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■■■ 面白話とは限らない 2015.10.9 ■■■

ノーベル賞は面白い

NHKニュースによれば、「素粒子物理学は日本の“お家芸”」だそうだが、実験物理学と理論物理学とは全く違った地平では。

前者は、湯川秀樹さんの系譜。おそらく、貧乏国でも頭で先進国と勝負可能ということで、この分野は人気沸騰し、研究者だらけになった筈。
ところが、朝永振一郎さん受賞の後、鳴かず飛ばずに見えた。素人からすれば、後を継いだように見えた坂田路線は、研究風土的に問題があるのかも知れぬと思ったり。それが、突然、小林誠・益川敏英さん受賞とあいなる。これなかりせば、不人気分野になりかねなかったのでは。

実験の成果の方は、この流れとは違う。投資と幸運によるものだからだ。と言っても、その偶然は必然でもある。(物理学的弁証法である。)比類なき観測装置に、頭抜けているが故に優秀な研究者をまとめることができるリーダー小柴昌俊さんがいたからの大成功。言うまでもないが、日本的な政治力と、これ又類い稀な装置メーカーエンジニアの総力あっての成功でもある。梶田隆章さんはその流れを受け継ぐ大研究集団のまごうかたなき要。次世代に向けて動かねばならぬ宿命を背負っていると見て間違いないだろう。

物理学とは、もともと特権階級の高尚な学問。半導体分野は異質であって、本来は世間の生活に係る必要などないのである。関係無ければ無いほど崇高な領域と言ってよいだろう。しかし、今のようなご時世だと、そんな分野に税金を投入するのは容易いことではない。ノーベル賞選考委員会は、そういう観点ではなかなか味なことをしてくれるもの。

漢方からのマラリア特効薬開発者屠さん受賞も素晴らしい。
膨大な数の寄生虫病患者の命を救ってくれた人類の恩人たる大村智さんも同じだが、国威発揚第一の政治勢力とは無縁だからだ。国家の方針に合わせる見返りに、膨大な援助を受け取る、所謂御用路線の正反対を歩んで来た方々である。と言うか、人を救おうとの堅い信念の下、「研究を経営する」姿勢で臨んだと見るべきであろう。余人をもって代え難し。

日本のマスコミは、素粒子研究の方は予想していたが、こちらの受賞には意表をつかれたようだ。
まあ、それほど多くの候補者が存在するということなら、それはそれ、結構なことではある。

「人のまねをやったら、それを超えることはできない」という当たり前の話が、清新に聞こえる時代に入っていることを気付かせてくれる点でも、画期的な選定と言えよう。
「鷄口牛後(註)」なら、それこそ牛の尾っぽの方を選ぶ研究者だらけになりつつあるなかで、かつての研究者魂を見せてもらった感じだ。
なにせ、食えないポスドクだらけの世の中である。自称エリート大学など、ほとんどドングリ状態。確かに有能だが、創造性喚起とは無縁の世界で頑張っているようにしか映らない。そのような教育を是とする社会だから止むを得ないが。

【私的註】
「寧爲鷄口、無爲牛后(日本では後。)
出処:做事也。典出戦国策。簡称「鷄口牛后」。
解釈:比喩寧居小者之首、不爲大者之后。
  謂、小場面地方自主、大場面爲中央官僚的支配。
相近詞:瓜田不納履、李下不整冠。
廚子詞:寧是美味的湯比牛尾巴湯。
  (翻譯成日語) 鰯頭鯛尾。
俗説:寧可作鷄口[=鷄的嘴巴]、
  決不作牛后[=牛的肛門、大而不浄]。
異説:地理位置優越。擁有強力刀兵。
  要服從臭的大國。
我用這句話:鷄身軽。自由説的意見。活地適応。
      牛負重。願意服従指令。黙行深泥。

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