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2010.1.25 |
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2010年新年会の与太話・・・新年会で、新政権の話になった。新政権は余計ななとをせず、予算だけ確実に通してくれればそれで結構といった感覚の人が多いようだ。 どうでもよいから、政治的に早く安定化してくれよ、といったところか。なんであろうと、それからだぜというところ。 地方分権化についても、懐疑感が生まれているようだ。ただ、表立って言うと、変革を嫌う勢力が喜ぶだけだから静かにしているということかな。 まあ、小生はもともと、この政策が上手くいくとは考えていないから、まともな見方だと感じた。理屈は正しく映っても、実際に機能するか考えれば、期待できる方策ではない。「社会主義」的な中央集権制度よりは多少はましかも知れぬといった程度。 どうしてそんな評価になるかと言えば、発想が「社会主義」と似ているから。 などと言うと、烈火のように怒る人がいそうだが、それが正直な感想だからいたしかたあるまい。 どういうことか説明しておこう。 社会主義国家の一番の欠点は、理屈を重視する点。従って、どうしても実践性が乏しい政策が登場してくる。当然ながら、意見が割れるが、現場主義ではないから、その裁断は恣意的なものにならざるを得ない。意見対立克服の手段は無いから、そのうち人権など守られなくなっていくことが多い。しかも、恣意的な決定がし易いから、腐敗浸透のスピードは桁違いに速い。 こうなる原因が中央主権であるのは間違いない。従って、地方分権化にすれば、社会主義国家の生命線が断ち切られる。しかし、問題は、そうすると良くなるという根拠が極めて薄弱な点。 自治能力なき地方自治体ばかりなら、地方分権が上手く機能するとは思えまい。 原因と結果を間違えない方がよい。 たいていは、地元のボスに生活すべてを支配される状況より、中央集権の合理的な政治の方がよかれということで生まれるのが社会主義政権である。 日本の政治も、社会主義政権ではないものの、同じようなものである。官僚統治の方が余程ましだったのでは。 もっとも、地方自治体に自由度がないから、そうならざるを得なかったとの理屈もあろうが、本気でそう信じているのかな。 中央主権制度だと、お気楽に過ごせるからお徳だせという姿勢の自治体ばかりに映るが。これこそ、社会主義国の風土そのもの。常に、中央が喜ぶような報告だけ行い、沢山お金をもらい、繁栄を謳歌しようとの姿勢。 庁舎の使い方、IT基盤、職員の働き方、の3つを見れば、そんな体質であることはすぐにわかろう。 そんな組織に、まともな統治を期待すしろと言うのかいな。 道州政府を作ったら、ミニ中央集権機能を発揮するだけで終わるというのが、常識的な予想ではないかい。 わかり易いのは「道州制」。これは、夢だぜ。社会主義の夢と同じようなもの。 社会主義運動と同じで、社会状況によっては、とてつもなく大きな意義があるというだけ。 例えば、関西の三空港問題を、「道州制」で解決できるものかね。 素人が考えても、成り立つ訳がないものを作ったのだぜ。 制度を変えても、同じような人達が統治するのだよ。前とは違ったタイプの腐敗が始まるだけのことでは。 そもそも「道州制」なる発想は、西欧諸国がアラブ一帯の国境を、地図に定規をあてて線引きするようなものに近い。歴史的に、そんな組織はなにもなかったことを知らない訳ではあるまい。 “道”とは文字通りの意味しかなく、統治意識など皆無では。そんな組織を作って動けるものかね。 もちろん、北海道開拓組織、北九州一帯の防衛統治機構といった類の例外的なものは機能していたに違いないが。 頭のなかでの理想論がどんなものを生み出すかは、「社会主義」の結末でご存知の通り。同じ道の可能性は高いと見た方がよいのでは。 まあ、それでも、今のままよりは、大歓迎すべき動き。統治能力がありそうな人があぶりだされるし、既存の仕組みをしゃぶりつくすことしか考えない腐敗分子がパージされる可能性が高まるからである。 苦笑いの目次へ>>> トップ頁へ>>> |
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