表紙 目次 | ■■■ 「酉陽雑俎」の面白さ 2016.2.21 ■■■ 龍は祖龍とは何を意味するのかは、はなはだわかりにくい。もっともらしい書き方をしているだけで、なにも考えずに、いい加減な説を開陳しているだけのものだらけで何を参考にしてよいものか全くわからないからだ。これほど滅茶苦茶な分野はそうそうないのではなかろうか。 十二支は原則生肖にもかかわらず、例外的に、仮想生物が選ばれているせいもある。しかも、12の統合的象徴とされている訳ではない。このことは、もともとは、なんらかの動物があてられていたのに、それをキメラ体にして抹消した可能性が高いことを意味しよう。 マ、四方位、二十八宿、十二支は生肖とはなんのかかわりもない概念。十二支の言葉にしてから、子丑寅と鼠牛虎とは本来は全く別な用語であり、帝国の為政者が無理矢理に当て嵌めたもの。 → "十二支の「龍」トーテム発祥元を探る"[2015.11.17] → "竜と龍"[2015.1.5] 成式の【広動植之一 序】【総叙】を読むと、生物全体が7つに分類されていることがわかる。鳥、獸、魚、龜、木、草、藻である。そして、その概念の本質は、羽、毛、鱗、潭、馮、根、海とされている。社会の普通の感覚とはコレと指摘しているのだ。仏教や道教からくる恣意的な分類ではなく、いかにも原初的な自然分類そのもの。 そして、龍とはそのような生物の「祖先像」であり、それぞれに名前がつけられているのである。飛龍、應龍、蛟龍、先龍、(玄陽閼)、(玄玉)、屈龍。 この分類からすれば、ヒトは裸蟲。その祖の名前は書いていないが裸龍ということになろうか。そして、天子の乗り物である龍についてもなんの記述もない。これらの動物の祖先の龍とどこが違うのか、読者は考えヨと言っているようなもの。 <羽→飛龍→鳥> 羽嘉生飛龍, 飛龍生鳳, 鳳生鸞, 鸞生庶鳥。 <毛→應龍→獸> (毛犢生應龍,)・・・欠落行補填 應龍生建鳥,・・・鳥→馬 建鳥生麒麟, 騏麟生庶獸。 <鱗→蛟龍→魚> 分鱗生蛟龍,・・・分→介 蛟龍生鯤鯁, 鯤鯁生建邪, 建邪生庶魚。 <潭→先龍→龜> 分潭生先龍,・・・分→介 先龍生玄亢,・・・亢=魚+亢 玄亢生靈龜, 靈龜生庶龜。 <馮→玄陽閼→木> 日馮生玄陽閼, 玄陽閼生鱗胎, 鱗胎生幹木, 幹木生庶木。 <根→玄玉→草> 招搖生程君(一曰若),・・・招搖→根抜 程君生玄玉, 玄玉生醴泉, 醴泉生應黄, 應黄生黄華, 黄華生庶草。 <海→屈龍→藻> 海間生屈龍, 屈(一曰尾)龍生容華, 容華生䔁, 䔁生藻, 藻生浮草。 ここら辺りの考え方は、道教の元祖小説的な創作話とは違い、科学的思考で整理されているのが驚異的。現存生物には、祖に至る系譜があると指摘しているのだから。 例えば、原初に「羽」の原形ありき。 それが神的力で、飛ぶ力を得て、「飛龍」に。 その「龍」は、聖なる「鳳」を生むのである。これが聖鳥である。 そこから現実的な鳥の原形「鸞」ができあがる。 現存生物の"同類"には、共通の祖型があったと指摘していることになる。 そして、そこから、様々な種類の現存の「鳥」が生成されていく。 まさに進化論そのものではないか。 実際、成式は、科学思考の重要性を指摘している。 「酉陽雑俎」は好事家向けの奇譚収集書でもなければ、エンターテインメント用フィクション、即ち、戯作でもないのである。断片的にはそっくりのことは少なくないが、視点が全く異なっているから、読み手はそれを考え、どういう意味か自分の頭で考えて見よと言っているのだ。 【広動植之一 序】 成式以天地間所化所産,突而旋成形者樊然矣, 故《山海經》、《爾雅》所不能究。 因拾前儒所著,有草木禽魚未列經史,已載事未悉者,或接諸耳目,簡編所無者,作《廣動植》,冀掊土培丘陵之學也。昔曹丕著論於火布,滕循獻疑於蝦須,蔡謨不識彭蜞,劉絳誤呼茘挺,至今可笑,學者豈容略乎?總敘。 【唐太常少卿 段成式 撰 「酉陽雜俎」 序】 夫《易》象一車之言,近於怪也;詩人南淇之興,近乎戲也。固服縫掖者肆筆之餘,及怪及戲,無侵於儒。無若詩書之味大羹,史為折俎,子為醯醢也。炙鴞[=梟}羞鼈,豈容下箸乎?固役而不恥者,抑志怪小説之書也。成式學落詞曼,未嘗覃思,無崔駰真龍之歎,有孔璋畫虎之譏。飽食之暇,偶録記憶,號《酉陽雜俎》,凡三十篇,爲二十卷,不以此間録味也。 このような書があることを、小生は、今の今迄知らなかった。 (参考邦訳) 段成式[今村与志雄 訳]:「酉陽雑俎 1,3」東洋文庫/平凡社 1980・・・訳と註のみで、原漢文は非掲載. 酉陽雑俎」の面白さの目次へ>>> トップ頁へ>>> (C) 2016 RandDManagement.com |