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■■■ 面白話とは限らない 2015.12.1 ■■■

「ロボットは東大に入れるか」雑感

「人工頭脳プロジェクト−ロボットは東大に入れるか」(国立情報学研究所,等)が、時にニュースネタになる。
研究主旨はわからないこともないが、題名から考えると、これはちょっと違うかなという気もする。

このモデルは試験に真面目に対応するもの。

マ、そうやって合格する人も確かに大勢いるのだろうが、現実の東大卒業生を見ると、実態としては、そうでない人が多そう。要するに、表立ってはさも受験勉強しているような話をするし、それなりの時間を投入してはいるものの、受験に全く役に立たぬことに結構注力している人が少なくなさそうだから。
おそらく、いかにも勉強に注力しているかのように語るのは、皆がどんな勉強をしているか知るための方便。実態は手抜き勉強を心がけているのではないか。本人はそうは思っていないが、傍目には、一に要領、二に要領の姿勢。
それで試験を通れると踏んでいる人達と見る。東大受験校と言われている学校に通っているといっても、学校は受験指導など一切せず。生徒は「自己責任」で受験勉強は勝手にヤレということである。

つまり、どんな問題がでそうか考え、その辺りの知識だけ詰め込めばなんとかなると、自分の判断で決めるしかない。試験はパスしさえすればよいのであり、点数を争う競技とは違う。合理的である。
まあ、一種の山師と言えないこともないが、当たる確率が低い訳ではない。自分の頭で、問題作成者はどのような目的で、何を意図しているか推定し、シナリオをつくっているからである。想像力勝負と言えないこともないが、場の状況判断に基づいたシナリオ創出能力がないとたいしたことはできない。その力を磨いてきたからこそ奏功するのである。

東大を狙わない層とは、この点で姿勢がかなり違いそう。
簡単に言えば、学ぶ体質ができているか否かの差。と言っても、暗記を延々続けることができるような頑張りが身についているということではない。山を張る真剣さが違うのである。その集中力はとてつもない差である。
受験勉強以外に時間を割いているからこそ生まれる真剣さでもあろう。

例外は存在するが、どんな人でも受験勉強ばかりしていると気が滅入るもの。仲間と同じように他のことにも手を出すことが多い。そちらが楽しくなるのは致し方ない。しかし、受験においては、この体質はえらくマイナスである。すでに述べているように、時間を他のことに割くことが問題なのではない。いきおい、勉強も仲間と同じように進める体質が染みついてしまうのが決定的にまずい。それは真剣さを失うのと同義。ところが、当人はそうは思わない。・・・山を外す訳にはいかないと熟考するか、ドングリの背比べで頑張ろうとするのかの違いが生まれてしまうのである。
100覚えるのに、かたや重要なものを自分で選び抜いて10だけ確実に頭に入れる人と、無理とわかっていながら皆と競争して100を目指して頑張る人の違いである。真剣勝負なら、できそうにないことは避けるのは当たり前で、前者はその鉄則を守っているにすぎぬ。10個覚えてしまえば余裕ができる。そこで、はてさてどうするかとなろう。10個をいかに早く覚えるか注力する過程で、ノウハウを見つけていれば、簡単に100個覚えることができたりもする訳である。

と言っても、ドングリ競争を続けても頑張れば少しづつ偏差値はあがる。東大合格もありえよう。目標を設定しただただ頑張る訳でそのエネルギーたるやただならないものがあろう。
このタイプの問題は、何故にその目標なのかが曖昧だったりする点。
人工頭脳プロジェクトとは、そんなタイプをモデルとしているのと違うか。

この世の中、その気さえあれば、山師にはなれる。環境さえ整っていれば東大合格もそう難しいことではない筈だ。東大受験生が周囲に揃っていて、皆がどんな勉強をしているかをおさえ、どのような試験問題になりそうか傾向と対策の基本情報がふんだんに入ってくる条件下ならでの話。
言うまでもないが、そんな環境からほど遠いと、合格のハードルはかなり高かろう。

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