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■■■ 面白話とは限らない 2015.8.10 ■■■

ゴミ度ランキングを見て

小生はゴミ拾い運動に参加したことはない。
モラル運動では解決できないと考えるからでもある。ポイ捨てゴミの多寡は、その地域の余裕度と、マネジメント姿勢の問題と見ているからと言った方が正確か。

都市の道路にポイ捨てゴミがないとしたら、たいていの場合は、その近隣の人々が清掃活動をしているからにすぎまい。それだけの余裕がある地域とも言える。
こちらも、ゴミ拾い運動と呼ぶ人もいるが、本来的に違う概念では。モラル運動と言うより、ゴミの町で生活したくない訳で。
この世の中、程度の差はあれど、ゴミの町は存在する。そういう場所にはしたくないと考える人が多い地域もあるというにすぎまい。当然ながら、そのような地域には、そのような生活空間を好む人が増えていく。
まあ、ある意味、それが行き過ぎていると言えなくもない。欧米からの訪問者が驚くから、気付いている人もいると思うが。言うまでもないが、ゴミが落ちていないのではなく、ゴミを捨てる場所が見つから無いということ。確かに、おこまりだろう。

誰だって、ゴミの町に住みたいと言う訳がないし、当人もそんなことを考えてもいないと思い込んでいるが、現実をみれば、そんなことは有りえない。ゴミ好きの人の方が多い町は少なくないからだ。
それに気付くのは、観光地や、農村地帯へ行った時。ポイ捨てゴミの状況はそれこそピンキリだからだ。

何回か取り上げたことがあるが、なんといってもわかり易い例はコレ・・・。

植物を愛する、なんやらこうやらキャンペーンは致るところで見かける。町を美しくということなのだろうから、結構な話。もちろん、たいていは単なる掛け声だけでないことが多い。実質的な(金銭を投下した)運動が何回も行われていそうなのは、見ればわかる。なにせ、そこらじゅうに、壊れたり、汚れきった植木鉢や箱のプレゼンテーションだらけなのだから。なかには、美麗な鉢にこれみよがしに枯れた植物がずっと植わったままのものもある。
今迄見たなかでの圧巻は、壊れてしまった大型テラコッタ。土が崩れて、道を覆っている訳だが、そこから美しい雑草が伸びているのだ。自然を愛していることがよくわかる。

東京の街中だと、以上はたいていはゴミと呼ばれる。従って、放置していると、早く片付けろと言う人が出てくる。
もっとも、そのような類のゴミは滅多に出ないらしい。と言うのは、たいていは草花好きか専門家が管理しており、無残な姿をさらすことは滅多にないのである。

こんな話を書いているのは、とあるごみ拾いSNSが東京都23区ポイ捨てランキングを発表したとのニュースを目にしたから。

どのような調査かわからないが、感覚的には「矢張りそう映るのか」といったところ。

小生は比較的歩く方だと思うが、千代田・港・中央の都心部は掃除が行き届いていると感じる。それはオフィスビルや商業地が多く、しかも、比較的新しものが多いということではない。

決め手は、清潔を旨とする管理方針のオフィスや商店が指導的立場に立っている点。建物が高額かどうかとか、新しいかという話ではない。

と言うのは、繁華街を抱える大ターミナル駅を持つ地域間で比べると、差が余りに大きいからだ。普通に考えれば、差などそうそう出るものではなさそうだが、そうはならないのだ。

要するに、ゴミの街的雰囲気を愛する人が多い組織が指導的立場に立てば、ポイ捨てゴミなど減る訳がないということ。失礼極まる言い方だが、それが現実。
要するに、「できるだけ掃除をしない」マネジメントを旨とすれば、当然ながらポイ捨てが増えるというだけの単純な話。

高額なデザイン料を支払った目新しい建築物があろうがなかろうが、その「素敵」な雰囲気を台無しにする動きを同時に進めれば、ボイ捨てゴミは減らない。

そのようなマネジメントは決して特殊ではない。掃除は時間もカネもかかるから、私的な空間だけ注力し、他は手抜きしたいと考える組織は少なくないからだ。もちろん地域を清潔にと、それなりの力は割いている訳だが、外部からみれば、なにもしていないように映る訳である。

例えば、こういうこと。
美しさを訴求すべく作った新しい壁に、ベタベタ様々のものを貼る。当然ながら、汚れた糊跡だらけになっていく。
空スペースがあると、そこには段ボール箱や不要品が置かれ、それが常態化する。そのうち綿埃が溜まり、風でそれが通路に流れてきたり。ポイ捨ての場となること必定。

そうそう、美しく見せようとおカネをかけて設計した箇所の、一番目立つ所に、わざわざチャチな不釣り合いな備品を置くのも、こうしたマネジメントの一大特徴。これぞ、伝統の美意識と言ってよいだろう。
透明感を出そうとのガラス壁でも作れば、それがどのような効果を発揮することになるかは、ご想像におまかせしよう。

こうしたアンバランス感を大事にするマネジメントが行われる限り、ゴミのポイ捨てはなくなる訳がなかろう。

お気づきになる方も少なくないと思うが、デザイン性にも色々あって、面白いが掃除に手間がかかるものもある訳だ。このようなマネジメントを志向する地域ほど、そのようなデザインを取り入れようとする。従って、完工後1年もすれば、ご希望通りの味が出てくる訳だ。・・・訳のわからぬモニャモニャした気味の悪いモノで壁面が覆い尽くされ、通路の床もこれに合わせたそれなりの色調へと変わっていく。
普通に考えれば、そのうち、通行人がゴミをポイ捨てする場所になるということ。
もちろん、それを不快に感じる商店街の人々は少なくないし、頑張ってきたのは、誰でも知っている。ミクロ的にはえらく清潔だし、美的センスの質も高いからだ。しかし、それとは正反対のマネジメントが主導的立場を譲らないのだから、焼け石に水。

(記事) 「東京都23区で一番きれいな街は千代田区? - ポイ捨てごみランキング」 マイナビニュース[2015/08/03]

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