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■■■ 「酉陽雑俎」の面白さ 2016.4.18 ■■■

仏舎利と呼んでよいのかはわからぬが、"金輪王齒"を取り上げた。[→「珍習(文化)」]

梵那衍國
[バーミアン]有金輪王齒,長三寸。 [卷十 物異]

もちろん、西域を回った玄奘の話からの引用である。
中有佛齒及劫初時獨覺齒。長餘五寸。廣減四寸。復有【金輪王齒】。長三寸廣二寸。 [大唐西域記 巻一 梵衍那國]

ところが、巨大な涅槃像に注目した玄奘とは違い、成式はこの歯がどうしても気になったご様子。これは"佛牙真身舍利的真偽問題"があったからかも。
偽物をみせびらかす僧侶もいた訳で。・・・
貞觀[627-649年]中有婆羅[バラモン]僧,言得【佛齒】,所撃前無堅物。
於是士馬奔湊其處如市。
時傅奕方臥病,聞之,謂其子曰:
 「是非【佛齒】。吾聞金剛石至堅,物不能敵,惟羚羊角破之。
  汝可往試之焉。」
胡僧緘縢甚嚴,固求良久,乃得見。
出角叩之,應手而碎,觀者乃止。
今理珠玉者皆用之。
 [劉:「隋唐嘉話」]
成式、この収載は見合わせた訳である。なかなかのバランス感覚といえよう。

《大般涅槃經》を始めとする佛典の記載によれば、釋迦牟尼は入滅後荼毘にふされて弟子達が灰から佛陀遺骨を拾う。その其中に四顆の牙齒があったとされる。ここまでは誰も疑問をさしはさむことなない。
しかし、それを帝釋天、海龍宮、人間(2顆)に分配したとされると、わからなくなる訳である。
もちろん、その歯は唐にもやってきたのである。
至代宗大暦二年[767年]敕此寺三綱。如聞彼寺有大コ道宣律師。傳授得【釋迦佛牙】及肉舍利。宜即詣右銀臺門進來。朕要觀禮。[宋高僧傳 第十四卷]
その後どうなったのかは、はっきりしていないものの、佛牙舍利を納めると伝わる現存の中国内寺院は2つある。
 佛宮寺釋迦塔@1056年山西省應縣
 宝相寺太子靈踪塔@1112年山東上縣城西北隅
但し、有名なのは、建築物の方である。すでに観光地化しており、佛牙がどうなっているのかは面倒なので調べていない。

注意しておくべきは、成式は、あくまでも、「金輪王齒」と呼ばれているモノを記述している点。仏舎利を臭わすような話題はおくびにも出さないまま。
天竺帰りの倭僧と懇意だったようだから、その実情はご存知だったということ。・・・

《玄中記》云:大秦國出金剛,一名削玉刀,大者長尺許,小者如稻黍,着環中,可以刻玉。觀此則金剛有甚大者,番僧以充佛牙是也。[明 李時珍:「本草綱目卷十 金石之四石類下三 金剛石」]

要するに、ダイヤモンドの産地は大秦國であり、インドの僧がそれを佛牙として敬っているということ。冒頭の長三寸という大きさについては、白髪三千丈的な風土でのお話だからなんとも言い難しだが、南アフリカからは4インチの石が出たことは知られている。

尚、本物の歯についてのお話は、今村与志雄が所載に踏み切った逸文にでてくる。
 「齒為妨物」
 元退處士年踰七十口食
 無齒咀嚼愈壯
 常曰今方知齒為妨物

   [南宋 曽:「類説」卷四十二 酉陽雜爼]

逸話の主"元退"は官僚や隠遁者ではなく、在野の言わば素浪人。しかも、その人物の情報は全く見つからないらしい。何故に、そんな話を入れる必要があったのか、どうしても訝ってしまう。
ただ、ストーリーは単純。歯を完全に失った70才を越える高齢者が、歯は邪魔者に過ぎず、と意気がって元気に食事をしているというだけのこと。全部失うには早すぎる気もするが、おそらく柔らかいものばかり食べるお金持ちだったのだろう。
 丈夫八,腎氣實,髮長齒更;
  :
 五八,腎氣衰,髮墮齒槁;
  :
 八八,則齒髮去。
   
[黄帝内經 素問第一卷 上古天真論篇第一@前漢代編纂]

歯を全部失ってはたして上手く食べれるものか、はなはだ疑問だが、ステーキを歯茎で食べれるというの話もある。夏目漱石門下の内田百[1889-1971年]のエッセイでどんなものか見ておこう。・・・
目は人みに見えるし、鼻はにほひ耳は聞こえる。しかしながら口ぢゆうに齒が八本しかない。それが上下に別かれて、憐れな姿で殘つてゐる。
齒と云ふ物は、ただ一本一本生えてゐるだけでは何にもならない。上と下がうまく合はなければ用をなさない。私の歯は口の中に拔け残つてゐるだけで、上下別別に散らばつてゐるから、何の役にも立たない。邪魔になるばかりで、丸つきりない方が餘つ程ましである。齒がなかつたら齒莖で物が食へるだらう。甘木君の老婆は齒が一本も無くなつてから、齒莖でビフテキを噛み切り、雲丹豆をかじつた。
私と云えども、、もとからさうではなかつたので、段段に使い古したから無くなったのである。ただその後の處置をするのがいやなので、人からすすめられても決して入れ齒をしないと云ふ方針を守ってゐるから、拔けて無くなれば、それつきりと云ふ事になる。


マ、食べれないこともなさそうな感じはするが、思うに、こんな話を入れたのは、道教の「叩齒法」を皮肉ったものかも。鳴天鼓等の手法を精緻にまとめのは宋代からのようだが、すでに唐代で、歯固修行が流行っていたと見てよかろう。

(引用) 内田百:「鬼苑漫筆」全集第八巻 講談社, 第十四章「齒」 三 ビルの齒科醫
(参考) 易宏[北京大學文化遺産保護研究中心]「叩齒略考」弘道 2012年第3期/総第52期
(参考邦訳) 段成式[今村与志雄 訳]:「酉陽雑俎 5」東洋文庫/平凡社 1980・・・訳と註のみで、原漢文は非掲載.

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