表紙 目次 | ■■■ 「酉陽雑俎」の面白さ 2016.3.17 ■■■ 音楽の本質卷六には「樂」が収録されている。パッと見にはバラバラな話をいくつか集めてきただけ映るが、よく考えられた編纂と言えよう。 冒頭は、始皇帝が住んだ咸陽宮での楽隊のお話。 成式がコレこそ一番と見つけた話題だと思う。 鹹陽宮中有鑄銅人十二枚,坐皆三五尺,列在一筵上。琴築笙竽,各有所執,皆組綬花彩,儼若生人。筵下有銅管,吐口高數尺。其一管空,内有繩大如指。使一人吹空管,人紉繩,則琴瑟竽築皆作,與真樂不異。有琴長六尺,安十三弦二十六徽,皆七寶飾之,銘曰“璵璠之樂”。玉笛長二尺三寸,二十六孔,吹之則見車馬出山林,隱隱相次,息亦不見,銘曰“昭華之管”。 その楽隊だが12名で、背丈は約1m位。全員筵の上に一列勢揃いし、琴、築、笙、竽を持つというのだ。隋の《清樂》では"其樂器有鐘、磬、琴、瑟、撃琴、琵琶、箜篌、築、箏、節鼓、笙、笛、簫、篪、塤等十五種"[「隋書卷15」志第10 音樂下]、二十五人を正式としたようだが、ほとんどフル編成に近い。立派なものである。 と言っても、銅製の人形である。 しかし、コレ、ちゃちな飾りではない。ヒトが糸で操ることができる上に、筵の下には吹奏用の銅管が組み込まれており、そこから音楽が流れる精巧な仕掛け。 ただ、読み手からすれば、ソレが一体なんなんなノとなる。そこが成式の目論見だろう。 もっとも、現代人だと、そんなことより、兵馬俑で発見できなかったのかという方向に頭が働いてしまう。 始皇帝にしてみれば、曲など、なんでもよかったかも。「こんなことできまい」を見せつけることを「楽」の本質とした訳である。 それでは、それと正反対の「楽」とは何だろうとなる。 成式から見れば、それは"風俗楽"だろう。・・・箜篌を爪弾き、悲しき王昭君を吟じれば、皆々涙すの図。もちろん、その場合の奏者は魅惑的な女性でなければお話にならぬが。 魏高陽王雍,美人徐月華,能彈臥箜篌,為《明妃出塞》之聲。 「楽」とは、考えてみれば、人の感情を揺さぶるものであり、実に危険なものでもある。 有田僧超,能吹笳為《壯士歌》、《項羽吟》。 將軍崔延伯出師,毎臨敵,令僧超為壯士聲,遂單馬入陣。 進軍喇叭が鳴れば、向かうところ敵なしの気分で一人で突入する気にもなるのだから。 もっとも、それはメロディーというより、それに付随する歌詞が戦士の潔さを称えるものだから。音楽を耳にすると、突如、自分が項羽になった気がするのであろう。 作られた偶像に付き従うことに酔いしれながら、敵を殲滅することがとてつもなく嬉しい訳である。これは現代の方が盛ん。 「義勇軍進行曲」 [田漢 作詩 是彦克、聶耳 作曲] 起來!・・冒着敵人的炮火,前進!前進!前進!進! 「長征」 [毛沢東 作詩 是彦克、吕远 作曲] 紅軍不怕遠征難,・・・三軍過後盡開顏。 ここまでが、音楽の社会的な位置付け話。 ここから、719〜741年頃の琵琶話に入っていく。奏者に焦点があたる。 古琵琶用鵾雞股。 開元中,段師能彈琵琶,用皮弦。賀懷智破撥彈之,不能成聲。 段成式の子息 段安節は幼少から音楽好きだったようで、「琵琶録」を著している。 驚いたことに、ここにも段師と賀懷智が登場する。 開元中,梨園則有駱供奉賀懷智雷海清,其樂器或以石為槽。 石製の琵琶とくる。およそ馬鹿げた話だが、梨園で教えるようになると、トンデモ話で座を盛り上げる能力も重要なのだろう。下手糞でおよそ音楽手習いに向かない娘達のお相手もしなければならない訳だし。 賀懷智が石とくれば、段師は皮弦となるのも、流れではあろう。なにせ段師は祈雨させる超能力を持っており、当時の琵琶名手をして「師神人也」と呼ばせた位だと。 マ、そうでもしなければ、楽師はのしあがれなかったということでもあろう。 「楽」の領域は「寺」に支配されていたのだから。 間違え易いが、これは仏教の寺院とは何の関係もない。 もともと「寺」とは、政務担当の丞相の下部機関たる官制の部局名。9つあり、それぞれの担当大臣が卿である。[太常寺,光禄寺,衛尉寺,宗正寺,太僕寺,大理寺,鴻臚寺,司農寺,太府寺] このうち、太常寺が祭祀と儀礼を管掌しており、兩京郊社、太樂、鼓吹、太醫、太卜、廩犧の六署からなる。 言うまでもなく、太樂と鼓吹が「楽」の担当部署。「楽」が統治の重要な一角を占めていた訳だ。 実務者は官人扱いだが、身分は賎民の筈。 ついでながら、「梨園」は長安城隣接の北東部の苑内に存在したことになる。しかし、禁中にも奏楽練習場があったに違いなく、西側は便利だが拙かろうから、その場所は東宮地区の北東部だろうか。さすれば、東内苑〜小児坊辺り城壁外施設が必要となるだろうから、光翊坊辺りにも施設があったと見てよかろう。 部署の性格からして、こうした「楽」は100%貴族と高級官僚のためのもの。 それ以外の人々は東市西側 東五条平康坊の妓館で楽しんだであろう。 [→唐朝長安の坊条名] この他に、人が集まる仏教寺院には掛け小屋があったに違いない。 「寺塔記」で、貴族高級官僚に無縁な西街にある永寿寺@永安坊西十条が、地理的にポツンと取り上げられているのは、おそらくそこの戯場が大人気だったことを知っていたからでは。 そこでは伝統的な「楽」より、軽業を始めとする数々の見世物や、胡の楽で大繁盛していたに違いない。成式は、それこそが、本来の都市文化であると認識していたかも。 話がとんだが、本文に戻ろう。 琵琶の続きである。 蜀將軍皇甫直,別音律,撃陶器能知時月。好彈琵琶。元和中,嘗造一調,乘涼臨水池彈之。本黄鐘而聲入蕤賓,因更弦再三奏之,聲猶蕤賓也。直甚惑,不ス,自意為不祥。隔日,又奏於池上,聲如故。試彈於他處,則黄鐘也。直因調蕤賓,夜復鳴彈於池上,覺近岸波動,有物激水如魚躍,及下弦則沒矣。直遂集客車水竭池,窮池索之。數日,泥下丈余,得鐵一片,乃方響蕤賓鐵也。 こちらは、段安節:「琵琶録」の話とウリ。ところが、登場人物は一変。 武宗初朱崖李白太尉有樂人廉郊者,師於曹綱。盡綱之能,嘗謂其流雲。教授人多矣,未嘗有此惺靈弟子也。郊嘗詣平原,別於池上彈蕤賓調,忽有一片方鐵躍出,有識者謂是蕤賓鐵也。蓋是指撥精妙,律呂相應耳。 琵琶を教えるテキストで、将軍はこまるから、楽師にしたのであろう。要するに、誰がどうしたということはどうでもよいのである。 現代的に言えば、"A-A#-B-C-C#-D-E-F-F#-G-G#"という十二律の調があり、和声現象がハーモニーを産み出すとの指摘。(黄鐘とは基音.) 成式が琵琶愛好家だったから、息子がその方面に進んだのかも。 時にインスピレーションが湧いて即興的に作詞作曲してみたりという生活だったのでは。演奏はたいしたものではないが、どうしてそんな不思議な境地に陥るのか、普段から気になっていたので琵琶ならママあるのではないかと、・・・。 王沂者,平生不解弦管。忽旦睡,至夜乃寤,索琵琶弦之,成數曲,一名《雀啅蛇》,一名《胡王調》,一名《胡瓜苑》,人不識聞,聽之莫不流涕。其妹請學之,乃教數聲,須臾總忘,後不成曲。 このなんとも言えぬ、和声こそが、音曲の深遠さであり、それは神がかりとは違う。 そんな風に考えると、成式のセンスはなかなかのもの。 と言うのは、「楽」の発祥は女媧であり、「笙簧」を発明したとされているのだ。・・・そんな伝説がなくても、最初のメロディー楽器は笛なのは自明。 しかし、元祖笛は骨の可能性もあろう。その音色を、魂の叫びと解釈することができるからだ。と言うのは、無機材の骨は鋭い音色だから。澄んで透き通った感じを受けるのである。(ちなみに、倭の神がかりの笛の龍笛は細い竹管。にもかかわらず金属的な響きがする。)一般には、有機材の植物管の音色は柔らかく、どうしても、暖かさを感じてしまう。 有人以猿臂骨為笛吹之,其聲清圓,勝於絲竹。 さて、最後の一行だが、その延長で神がかり話。 琴有氣。常識一道者,相琴知吉兇。 古事記のシーンを彷彿させる指摘だ。・・・帯中日子天皇が、神がかりした皇后の託宣を否定。いい加減に琴を弾いている真最中に崩御というもの。 一般的には、巫女が琴を掻き鳴らして神の降臨を図り、調子を見定めることで神意を判定することになっている。 成式好みとは程遠いお話。 神がかりとは、インスピレーションによる作曲だといわんばかり。 (参考邦訳) 段成式[今村与志雄 訳]:「酉陽雑俎 2」東洋文庫/平凡社 1980・・・訳と註のみで、原漢文は非掲載. 酉陽雑俎」の面白さの目次へ>>> トップ頁へ>>> (C) 2016 RandDManagement.com |