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■■■ 「酉陽雑俎」の面白さ 2016.4.28 ■■■

妖狐

「酉陽雑俎」で注目を浴びる箇所は数々あるが、狐についての話も様々な観点から頻繁に引用される。そこで、それについての考察というか、成式先生のご教示に沿って簡単にまとめてみることにした。

一つは、【北斗踏みという道教における儀礼】を狐に適応した話。・・・
舊説野狐名紫狐,夜撃尾火出。將為怪,必戴髑髏拜北鬥,髑髏不墜,則化為人矣。 [巻十五 諾皋記下]
むかしの説に、野狐の名は紫狐といい、夜陰に尾を撃つと、火を発する。
怪しい事をしようとする前には、かならず髑髏をかしらに戴いて北斗星を拝し、その髑髏が墜ちなければ、化けて人となると言い伝えられている。
 [岡本綺堂:「中国怪奇小説集 酉陽雑爼」 九尾狐@青空文庫]

もう一つも、これに似ている。やはり、道教がらみで【天狐】の話。・・・
劉元鼎為蔡州蔡州新破,食場狐暴,劉遣吏生捕,日於球場縱犬逐之為樂。經年,所殺百數。後獲一疥狐,縱五六犬皆不敢逐,狐亦不走。劉大異之,令訪大將家獵狗及監軍亦自誇巨犬,至皆弭耳環守之。狐良久才跳,直上設廳,穿臺盤出廳後,及城墻,俄失所在。劉自是不復令捕。道術中有天狐別行法,言天狐九尾金色,役於日月宮,有符有日,可洞達陰陽。 [巻十五 諾皋記下]
劉元鼎が蔡州を治めているとき、新破の倉場に狐があばれて困るので、劉は捕吏をつかわして狐を生け捕らせ、毎日それを毬場へ放して、犬に逐わせるのを楽しみとしていた。こうして年を経るうちに、百数頭を捕殺した。
後に一頭の疥のある狐を捕えて、例のごとく五、六頭の犬を放したが、犬はあえて追い迫らない。狐も平気で逃げようともしない。不思議に思って大将の家の猟狗を連れて来た。監軍もまた自慢の巨犬を牽いて来たが、どの犬も耳を垂れて唯その狐を取り巻いているばかりである。暫くすると、狐は跳って役所の建物に入り、さらに脱け出して城の墻に登って、その姿は見えなくなった。
劉はその以来、狐を捕らせない事にした。道士の術のうちに天狐の法というのがある。天狐は九尾で金色で、日月宮に使役されているのであるという。
[岡本綺堂:「中国怪奇小説集 酉陽雑爼」 九尾狐@青空文庫]

その一方で、道教とは一寸違う雰囲気が満ちている【狐との結婚】の話。・・・
帝女子澤,性妬,有從婢散逐四山,無所依托。東偶狐貍,生子曰殃。南交猴有子曰溪。北通所育為[卷四 境異]
帝の娘子澤は嫉妬深い性格。そこで、従女婢が放逐され山を彷徨。東方で狐に遇い子を産んだ。(蜀の西南の山中に棲むと言われている[アカゲザルか?]は人間のように歩くそうだが、人間の女性を攫い子供を産ませるとの話が知られている、それとよく似ている。)

「狐信仰」の本質をさりげなく示唆するのが成式流。

楽天流だと、そのような点に興味を覚える以前に政治的な問題意識が先に立ってしまう。【古冢狐】という題だが、【有狐媚】と言うべきか。
ただ、武則天をそのようにみなしているのは、駱賓王の檄文あってのこと。帝を惑わし統治能力喪失させるなど稀代の悪妃ダ!悪辣非道!反乱勃発の元凶の狐を撃て!という調子なのだから凄い。[→「李王朝前期略史」]
  「新楽府 古冢狐」 白居易
  古塚狐,妖且老,化爲婦人顏色好。
  頭變雲鬟面變妝,大尾曳作長紅裳。
  徐徐行傍荒村路,日欲暮時人靜處。
  或歌或舞或悲啼,翠眉不擧花顏低。
  忽然一笑千萬態,見者十人八九迷。
  假色迷人猶若是,真色迷人應過此。
  彼真此假倶迷人,人心惡假貴重真。
  狐假女妖害猶淺,一朝一夕迷人眼。
  女爲狐媚害即深,日長月搏M人心。
  何況褒妲之色善蠱惑,能喪人家覆人國。
  君看爲害淺深間,豈將假色同真色。

要するに、淫蕩にして艶魅な妃によって、黄昏君にされてしまうと妃之言盲従状態と化すということ。結果、国乱れるの図である。狡知にして蠱惑な悪妃は、まさに狐ということで、一般用語化に成功したといえそう。その背後には、「帝紂(殷朝最後)・・・妲己」観があるらしいが、成式はその辺りを感じさせる言葉は使っていない。と言うか、唐代以前には蠱惑とか女妖の意味などなく、狐トーテム氏族が存在していた、と指摘している訳だ。

それは当然のことで、「狐」とは、"武則天改國號周時,追尊的母親【山氏】為玉京太后"の動きを揶揄している言葉でもある。我は狐系氏族であるぞ、とばかり李朝簒奪を図ったとも言えるからだ。

もともと、狐に"淫蕩にして艶魅な"イメージは皆無。・・・
 「南山」 [詩經 國風 齊]・・・雄狐は虎視眈々と狙っているところ
南山崔崔,雄狐綏綏。魯道有蕩,齊子由歸。既曰歸止,曷又懷止!---
 「北風」 [詩經 國風 ]・・・亡命を急いでいるところ
---莫赤匪狐,莫K匪烏,惠而好我,攜手同車,其虚其邪,既亟只且。

そもそも、淫蕩に映るなら、"虎の威を借る狐"のような比喩表現が生まれるとは思えまい。
荊宣王問群臣曰:
 「吾聞北方之畏昭奚恤也,果誠何如?」
群臣莫對。江一對曰:
 「虎求百獸而食之,得狐。狐曰:
  『子無敢食我也。天帝使我長百獸,
   今子食我,是逆天帝命也。
   子以我為不信,吾為子先行,
   子隨我後,觀百獸之見我而敢不走乎?』
 虎以為然,故遂與之行。
 獸見之皆走。虎不知獸畏己而走也,以為畏狐也。
 今王之地方五千里,帶甲百萬,而專屬之昭奚恤;
 故北方之畏奚恤也,其實畏王之甲兵也,猶百獸之畏虎也。」

  [西漢 劉向:「戰國策 巻十四 楚一」荊宣王問群臣]

それどころか、王権の視点では、国乱どころか、仁とか吉兆の獣とされていたのである。・・・
君子曰:「樂樂其所自生,禮不忘其本。古之人有言曰、狐死正丘首、仁也。」 [漢 載聖 編纂:「禮記」檀弓上第三]
禮記曰:天子狐白之裘,諸侯青,卿大夫狐掖。 [藝文類聚卷九十五 獸部下]

どういうことかといえば、「三徳」あり。されど、妖というだけ。
[=妖]獸也。鬼所乘之。有三徳:其色中和,小前大後,死則丘首。從犬瓜聲。  [漢 許慎「説文解字」]
どうも、その色が中和(=中華の黄色)なのが重要らしい。黄帝ならぬ、黄獣ということで、徳ありと見なした模様。・・・簡単に言えば毛皮が素敵というに過ぎまい。
次いで、体つきが先細りなのが縁起よしらしい。ゆくゆくの子孫繁栄を象徴していると見るのだろうか。・・・太い尻尾が立派であるということ。
そして、死に当たっては故郷の丘の方を見るとされる。出自(血族と本貫地)が重視される風土に合っているということで。・・・傷ついていても、巣穴目指して必死にもがく姿が目に焼き付いていたのだろう。

おそらく、瑞祥獣とされたのは、こんな点から。(見方を変えれば、北方狐トーテム部族漢民族化のお祝い。)ただ、それは狐に限る訳ではないが。

狐トーテム氏族が強大化していたせいもある。戦いを好まない部族であったことも大きかろう。
夏王朝の始祖禹は三十にして未婚。塗山氏の娘との結婚で王権が確立するという下り。
結婚に踏み切ると表明し、それは必ず報われると宣言。すると、「九尾の白狐」が現れるのである。白色は服従、九尾は王者の証だとする。(北極狐の尾の毛皮が貢がれたということでは。)・・・
禹三十未娶、行到塗山、恐時之暮、失其度制,
乃辞云:
 「吾娶也、必有應矣。」
乃有白狐九尾造於禹。
禹曰:
 「白者、吾之服也。其九尾者、王之証也證也。
  塗山之歌曰:
   "綏綏白狐,九尾。我家嘉夷,來賓為王。成家成室,我造彼昌。天人之際,於茲則行。"
  明矣哉!」禹因娶塗山,謂之女嬌。取辛壬癸甲,禹行。十月,女嬌生子啓。啓生不見父,晝夕呱呱啼泣。

[東漢 趙曄 撰:「呉越春秋」卷六 越王無余外傳]

禹行功,見塗山之女,禹未之遇而巡省南土。塗山氏之女乃令其妾待禹于塗山之陽,女乃作歌,歌曰「候人兮猗」,實始作為南音。周公及召公取風焉,以為周南、召南。
[秦 呂不韋:「呂氏春秋」 音初篇](佚文には九尾白狐話)
なお、九尾狐の初出は以下らしい。
又東三百里,日青丘之山。其陽多玉,其陰多青。有獣焉,其状如狐而九尾,其音如嬰児,能食人;食者不蠱。[「山海経 南山経」次一経]
《晉郭璞九尾狐贊》曰:青丘奇獸,九尾之狐,有道祥見,出則銜書,作瑞於周,以靈符。 [藝文類聚: 卷九十五: 獸部下]

ちなみに、五帝の系譜はこうなる。(所説あり。)
[1]黄帝

[-]玄囂/少昊(黄帝の長子)

[2]/高陽(黄帝の次子 昌意の子)

[3]/高辛(玄囂の孫)
│  正妃:姜原─[子]→弃(周王朝祖)
│  次妃:簡狄─[子]→契(殷王朝祖)

[-]摯(堯の兄)

[4]堯/放勲 
├ 丹朱(堯の嫡男),共工(諸侯)  鯀(禹の父)

[5]舜

夏后:夏朝開祖】禹(の孫)
├ 益

啓(【塗山氏】の女嬌と結婚して生まれた禹の子)
│・・・初の帝世襲制

太康

ここから、狐が、化けて人を騙すとか、淫靡な雰囲気を醸し出すという話につながる訳がなかろう。それは何故か考えたらというのが成式先生のご提案。
要するに、隋朝の楊氏、唐朝の李氏にとっては面白くない話だったからこその変化。上記の系譜で登場する氏族(貴族)との抗争が根底にあるということ。武則天が李朝断絶を図ったのは、その流れであり、だからこその狐氏族の復活なのだ。
つまり李氏の動きに政治宗教たる道教がのっかったと考えるのが自然。李氏は、老子の系譜であり、それこそが本流だと。
結果、あたりさわりなき定義がなされると、こうなる。・・・
狐五十能變化成婦人。百為美女、為神巫、或為丈夫,與女人交接;能知千里外事;善蠱魅,使人迷惑失智。千即與天通為天狐。 [「玄中記」]
狐は50歳にして、能く変化し婦人となる。100歳にして美女、神巫に。或いは、丈夫となって女人と交接。
千里の外の事を知る能力ありて、蠱魅を得意とし、人迷惑、かつ智を失わせしむ。
千歳で、即ち天と通じ、天狐となる。
最終的には、狐は道士同様な扱いを受けることになり、成式が指摘しているように、方術を駆使する妖獣と化す訳だ。
■修練を積めば仙になれるという拝星斗方術
■性交を通じ精気を吸いつくす採精気方術

(参照) 中塚亮「妲己と狐─「封神演義」に見る, イメージ及び物語の成立に至る一過程─」金沢大学中国語学中国文学教室紀要第3輯
(参考邦訳) 段成式[今村与志雄 訳]:「酉陽雑俎 4,5」東洋文庫/平凡社 1980・・・訳と註のみで、原漢文は非掲載.

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