂って規制したい人達もいるようだが、裏市場が表にでてきただけのことだと思うが。だいたい、目を光らせていなければ、ポルノ広告のチラシなど郵便受けに五万と溜まるのが実情で、インターネットの問題でもなかろう。当たり前だが、ほとんどは非合法ポルノ販売ではなく、そう思わせる手の半分詐欺の商法に違いない訳で、それにまた五万と引っかかるのだろうから、まあ需要は相当なもの。非合法なら、裏社会のプロだから、何をされるかわかったものではない。表社会化は必ずしも悪い方向に進むとは限らないのだが。
 まあ、とんでもないものもあるようだが、そこを突けば、オカシナ輩が判明する訳で、危険を未然に防ぐことができるかも。
 一番厄介なのはそんなことではなく、人権保護者も少なくないため、どこまでを変態と見なすか、線引きはかなり難しいことだろう。
   ・ポルノ写真が溢れており、周囲の目を気にせず、好きなだけ見れる。
   ・ウエブでの売春業が一般に広がってしまい、一部や電話訪問サービスや街娼が駆逐された。
   ・夜に特定の場所で追い掛け回す必要がなくなり、出会い系サイトが繁盛するようになった。
 要するに、インターネットに国境はないから、ポルノに関しては、世界で規制が一番緩いところの基準が通用してしまうだけのこと。そこまで進んでいない国の道徳/倫理感が揺さぶられている訳だ。

 それより深刻なのは、個人情報問題だろう。漏洩の話ではない。
   ・ソーシャルネットワークでは驚異的なレベルで個人情報が公開されている。
   ・過去を振り切り新しい自分を打ち出そうとしても、ソーシャルネットワークで昔のことを持ち出されてしまう。
 そこまでするか、という気もするが。日本の場合は、匿名でのネットワークがほとんどだから、そんな恐れを抱く人もいないだろうが。

日本の一番の問題は、頭の使い方が変わらない点である。
 礼儀とか、倫理を問題にする人は少なくないが、多くの場合、それは旧人類と呼ばれる種族。日本の場合は、ほとんどがこの種族らしい。言うまでもないが、欧米では新人類へと脱皮が始まっているのだ。
 などと言っても、実感なき人ばかりだろう。
   ・頭に詰め込みんだ知識にたいした価値はないと考えるようになった。
    (検索すればたちどころに知識は得られるので、ものごとを覚えなくなった。)
 欧米は、インターネットのお陰で創造性の時代に入ったのである。
 ところが、日本は逆方向に進んでいる。ウエブをみれば、その違いは歴然。日本のサイトは、丸写しや真似ばかりで、創造性の欠片もない。それは言いすぎかも。文章はほとんど同じだが、デザインだけは嗜好をこらしているからだ。検索すると、何百と類似サイトが並び、手を変え品を変えて送りつけてくる多種多様なスパムメールと同じタイプの創造性は凄い。
 そもそも、ウエブ情報も調べず、自分から発信することもしない、専門家が多いから、こうなるのは当然かも。
 それなら、海外サイトを見ればよいと思うが、敷居が高いのかも。日本語翻訳がまだ今一歩だから、致し方ないともいえる。そこら辺りも、欧米との違いがでてくる所以だろう。
   ・わからなかった外国語も、翻訳ソフトのサイトを使って読めるようになった。

 ただ、同じような変化もある。創造性発揮といっても、考えはだいぶ浅くなっているのは否めない。
   ・愛読書を繰り返して読むとか、ボーと思い巡らす時間をとらなくなった。
    (驚くほど様々な見方を眺める方が面白くなった。)
   ・信頼できる参照文献を並べることにお金を費やす気力が失せた。
    (創造性なき編集屋さんを目指す人が増えたということかも。)
   ・“ながら”族的になり、一つのことに集中しなくなった。
    (Gmail、Twitter、Facebook、グーグルニュース、そして仕事を同時にこなす。)
   ・文献参照は直接つながるリンクになり、脚注はなくなりつるある。
    (Wikipediaは脚注にこだわるが。確認にお金をかける気がなくなったということ。)

 それなら、インターネットを使わない人の考えには、深みがあるかと言えば、大いなる疑問。多分、さらにひどい。日本の場合、処世術で生き残っている専門家が多いからだ。そうなるのは、蛸壺種族化が進んでいるからで、活け花屋が重宝されるのである。従って、何を言いたいのかわからない、読むに耐えない本を上梓する専門家も少なくない。創造性どころの話ではなかろう。

記憶を機械に頼るようになった。
 良いことかはよくわからないが、コンピュータの助けがないとどうにもならなくなってきた感じがする。
 漢字が書けなくなったし、字の間違いも増えた。おかしな用法の文章でも、後で直せばよいと、気にしなくなり、そのうち面倒だから訂正もしないから、ヘンテコな文章や脱落や重複まで発生したりする。美しい文章が書けなくなってきたということかも。
 その代わり、見かけの生産性は格段に向上した。それだけかと、悲しむ人がいるようだが、量は質に転化する。頭をつかって新しいものの見方を提起し続けている社会からは、イノベーションが生まれる可能性は高い。日本の場合は、真似やコピーが主体のものを増産しているだけだから、残念ながら、その可能性は無さそうだが。
 ともかく、効率的で正確性も向上しているのは確かだ。
   ・電話番号を覚えたり、住所録の電話番号を見なくなった。
   ・場所を知るのに、GPSと電子マップを使うようになった。
 もっとも、このお陰で、記憶能力が減退している。それをつくづく思い知らされるのが、パスワード。世の中パスワードだらけで、しかも変更を要求される。しばらく使わないと記憶から落ちてしまい、えらいことになる。

不要になる情報収集源もある筈だが。
 日本では、使いづらい情報提供サイトが多い。日本には、お役所仕事と呼ばれる類のものは至るところに存在しており、インターネットが普及したからといって、この文化が変わるとは思えまい。
 要するに、課題を明確にできずに、仕事だけ進むという風土ということ。しかも、マニュアル作りができる人材も欠いているから、使い勝手がよい設計ができる訳がない。お金をかければかけるほど、美麗で高度なものができるだけで、使われないものができるだけの話。欧米なら不要になる情報源も、生き残っている可能性大である。
 Moore氏は色々あげているが、どんなものかネ。
   ・電話帳
   ・新製品のカタログ
   ・日記についてくる度量衡や世界時間等の各種データ。
   ・新聞スポーツ面の時間遅れの試合結果
   ・セレブリティの生死といった類のセンセーショナルな噂話
   ・休暇で出かけた間のニュース一覧
   ・条件比較のための保険会社への問い合わせ
 日本では、インターネットで変わるようなものでもない気がするが。例えば、うろ覚えで電話番号を探すことが多い人にとっては、電話帳は有用。一方、もともと104しか使わない人は電話帳など使ってはいまい。同じ使い方しかしないなら、インターネット検索が登場したからといって何もかわらない。
 他の項目もそんなところでは。
 スポーツ紙など、もともと勝ち負けを知りたいのではなく、情緒的なお話しを読みたいのだろうし、噂話にしても、それはメディアがビジネスのために作っているものではないのかネ。

英国と同じような変化がおきると考えないほうがよいと思う。
 日本特殊論をかざすつもりはないが、海外でおきている変化が日本でも発生していると考えたりしないことだ。確かに、類似の現象に映るような逸話はいくらでもあるが、それが変化の本質なのか、よく考えた方が良いと思う。冷静に現実を見つめないと、間違う可能性は高い。
 例えば、次のように見ることができる。インターネットの影響とは無縁なのではないか。
   ・ケータイがあるため、腕時計をつけなくなった。
 →日本はもともと時計だらけ。遠の昔、ファッショナブルな装飾品と化している。
   ・結婚式で、慶賀のeメール読み上げでもなかろうから、電報は消えていく。
 →もともと、日本の祝賀電報披露とは、利害関係者がその存在を誇示する儀式にすぎない。寄せ書きできない人が使うもの。
   ・俳優の実像が伝わり、作られた偶像が壊れる。
 →内輪モメでもない限り、滅多なことではまずい情報が広がることはない。実像との乖離が大きいのを、周囲は皆知っていたりすることも少なくない。
   ・ローカルに不祥事の始末をつける解決法が機能しなくなる。
    面白ニュースとして世界中に広まったりして、当事者は耐え難い状況に陥る。
 →日本の場合は、ローカルな権力者集団が知らん顔された人が攻撃対象になり易いと言われている。組織から切り捨てられなければ、槍玉にあがっても、そのうち静かに復帰できるのが普通。
 文化的に違う面もある。
    ・競馬の賭けのために呑み助やイカレポンチの溜まり場に行くより、ネットを使うほうがまし。
 →日本の場合、券を買う前に、直前の予想紙を買って検討することも楽しみの一つ。盛り場に出かけるので、ネット無用。そんな人に券の購入を頼み、皆で一喜一憂する人も多い。
    ・猫君が笑いものにされており、誇り高き知的ペットの地位から滑り落ちている。
 →茶化したネコ漫画は昔から別に珍しくはない。日本の場合は、猫癒しシーンの方が多いのではないか。
 この辺りは比較する意味が薄いか。

日本では、インターネットを介した紐帯は弱体であることは間違いない。
 そもそも、日本では、インターネットをそれほど重視していない人が少なくないことにも注意を払う必要があろう。
   ・一人で遊ぶサイコロゲームは駆逐され、インターネットのゲームに代替されてしまった。
 →もともと一人遊びのゲームは人気なし。群れることができないからだ。一人で遊ぶゲームでも結果を互いに比較できて、情報交換の意味があると人気が湧く。
   ・時間つぶしに行うパソコンゲーム[ソリティア]が廃れ、ウエブのゲームになった。
 →日本ではソリティアをやる人は、ゲーム好きとは言い難い。
 ウエブゲームに手を出すのは、ゲーマーとその予備軍。
   ・昼休みもデスクでネットとつながった状態を続けたい人だらけになった。
 →そんな人達の数が多いのは事実。ただ、ソシアルネットワークに没入しているのは一部にすぎず、社会を動かす力は弱い。

 そして、日本のインターネットのコミュニティは閉鎖的なものが多い点にも注意を払った方がよい。
   ・未発掘の芸術家という概念が消えた。
    ウエブに開設されたサイトに発表もしないような御仁はお話にならないということ。
 →日本では、そんなことはなかろう。インターネットと無縁な金無し芸術家の卵の方が多いのではないか。活用の術を知らないというより、ギルド組織ばかりだから、自信がなければそうなって当然。
   ・閉鎖的なファンクラブ会誌は消える。
    自由度が高いブログとファンサイトでより多くの人を集める方向に進んでいる。
 →インターネットのサイトでの情報伝達は活発でも、閉鎖体質は同じではないか。
 日本は英国のようにはいかないのである。
 それが一番はっきりとわかるのが、ソシアルネットワークの状況。一見、日本も盛んになっていると誤解している人がいるようだが、本質的に別な動き。上述した、個人情報問題で指摘しておいたが、日本は匿名参加なのである。それで密なつきあいができるものかネ。密なつきあいは、いわゆるオフ会から始まるのである。そして、閉鎖的な組織に衣替えしていく。度量に狭い人が多いということか。
 当然ながら、新入りは排他的な印象を抱き、異なる組織を探すことになる。これが日本で同じような組織がいくつも乱立する原因ではないか。
 そんな状況を考えれば、以下のように考えざるを得まい。
   ・ソシアルネットワークでの交流が盛んになり、同期会での感激的再会シーンは失われた。
 →こうはなるまい。
   ・いかにもありそうな話で、お人好しを騙す詐欺が通用しなくなってきた。
 →わかっている手口でも詐欺にひっかかる。
  eメールで引っかかる人の数も半端ではなかろう。騙されて黙っているだけではないか。

日本ではインターネットが政治を動かす状況に至ってはいない。
 海外では、インターネットは政治を動かすまでになった。
   ・政治家の軽はずみな言動をとりあげたブログに適切に対応しないと政治生命が失われかねない。
   ・悪戯/陰謀的言辞が多いのは確かだが、冷静に事態を見抜く力を与える場となっている。
   ・大衆運動を組織化するのにウエブの力が大きく貢献するようになった。
    (例: ウクライナのオレンジ革命)

 そこで、日本でもと頑張っている人も少なくないが、冷静にみれば、一部の人達が騒ぐだけ。影響が出るのは、その動きを既存のメジャーなメディアが取り上げたからにすぎない。
 まあ、こうなるのは当然かも。日本のメディアのサイトは貧困すぎるからだ。
 議論のタネを提供するといっても、余りに雑。しかも、様々な意見を掲載する習慣がない。論点が曖昧で それこそ、オレンジとリンゴの比較論争になりかねない。注意深く読まなくても、感覚的に噛みあっていないことがわかるから、まともに論説を読む人はいまい。まあ、競馬同様の政局予想のエンタテインメントとされていると見た方がよいのでは。
 おそらく、この状態はそうは簡単に変わるまい。日本の知的職業人の大半は蛸壺型ギルド稼業で、インターネットの世界に曝露され、安定した地位を失うことを恐れているからだ。

メディア関連のビジネスモデル変更を迫る動きは全世界共通。
 まあ、どこでも言われている流れというものもある。
   ・既存メディアの代表選手である、新聞は次々と消えていく。
   ・文字多重放送は、使う人もいないではないが、貧相な内容なのでフェードアウト。
   ・著作権をいくら守ろうとしても、今の流れを止めることはできまい。
 ただ、日本ではまだまだ感はあるが。
   ・レコード屋に行く気が薄れた。
    (CDのケースを買いに行くつもりは無い。)
   ・CDバンドルされている曲を聴かなくなった。
    (アルバムの押し売りが不快に感じるようになった。)
   ・皆で同時間帯にテレビを視聴するシーンが消えた。
    (見たい番組は、自分の都合が良い時間に一人で眺める。)
   ・フォトアルバムを見たり、スライド映写することがなくなった。
    (Facebook/Flickr/Snapfish等を利用する。)
   ・映画やDVDの発売日コントロールで利益極大化を目指す方策を止める。
    (海賊版が即座に登場するから、なんの効果もない。)
 レコードの売上げは低迷しているが、予想以上に売上げは落ちない。ケースと解説書が欲しい人が多いのかも知れぬ。と言うか、それを貸し借りすることに意味があるのではないか。仲間意識が生まれるからだ。
 そう思うのは、日本の若者は、テレビにしても、同じ番組を視聴することに熱心だからだ。仲間うちで、バラエティ番組の話で盛り上がることが嬉しいのである。英国なら、パンクは一種の抵抗運動かも知れぬが、日本では仲間うちで楽しむ風俗でしかない。自己主張は仲間であることなのである。
 メールで繋がる仲間だけの閉鎖的な狭い世界での生活がすべて。インターネットで外の世界に繋がろうなどと考える人は少数派と思われる。
 それに、違法のファイル交換の摘発があったりするから、世界のなかでは著作権が守られている方だろう。まだまだ、日本は大いに儲かる市場なのである。
 ところで、日本では滅多につかわれないやり方も英国では機能していたようだ。
   ・本の最後に折り込んである注文ハガキが使われなくなった。
    アマゾンのお勧め本の方が参考になるのは自明。

 50の指摘を網羅したつもりだが、抜けたり、間違っているところもあるかも知れないので、気になる方は原文を眺めて欲しい。

 --- 参照 ---
(1) Matthew Moore's LATEAT http://www.telegraph.co.uk/journalists/matthew-moore/


 苦笑いの目次へ>>>     トップ頁へ>>>
 
    (C) 1999-2009 RandDManagement.com