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■■■ 「酉陽雑俎」の面白さ 2016.4.21 ■■■

咒語

恵果の師であった密教僧 不空金剛[705-774年]の降雨祈祷では、特段の手法があった訳ではなく、ただ咒語を念ずるだけだったようである。ただ、どんな咒語であったのかはわからない。
不空毎祈雨,無他軌則,但設數座,手簸旋數寸木神,念咒擲之,自立於座上,伺水神吻角牙出,目則雨至。 [卷三 貝編]

密教系に限らず、成式の頃のお寺では、咒語だらけだったと思われる。

「大悲心陀羅尼」の咒語もポピュラーだったのであろう。
寺[翊善坊保壽寺]有先天菩薩幀,本起成都妙積寺。開元初,有尼魏八師者,常念大悲咒。 [續集卷六 寺塔記下]

「七倶佛母處説淮提陀羅尼経」の場合も。
 題「約公院」四言:
印火,燈續焔青。(善繼)
七倶咒,四阿含經。(柯古)
各録佳語,聊事素屏。(夢復)
丈室安居,延賓不。(昇上人)

   [續集卷五 寺塔記上]

陀羅尼の咒語は普通に使われていたのかも。
 「辞」
  :
咒中陳秘計,論處正先登。
  :

   [續集卷五 寺塔記上]

社会的には、"神咒助力"を発揮する和尚様あっての仏教でもあり、咒語を使いこなせて初めて尊崇されるということなのだろう。
以下は少々長いが引用しておこう。
どのような理屈で魑魅魍魎の類を咒語で遠ざけることができるかの理屈がわかる。この和尚様、魅から、食を求め行く處に咒があってはかなわんから止めてくれと頼まれるのである。
鄭相在梁州,有龍興寺僧智圓,善總持敕勒之術,制邪理痛多著效,日有數十人候門。智圓臘高稍倦,鄭公頗敬之。因求住城東隙地,鄭公為起草屋種植,有沙彌、行者各一人。居之數年,暇日,智圓向陽科甲,有婦人布衣,甚端麗,至階作禮。智圓遽整衣,怪問:“弟子何由至此?”婦人因泣曰:“妾不幸夫亡而子幼小,老母危病。知和尚神咒助力,乞加救護。”智圓曰:“貧道本厭城隍喧啾,兼煩於招謝,弟子母病,可就此為加持也。”婦人復再三泣請,且言母病劇,不可舉扶,智圓亦哀而許之。乃言從此向北二十余裏一村,村側近有魯家莊,但訪韋十娘所居也。智圓詰朝如言行二十余裏,?訪悉無而返。來日婦人復至,僧責曰:“貧道昨日遠赴約,何差謬如此?”婦人言:“只去和尚所止處二三裏耳。和尚慈悲,必為再往。”僧怒曰:“老僧衰暮,今誓不出。”婦人乃聲高曰:“慈悲何在耶?今事須去。”因上階牽僧臂。驚迫,亦疑其非人,恍惚間以刀子刺之,婦人遂倒,乃沙彌誤中刀,流血死矣。僧忙然,遽與行者之於飯甕下。沙彌本村人,家去蘭若十七八裏。其日,其家悉在田,有人p衣掲襆,乞漿於田中。村人訪其所由,乃言居近智圓和尚蘭若。沙彌之父欣然訪其子耗,其人請問,具言其事,蓋魅所為也。沙彌父母盡皆號哭詣僧,僧猶紿焉。其父乃鍬索而獲,即訴於官。鄭公大駭,俾求盜吏細按,意其必冤也。僧具陳状:“貧道宿債,有死而已。”按者亦以死論。僧求假七日,令持念為將來資糧,鄭公哀而許之。僧沐浴設壇,急印契縛暴考其魅。凡三夕,婦人見於壇上,言:“我類不少,所求食處輒為和尚破除。沙彌且在,能為誓不持念,必相還也。”智圓懇為設誓,婦人喜曰:“沙彌在城南某村幾裏古丘中。”僧言於官,吏用其言尋之,沙彌果在,神已癡矣。發沙彌棺,中乃帚也。僧始得雪,自是絶珠貫,不復道一梵字。 [卷十四 諾記上]

よくわからない話もある。
飛翔できない隱者が庵を結び、そのお方のためなら命を投げ出すという烈士に、夜中の守護役を頼むのだが、無言というのが条件。その約束を守れなかったという話だが、口をきかずに呪文を唱えていたという。
と言うことは、念ずるだけでもよいようだ。
釋玄奘《西域記》雲:“中天婆羅<廣尼>斯國鹿野東有一涸池,名救命,亦曰烈士。昔有隱者於池側結庵,能令人畜代形,瓦礫為金銀,未能飛騰諸天,遂築壇作法,求一烈士。曠不獲。後遇一人於城中,乃與同遊。至池側,贈以金銀五百,謂曰:‘盡當來取。’如此數返,烈士求效命,隱者曰:‘祈君終夕不言。’烈士曰:‘死盡不憚,豈徒一夕屏息乎!’於是令烈士執刀立於壇側,隱者按劍念咒。 [續集卷四 貶誤]

それが高じると、なんだろうが、「咒」の御利益狙いが始まるし、咒語も秘匿されずに、誰でもが口ずさむようになる。
寝る前は「婆珊婆演底」で、悪夢の恐怖から逃れることができるそうだ。
雍益堅雲:“主夜神咒,持之有功コ,夜行及寐,可已恐怖惡夢。咒曰‘婆珊婆演底’。”
これは、華嚴經六十八に登場する主夜神で善財童子五十三に入っているそうだ。
この程度ならわかるが、思った通りのサイコロの目が出る呪文もある。賭博では、この手の言葉は色々ありそうだが、唐の時代に大流行したのかも。
宋居士説,擲骰子咒雲“伊諦彌諦彌掲羅諦”,念滿萬遍,采隨呼而成。 [卷五 怪術]

結構、こうした言葉は有名だったようである。
山行念儀方二字。可卻蛇蟲。念儀康二字。可卻狼虎。念林兵二字。可卻百邪。夜行念主夜神咒曰婆珊婆演帝。可避惡夢。賭博時念伊諦彌諦。彌羯羅諦。萬遍。則賭博必勝。又渡江河者。朱書禹字佩之。免風濤。 [堅瓠續集卷二咒語@中国古典戯曲資料庫]

オマジナイ言葉は若い人を中心として現代日本でも極めて盛んなようだが、成式時代の用語は廃れてしまったようである。口コミで広がるものだろうから、流行があるのだろう。

マ、咒語集めで登場する言葉とは、とこでもあるような要求に応えたもので、それぞれの地では問題に応じた咒語が使われていたと見てよかろう。
だからこそ詐欺師も出てくる訳で。
しかし、それがバレるまでは咒語は効くのである。
   「壺と貝」<驢僧の呪力>
世有村人供於僧者,祈其密言,僧紿之曰:“驢”。其人遂日夕念之。經數,照水,見青毛驢附於背。凡有疾病魅鬼,其人至其所立愈。後知其詐,咒效亦歇。 [續集卷三 支諾下]

問題がでれば、先ずは、呪師という社会だから当然のこと。ただ、呪師不要と言い、その能力をはるかに越える力を発揮する人もいたりして。一人で鬼の頭を落としたのだから、それこそ呪師ビックリの図である。・・・
奉天縣國盛村百姓姓劉者,病狂,發時亂走,不避井塹,其家為迎禁咒人侯公敏治之。公敏才至,劉忽起曰:“我暫出,不假爾治。”因杖薪擔至田中,袒而運擔,状若撃物。良久而返,笑曰:“我病已矣。適打一鬼頭落,埋於田中。”兄弟及咒者猶以為狂,不實之,遂同往驗焉。劉掘出一髑髏,戴赤發十余莖,其病竟愈。是會昌五年事。 [續集卷一 支諾上]

要するに、祈祷は誰でもできるが、咒語を駆使するのは専門家だけということ。
下記からすると、鬼もひょっとすると使えるかも、と考えた人もいたようだ。普通は、道士を迎えて上章を流じ,梵僧に咒術を行ってもらったりするのだろうが。ただ、しかれども効かず、と。
劉積中,常於京近縣莊居。妻病重。於一夕劉未眠,忽有婦人白首,長才三尺,自燈影中出,謂劉曰:“夫人病,唯我能理,何不祈我。”劉素剛,咄之,姥徐戟手曰:“勿悔!勿悔!”遂滅。妻因暴心痛,殆將卒,劉不得已祝之。言已復出,劉揖之坐,乃索茶一甌,向口如咒状,顧命灌夫人。茶才入口,痛愈。後時時輒出,家人亦不之懼。經年,復謂劉曰:“我有女子及笄,煩主人求一佳婿。”劉笑曰:“人鬼路殊,固難遂所托。”姥曰:“非求人也,但為刻桐木為形,稍上者則為佳矣。”劉許諾,因為具之。經宿,木人失矣。又謂劉曰:“兼煩主人作鋪公、鋪母,若可,某夕我自具車輪奉迎。”劉心計無奈何,亦許。至一日過酉,有仆馬車乘至門,姥亦至,曰:“主人可往。”劉與妻各登其車馬,天K至一處,朱門崇,籠燭列迎。賓客供帳之盛,如王公家。引劉至一廳,朱紫數十,有與相識者,有已歿者,各相視無言。妻至一堂,炬如臂,錦翠爭煥,亦有婦人數十,存歿相識各半,但相視而已。及五更,劉與妻恍惚間卻還至家,如醉醒,十不記其一二矣。經數月,姥復來,拜謝曰:“小女成長,今復托主人。”劉不耐,以枕抵之,曰:“老魅敢如此擾人。”姥隨枕而滅。妻遂疾發,劉與男女之,不復出矣。妻竟以心痛卒。劉妹復病心痛,劉欲徙居,一切物膠著其處,輕若履亦不可舉。迎道流上章,梵僧持咒,悉不禁。劉嘗暇日讀藥方,其婢小碧自外來,垂手緩歩,大言:“劉四頗憶平昔無?”既而嘶咽曰:“省近從泰山回,路逢飛天野叉攜賢妹心肝,我亦奪得。”因舉袖,袖中蠕蠕有物,左顧似有所命曰:“可為安置。”又覺袖中風生,沖簾幌,入堂中。乃上堂對劉坐,問存歿,敘平生事。劉與杜省躬同年及第,有分,其婢舉止笑語無不肖也。頃曰:“我有事,不可久留。”執劉手嗚咽,劉亦悲不自勝。婢忽然而倒,及覺,一無所記。其妹亦自此無恙。 [卷十五 諾記下]

(参考邦訳) 段成式[今村与志雄 訳]:「酉陽雑俎」東洋文庫/平凡社 1980・・・訳と註のみで、原漢文は非掲載.
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