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2009.11.26
 
 


雑感: 奈良観光・・・

人心の乱れを知るには奈良旅行が一番。
 先日、奈良で3日間遊んだ。
 2010年は平城京遷都1300年のイベントだらけになり、一年中大混雑で観光どころではなさそうだから、今のうちにと考えたからである。しかし、すでに、相当な人出。
 興福寺の「阿修羅展」にでも行こうということかも。

 混み合う所は避ける習性なので、興味の無い人がわざわざ行きそうにはない、「入江泰吉 万葉恋文」展(1)を訪れた。
 どうせガラガラとふんだのだが、“豈(あに)図(はか)らんや”・・・。

 まあ、空いてはいたのだが、静寂を破る、オバサン達の関西弁の嬌声が耳障りこの上なし。それでも、花の写真の感想ならわかるが、食事や買い物話で盛り上がるのだ。
 それが、部屋に響きわたるのだから、たまらぬ。喫茶店で大声で歓談する習慣が骨の髄まで染み込んでいるのだろうが、ここまでモラルが低下しているのには恐れ入った。

 おそらく、他の場所はもっと酷いだろう。
 もっとも、国立博物館の中国青銅器展示室には登場しないようだ。

伝統文化は壊されていく。
 思うに、そう感じるのは、古い体質の人間。おそらく、常識の方が変わってしまったのである。
 それがよくわかるのは、“せんとくん”の存在。
 このキャラクター製作者(2)は有名人だから、不快でも皆黙っているのかと思ったが、逆のようだ。不快に感じる人が異質な人種とされる時代に入ったのである。

 思わず、大画伯デザインの都バスを思い出してしまった。たいていの人が不快な色調と感じたので、お金をかけ、一挙に変えたが、まあ、当然だろう。しかし、“せんとくん”は逆。文句が出て、有名になって万々歳というところのようだ。

 小生はこの像をみかけ、嫌気がさし、平城京跡に行く気を失った。この調子の、古代復元など薄気味悪くて見る気になれぬからだ。
 なにせ、裸の子供のような僧侶の頭に鹿の角。言葉を失う。

 平城京とは、日本における“仏法僧”の始まりの地。「国家鎮護」仏教による統一国家樹立に成功した、一大結節点でもあった。それをパロディー化して何が嬉しいのかさっぱりわからぬ。
 “識者”を集め、総合的なイベントコンセプトを練り上げたに違いないが、一体、このようなマスコットを作って何を訴求したいのだろう。
 お金儲けのためなら、日本の伝統などどうでもよいということか。
 それが奈良の実像かも知れぬが。

 そもそも、違和感の根源は“動物と人の一体化”にある。日本では、古代王権の時代から、霊魂の動物への移動や、動物への化身は当たり前だったが、半蛇人のような混交型概念は嫌ってきた。大陸とは感覚が違うのである。
 鹿と人間の一体化キャラクターなどもってのほかではないのか。

 しかも、仮面ならまだしも、よりにもよって、僧の頭から鹿の角を生やすのである。頭は神聖なところで、わざわざ剃髪までするのに。一体、何を考えて作ったのだろう。

 その上、風体が奇妙ときている。“仏法僧”の“仏”と“僧”の基本コンセプトを馬“鹿”にしたくて作ったものと見なされておかしくない姿。
 僧侶をわざわざ裸にするのだから。
 そんな姿が許されるのは、解脱した“仏”様。よく知られているように、如来は、衣は必要ではないから裸に近いお姿。修行僧は袈裟着用が当たり前だ。

 こうした常識を、敢えて壊そうと図ったキャラクターとしか思えない。

薬師寺にも時代の変化を感じさせられた。
- 薬師寺大伽藍復興年表(3)-
- 年 - - 落慶 -
1972 お写経道場
1676 金堂
1981 西搭
1984 中門
1991 玄奘三臓院
2003 大講堂
 折角、奈良に泊ったので、西の京にも足を伸ばした。
 薬師寺は、もうかれこれ、拝観は10回になるだろうか。来る度に建物が変わっており、このお寺の意志の強さには目を見張るものがある。唐招提寺とは好対照。

 参拝者はたまたま少なかったが、その人達に“法”話が行われた。
 それだけで、昔の、修学旅行でのシーンが蘇ってくるから不思議。
 当時は、廃墟のような寺だった。そこで、高僧自らが、分り易い言葉で、生徒に直接語りかけてくれたもの。それが、今も同じ調子で続いているのには恐れ入る。
 お陰で、書経をする気になる。

 ただ、個人個人の信仰を集め、大伽藍を再興していくという説話は、よく考えると結構難しい内容を含んでいる。個人の思いは全く異なるが、宗教としては一つというのだから。

 ともあれ、昔聞いた「伽藍の夢」は実現した。今や、廃墟の風合いは皆無。

 実は、小生は、朽ち果てていく侘しい伽藍の情緒が、奈良らしくて、好きである。お陰で、寂しさ少々といったところ。

鹿君の生活も変わってきたようだ。
 そういえば、野生の鹿を守ろうと言う調子のスローガンをところどころで見かけた。
 観光客にしてみれば、どこが“野生”なのかさっぱりわからぬが。

 そもそも食べ物としては、芝、団栗、「鹿煎餅」。(4)芝が公園に自然に生えるものとは思えないし、団栗は人が拾ってきてラッパを吹き鳴らして与えると聞く。実際、団栗集めの人も見かける。これが野生とどうつながるのか大いなる疑問。
 だいたい、鹿の角は人の手で切られているし。

 圧巻は、「鹿煎餅」。
 鹿を守るために、購入を勧められるのだ。
 フスマを固めたもののようだが、人工飼料そのものではないか。それを与えることが野生を守る行動なのかね。
 午後に公園を歩いて、思わず苦笑してしまったが、鹿君、「鹿煎餅」に飽きているご様子。
 子供が嬉しそうにあげるのだが、そっぽを向いたり、口から落としたりと、不評そのもの。そのため、落ちた煎餅だらけ。
 一昔前は、鹿が煎餅漁りにヒトにぶつかってきたものだが、飽食の世かも。

 ともあれ、誰が見たところで、観光用動物を放し飼いにしている図そのもの。

 折角購入した餌をさっぱり食べてくれないのを見て、親が子供に、地デジカは「鹿煎餅」嫌いなのだと、訳のわからぬことを言っていた。なにがなんだか。
 まあ、そんな時代なのだろう。
 大人同士なら、地デジカは成仏確実と語りそうなものだが、そんなオヤジ会話も早晩絶滅か。(無粋だが、念のために一言。・・・地デジは早晩消え去るという意味ではない。ゴースト無縁ということ。)

 --- 参照 ---
(1) http://www1.kcn.ne.jp/~naracmp/
(2) 「藪内左斗司の世界」 http://www.uwamuki.com/j/indexJ.html
(3) 「薬師寺の歴史」 http://www.nara-yakushiji.com/guide/history.html
(4) 「鹿かわらばん」 奈良の鹿愛護会 http://www.naradeer.com/serv04.htm#鹿かわらばん夏号
(参考) 入江泰吉,白洲正子,他: 「入江泰吉の奈良」 新潮社 1992年 ・・・哀惜篭る定点観測写真をご覧になられたし。


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