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2010.8.23
 
 


若者の議論に聞き惚れた・・・

若者は黄昏経済路線への対応を始めたようだ。
 先日、JR普通列車のグリーン車に乗っていたら、年齢にして、20代後半から30代前半ではないかと思われる男性3人組が入ってきた。小さな部屋なので、会話が筒抜けというか、小生の存在を全く無視し、聞いてもらって結構といわんばかりの大声会話が延々と続いた。かれこれ30分以上、同じ話題で盛り上がっていたのである。
 と言うと、缶ビールに摘みを車内に持ち込んで、どうでもよいタネの馬鹿話で笑いながらの状況を考えてしまう。ところが、これが違うのである。飲み物はペットボトルのお茶だけで、至極真面目な議論が続いたのだ。
 そうなると、仕事や、政治・経済の話か、ボランティア、・・・そんなところかなとなろう。

 まあ、その通りといえば、そうかも知れないが、想定内容とは相当離れたものだった。
 年間収入100万円でどのように暮らすかを、事細かに分析し、対処策に知恵を出しあっていたのだ。頑張って収入を増やす気もないし、結婚して家庭を持つなど視野外のようだった。
 もちろん、そういう人がいそうな予感はしていたが、現実に傍らでそんな話をされるとは思わなかった。
 間違ってはこまるが、社会とできる限り接触したくない引き篭もり型の人達や、日本国内の生活は海外で遊ぶ費用捻出と割り切っている人達ではなく、定職で働いていそうな真面目な感じの一団なのである。
 それに、750円とは言え、わざわざグリーン車代金を支払っているのだ。しかも、カード使用が習い性になっているところから見て、たまたま利用したとも思えないのである。同世代のなかでは、低収入層とは思えない。

 そんな人達が年間収入100万円生活を議論するのだから、日本の民度の高さを実感させられてしまった次第である。
 と言うのは、この議論の質が異様なほど高かったからである。
 なかなか優れていると思ったのは、自分だけの特殊条件で考えていない点。趣味の費用といった類は年間収入100万円外で考えるのである。先ずはベースをしっかり作ることに徹していた。そう混んでもいない列車で、わざわざグリーン車に乗っている訳で、この手の出費は別勘定ということなのだろう。

 ご想像がつくように、この話は、親の家に引き続き住むという前提あってのもの。ただ、その前提がなくても、通用しそうな検討がなされたのにもびっくりした。計算に当たっては、固定資産税や家の補修費用まで持ち出していたからだ。借家でも、所要金額が大きく膨らむ訳でもなさそうなのである。将来にわたって今の家を使うつもりだが、改築する気もなければ、その資産を活用して生活レベルを上げる気もさらさらないと明言しているのにも驚かされた。そんなことをすれば、リスクを負うし、コストパフォーマンスも悪いと判断したようだ。

 要するに、長期的に見て、日本で生活していくつもりなら、出費を最低限まで切り詰めるのが最善と考えている訳である。
 貯蓄や固定資産を増やさず、ただただ収入に合わせて合理的に生活できるようにしようというのだ。
 早い話、日本経済はこれから衰微一途だろうから、その中で無駄な努力をするよりは、なんとか食べ続けていけるように備えるのが一番重要と考えているのだ。現在は、それなりの給料らしいがそんな体制が続けていける筈が無いと達観しているのだ。そして、転職といっても、特段のスキルがある訳ではないから、今のうちに生活スタイルを変えておこうということのようだ。
 先ずは、年間支出100万円で生活できる目処を立て、それに応じて仕事をするつもりということ。現在は正社員でも、目処が立ち次第退職し、週3日程度のアルバイトを始めるつもりらしい。職場で自己実現などという考え方とはおよそ無縁であり、職業に貴賎無し感覚で働くようだ。と言うより、何でもできるようにしておこうということかも。
 携帯電話は無線インターネットに加入して基本料金ゼロにするとか、耳を立てて聞いていた訳ではないが、節約術としては優れていそうだった。そして、彼等が出した結論は“年間支出100万円で生活可能!”。
 愕然。

若者の問題というより、親の問題なのかも。
 若者だったので声は大きかったが、感情を抑え、実に冷静に話す人達だった。しかも、ごもっともな話が多く実態も的確に指摘するので感心させられた。

 沈むことが見えている船のなかで、バラマキ給料を貰い続けるのはそれなりに結構な話だが、そのうち船もろとも沈んでしまうから、そうなるともはや助かるまいというのだ。それなら、船を変えたらというのは素人が考えること。そんな船がすぐに沈まないのは、他の船が支援しているからで、沈んでにない船も引きづられているに違いなく、そうそう持つ訳がないと見ているのだ。
 現実をよく見ていることに驚かされた。そう思ったのは、生活コストを抑えるために地方に行くのは最悪と語っていたからだ。1000円理髪店を衛生上問題があるから認可しないような地域とは、コストが低いのは見かけだけいうのである。ツテ無しでは大損社会ということだから、職も無くなるに違いなく、絶対に住んではいけないというのだ。マクロ的にはその通りだろう。

 若いのだから、新規事業とか、海外で一旗というのも面白いと思うが、この人達にはそんな発想は全くないようである。どうも、その理由は2つありそうな気がしてきた。

 1つ目は、親がリスクを嫌っていそうな点。支出100万円プランで、支出のイの一番にあげていたのが健康保険費用だったからでもある。生命保険はいらないが、これは必須と言っていた。
 彼等の親は、現在住む家屋を子供にそのまま“しっかりと”引き継いでもらおうと考えている気がしたのである。これは、昔の“家系”を護る発想ではなく、子供が健康に過ごし、親の墓守をして欲しいということでは。海外に出て健康でも害されるのはこまるし、既得権益集団が前に立ちふさがる新規事業推進にのめりこんで、身を粉にして動くのも止めて欲しいのでは。そんな親の願いに子供が応えているのではなかろうか。

 2つ目は、自分にはたいしたスキルが無いことを実感していそうな点。大学を卒業したところで、実際のところ、単純労働しかできないと語っていた。片言の日本語しかできないウエイトレスよりは、日本語会話ができることで多少優位という以上ではないのである。たとえ英語を学んだところで、英語圏でそのようなサービス業務をすること以上はできないと言う訳。まあ、その通りだろう。
 とはいえ、企業で働くことで、オン・ザ・ジョブでスキルが向上していく訳だが、その大半は当該部署での人間関係を保ちながらの単純労働を手早く片付ける以上ではないと見ているようだ。スキルと呼べるようなものが身につくような職場は僅かで例外的ということか。そのような職場に恵まれなかったら、もうアウト。どうにもならないのである。
 ジタバタするより、分相応の生活に徹するのが一番と決断したようである。早めにその準備を始めようということ。

貯蓄する気が無いのが時代の流れかも。
 実は、この若者の話を聞いたのは帰路。往路ではそれより若干若い女性の話を聞かされる羽目に陥った。こちらの列車は大混雑。グリーン車は満席状態だったが、たまたま空いていた一席が、3人連れの場所。こちらも、小生の存在を無視して、30分間真面目な議論が続いたのである。
 なんの話かと言えば、35年ローンで家を買うという話で、どの場所で、どの価格帯で、どの手の家にするか。そして、何時買うかだ。
 もちらん、3人3様のようなのだが、話のポイントは、日本経済新聞に掲載されていたらしい家計シュミレーション。この結果を勘案してどうしたものか思案といったところ。家賃より支払いが数万円安くなるように設定しても、リスクは高いという実に暗い話。しかし、それしか道がないということのようだ。
 ともかく、前提は日本経済は右下がり。給与は増えることは無いし、職を失う可能性も。その時はその時と結構腹がすわっているようだ。と言うか、貯蓄してもどうせ価値がなくなるのだから、家でも買って現在の支出を抑える方がましとの感覚がありそうだ。決して購買意欲がある訳ではなく、支出抑制である。議論の中心は、ローン返済金額が大きいので、抑制と考えてよいかという点。親の援助が多額ならすぐにでも購入に踏み切るつもりらしいが、それも良し悪しと見ているようだ。

若者が政治に期待しないのは道理。
 たった2つの例でしかなく、例外的なものという可能性もあるが、小生はさもありなんという感じがした。
 なんと言っても特徴は、経済伸張の期待感はゼロという点。そして、住むなら職がある都会と揃って断言している点。日本経済の癌は政治と地方と見ていそうだ。
 地方の農林水産業や各種サービス業は、早晩成り立たなくなると見ているようだし、中小企業の多くはまともに利益を出せる状況でないと考えていそうだ。まあ、当たっている。

 政治に期待しないのも当然だと思われる。大きな政府派は、将来性なき古い産業への支援を惜しまない訳で、超大きな政府派は既得権益層の支援を多少カットし、公共サービスへの大盤ぶるまいを行おうというだけのこと。どちらにしたところで、税金バラマキだけで、経済発展は望めまい。ただ、既得権益層に叩かれている新興企業は後者の方がよさげと見るかも知れないし、後者のような無駄なバラマキでは肝心なところに予算が回らず遠からず経済失速と見る人もいよう。まあ、五十歩百歩だ。
 ただ、後者の方がバラバキ規模が大きいからリスクが高いのは間違いない。

 特に、そう思ったのは、若者の話を聞いていて、貯蓄はしていそうだが、それはたまたまお金が残ったからといった雰囲気が濃厚だった点。貯金をしてまで買いたいものがある訳ではないのだ。老人は貯蓄を取り崩すし、若者に貯蓄意欲がないなら結果は自明。ずっと以前予想したように、2010年からいよいよ家庭の預金額が大きく減り始めるかも。地方に依拠する郵貯は国債を売るしかなくなるだろう。
 国民が保有しているから国債は安全などという、「中学生でもわかる」経済学で説明する人がいるようだが、グローバル経済の時代、そんな主張は「中学生しかわからない」。だいたい、今のように簡単に国債取引ができるようになったのは、ゴールドマン・サックスのお蔭。利潤を求めて、世界のどこにでもお金が自由に流れるような仕組みを作りあげてしまったのである。その結果、世界経済が大きく伸びたのである。
 このことは、市場が、日本国債売りのチャンスと見れば、有り余る世界中の資金が日本にどっと集まり国債価格が一気に崩れかねないということ。そんな可能性を日本の金融機関が感じとったらどんな態度に出るか、考えれば分かること。機軸通貨国以外は、グローバル金融市場をねじ伏せることなどできる訳がない。こんなことは、大人には当たり前の話。

トンデモ話とは、新たなバラマキにすぎない。
 まあ、トンデモ話は至るところにある。マスコミの質が低すぎて、どうにもならない。最たるものが、日銀の金融政策でデフレが止まるという話。
 確かにこれも「中学生ならわかる」経済学だ。そんじょそこらのエコノミストはそんな初歩知識さえないといわんばかりの下品な表現で大騒ぎ。
 どういう施策かと言えば、金融機関が抱える中小企業向けローン債権を、政府が保証して日銀に買い取らせるというもの。中小企業と金融機関は、願ってもない美味しいバラマキ話である。
 そもそも、中小企業に資金が回らないのは、リスクが高くて魅力が無さすぎるから。いくらご指導を受けようが、将来性の欠片も無く、資本コスト割れのビジネスに貸付できる訳がなかろう。そして、新事業に対する融資も避けたくなるのは当たり前だ。新事業が軌道に乗りそうになれば、途端に既得権益勢力が政治に働きかけ、潰しにかかるのが目に見えているからだ。
 有望と目されるなら、中小企業だろうが、メガバンクから融資を受けられるのである。

 今や、先進国はどこでもゼロ金利状態。そして、中央銀行が債権を購入することで資金ジャブジャブ化が進んでいる。しかし、需給ギャップが大きくて設備投資は低調というのが現実。そんなことは、すでにわかっているのが日本。金融機関は、融資先がないから国債購入しかないのである。
 そんな国で、リスクの高い債権を、中央銀行に肩代わりさせるバラマキで票を集めようという算段の政党が登場したのである。政府の見かけの支出を抑えて、後から不良債権を政府がすべて抱えるという、トンデモ大政府勢力が意気軒昂なのだ。
 若い人達が、日本は下り坂を駆け下りるしかないと見るのは自然な姿勢と言えよう。


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