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■■■ 「酉陽雑俎」の面白さ 2016.4.22 ■■■

仏典の影響力

《續齊諧記》の怪奇話が掲載されている。
著者の南梁 呉均[469-520年]は、《梁書》本傳によれば、その文体は清抜にして古氣有りということで、身分は低かったにもかかわらず、大いに重用されたという。
流行りだったジャンルも書かされたということであろう。

そこから、ピックアップされたのは、奇妙な、"御馳走,男,女"の「口中吐出」話。
ところが、原文の最後の文章だけは引用せず。・・・
[主人公]大元[376-379年]中為蘭台令史,以盤餉侍中張散。散看其銘題,云是永平三年[60年]作。
成式、ここが大いに気になったと見える。これは仏典に出てくる「吐出一壺」の改作ではないかと示唆。

釋氏《譬經》雲:
“昔梵誌作術,吐出一壺,中有女,與屏處作家室。梵誌少息,女復作術,吐出一壺,中有男子,復與共臥。梵誌覺,次第互呑之;柱杖而去。”
余以呉均嘗覽此事,訝其説,以為至怪也。
 [續集卷四 貶誤]
現存の《譬經》とは若干違うが、どう見ても、ソレが元ネタ。このように、奇譚モノにも仏典の影響がみられる点を指摘しておきたかったのであろう。

成式は、呉均は"怪"と見たとして〆ているが、言いたかったのはソコではなく、原作の核となっている「問題」提起がわからないように変えてしまった点だろう。

その話がどんなものか引用させて頂こう。・・・
昔有國王持婦女急,
正夫人謂太子:「我為汝母,生不見國中,欲一出,汝可白王。」
如是至三。太子白王。王則聽。太子自爲御車。
出群臣於道路。奉迎爲拜夫人。出其手開帳。
令人得見之。太子見女人而如是。便詐腹 画像痛而還。夫人言。我無相甚矣。太子自念。我母當如此。何況餘乎。
夜便委國去入山中遊觀。
時道邊有樹。下有好泉水。太子上樹。逢見梵志獨行來入水池浴出飯食。
作術吐出一壺,壺中有女人,與於屏處作家室。梵志遂得臥,女人則復作術,吐出一壺,壺中有年少男子,復與共臥已便呑壺。須臾梵志起,復内婦著壺中,呑之已,作杖而去。
太子歸國白王:
 「請道人及諸臣下,持作三人食,著一邊。」
梵志既至言:
 「我獨自耳。」
太子曰:
 「道人當出婦共食。」
道人不得止,出婦。太子謂婦:
 「當出男子共食。」
如是至三,不得止,出男子共食已便去。
王問太子:「汝何因知之?」
答曰:
 「我母欲觀國中,我為御車,母出手令人見之。我念女人能多欲,便詐腹痛還。入山見是道人藏婦腹中當有姦,如是女人姦不可絶,願大王赦宮中自在行來。」
王則勅後宮中,其欲行者從志也。
師曰:
 「天下不可信女人也。」

   [出典:呉 康僧会 訳:「旧雑譬喩経」卷上(一八)]

この経はインドの通俗的言語だったパーリ語。そうなると、訳者はおそらく「康国(サマルカンド)」の人ということ。民衆の口伝モノかも。

一見、穏やかな話に映るが、焦点はあくまでも妻の不貞。そんな状況に嫌気がさし、出家というのが仏教系のお話である。俗世間で生活すると悩みはつきぬネという感じ。
しかし、中華帝国あるいは、ペルシア帝国で不倫発覚となれば、妻と愛人は即刻処刑以外にありえまい。そのままの形でこのお話を流布するのは難しかろう。
従って、筋は似ていても、社会の状況を勘案して改作されることになる。それが世の常、と成式は言いたかったのでは。

ご存知のように、ペルシアの「千夜一夜物語」では、妻の不貞を目のあたりにして、女性不信に陥った王が一夜を過ごした女性を次々と殺すようになり、お声がかかったシェヘラザードが殺されまいと毎夜の連続物語を始めたとの設定。上記のテーマも同根と言えよう。従って、このモチーフのお話もあっておかしくなかろう。
そう思うのは、長安ではソグド商人が活躍していたからである。成式も当然ながら大いに交流を楽しんでいた筈だから、「千夜一夜物語」の原形も耳にしていた可能性は高かろう。
なんだ。ペルシアでは仏典の改作版が流行っているのかと気付いていたのでは。それなら、中華帝国にもあっておかしくないな、ということで発見。

シンデレラの逆コースとも言えよう。
   「シンデレラの原典」

そう言えば、この成式記載のお話を西鶴が使っているそうだ。(生駒山での木綿バイヤーと仙人とのシチュエーション。)

成式は、仏教の影響は結構あると見ていた筈で、そのような例をもう一つあげている。
登場人物は知り合いのようだが、どういう人なのかは全くわからぬ。ただ、奇妙な言い草が好きな人のようだ。成式好みかも。
訳のわからぬ発言があったので、どういうことか考えていて、ハタと気付いたようである。
アッ、阿羅邏だ、と。
予別著鄭渉好為査語,
毎雲:
 “天公映冢,染豆削棘,不若致余富貴。”
至今以為奇語。
釋氏《本行經》雲:
 “自穿藏阿邏仙言,磨棘畫羽為自然義。”
蓋從此出也。
 [續集卷四 貶誤]

阿羅邏仙人とは釈尊が出家して最初に解脱の道を尋ねた人である。
有一仙人住止之所。名日穿藏。彼有一仙。名阿羅邏。彼仙已得決定正智清淨之眼。
  :
有偈説
  摩訶釋種聖王子 善巧美語慰諸仙
  決欲前向羅邏邊 所有諸仙還自住

   [闍那崛多 訳:「佛本行集経 巻二十」]

棘や羽とは、父親の言である。・・・
在胎時。手足胸背。腹肚髮爪。諸節支脈。自然而成。或復有人。得成身已。還復破壞。或有人言。既破壞已。還自然成。故先典中。有如是語。棘針頭尖。是誰磨造。鳥獸色雜。是誰畫之。此義自然。無人所作。亦復不可欲得即成。世間諸物不得隨心即使迴轉。
而有偈説
  棘刺頭尖是誰磨 鳥獸雜色復誰畫
  各隨其業展轉變 世間無有造作人

   [闍那崛多 訳:「佛本行集経 巻二十一」]

(引用) SAT大蔵経テキストデータベース@東京大学大学院人文社会系研究科 次世代人文学開発センター
(参考) 趙心如:「『西鶴諸國故事』越界之研究」第五章 現実と非現実の境界─夢─ 第二節 「残る物とて金の鍋」國立政治大學「日本語文學系學位論文」 2007
(参考邦訳) 段成式[今村与志雄 訳]:「酉陽雑俎」東洋文庫/平凡社 1980・・・訳と註のみで、原漢文は非掲載.

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