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■■■ 「酉陽雑俎」の面白さ 2016.5.9 ■■■

老子

成式は状況を冷徹に見て、余計なことを一切言わず、読者はよくかんがえよ、と突き放している訳だが、だからこそ、ココはこう読むべきとの声が伝わってくるのである。

唐史を簡潔に伝える「酉陽雑俎」冒頭の箇所など典型である。すでにその辺りは述べたが、[→]どういうことか誤解を恐れずに申し上げておこう。・・・
上嘗夢曰:"鳥飛,蝙蝠數十逐而墮地。"
驚覺,召萬回僧曰:“大家即是上天時。”
翌日而崩。
 [巻一 忠誌]
中宗[656-710年]が夢を見て、目醒めて高僧を召す。
 「白烏が飛んでいると
  それを数十の蝙蝠が追いかけ
  ついに地に落ちた。」と。
万回上人は、「お上が天に昇られる時でございます。」と。
翌日、崩御。


小生は自殺を勧めたとみる。
そうなると、僧侶が半ば強要したかに読めてしまうが、そういうことではない。
すでに宮廷全体が中宗抹殺で固まっていたということ。それを正直に伝えたにすぎない。いかんともし難い状況になり申した、と。

これでおわかりのように、「酉陽雑俎」はいかようにも読めるようにできている。これこそが類書にはない面白さ。
おそらく、サロンでの雑談が様々な方向に展開し、シリアスな問題であると頭をかかえこんだり、はたまた抱腹絶倒に至ったりしたのであろう。
それをママで出す訳にもいかず、棘を抜き、骨だけのお話に仕立てたのだと思う。従って、わかる人にはわかるという代物。現代人にとっては手強い書であり、的確な注無しだと、奇譚収集本として讀む以外に手はない。

しかし、注があっても、よくわからない箇所だらけなのが現実。
老子を記載した部分もどう読むか、考えさせられる。
もっとも、老子に関しては、「酉陽雑俎」に限らず、ピンとこない解説が横行しているから、成式の記述を読む方が本質に迫れるかも。

と言うことで、その辺りに挑戦してみよう。

記載の全体観だが、老子の素性については様々な説があることを指摘しているに過ぎない。
コメント無しの並記である。 [巻二 玉格]・・・
[1]
老君母曰玄妙玉女。天降玄黄,氣如彈丸,入口而孕。凝神瓊胎宮三千七百年,赤明開運,在甲子,誕於扶刀。蓋天西那王國,郁寥山丹玄之阿。
天から玄黄の気が降下し、弾丸の如く口に飛びこみ妊娠。
その3,700年後に老子誕生。
時は、甲子。場所は、西那王國 郁寥山 丹玄 阿。

常人10ヶ月のところが3,700年なのだから、百歳まで生きるとは444,000年の寿命にあたる。

[2]
又曰老君有胎八十一年,剖左掖而生,生而白首。
体内に81年間いて、左の掖を剖けて誕生。
生まれながらに白髪。従って、「老子」ということになる訳だ。
[東晋 葛洪:「神仙伝」巻一 老子]
始めから白髪であり、老化の余地無しである。

[3]
又曰青帝劫末,元氣改運,托形於洪氏之胞。
青帝は、元気を劫す。運を改め、洪氏の胞に形を托す。
神話だろうが、なんのことやら。このことは、他の話は神話ではない可能性が高い。

[4]
又曰李母本元君也,日精入口,呑而有孕。三色氣繞身,五行獸衛形,如此七十二年,而生陳國苦縣ョ郷渦水之陽、九井西李下。具三十六號,七十二名。又有九名,又千二百。
老子の母は元君。
日精が口中に入り、呑むと、孕んだ。
三色の気が身にまとわりつき,五行の獸が身を警護。
72年経って誕生。場所は、陳國 苦縣 ョ郷渦水 陽。
そこは九井で、西側の李の下で生まれた。
号は36、名は72あったが、さらに9つの名があった。
結局のところ、1,200の老君ということになる。

李姓の由来が記載されている。しかも、口妊娠の気は玄黄でなく"陽"であるし、五行や、龍の9井にも触れており、中華帝国思想に合わせた話に仕上がっていることになる。

[-]
老君又曰,九大上皇,洞真第一君,大千法王,九靈老子,太上真人,天老玄中法師,上清太極真人,上景君等號。
老君の有名な号はこんなところ。・・・九大上皇、洞真第一君、大千法王、九靈老子、太上真人、天老玄中法師、上清太極真人、上景君。
[-]
形長九尺,或曰二丈九尺。耳三門,又耳附連環,又耳無輪郭。眉如北鬥,色香C中有紫毛,長五寸。目方瞳,豪リ貫之,有紫光。鼻雙柱,口方,齒數六八。頤若方丘,如壟,龍顏金容。額三理,腹三誌,頂三約把,十蹈五身,獄ム白血,頂有紫氣。
身体の特徴だが、身長は二丈九尺。
耳は三門で連環が付いているが輪郭し。(3穴)
眉は北斗型でその色は緑にして、なかに5寸の紫毛。
眼は方形で緑の瞳を筋が貫き紫光が有る。
鼻は雙柱。(2柱)
口は方形で68本の歯。
頤は方形で丘のよう。
頬は壟。龍顏にして金容。
額は3里。
[今村与志雄注は「広記」の"額有三十五達理"とする。]
腹には3ッの誌(あざ)。
頭頂は3約。
10蹈5身。
[今村与志雄注は「広記」の"手把十文足蹈五"とする。]
獄ム白血にして、頭頂に紫氣有り。


今村与志雄の評価は、"現代から見て、奇々怪々な容貌としかいえない。"
その通り。流石のコメント。

釈尊のように、シャカ族王子といった実在の人物にしてはならないからでもある。思想的な筋が通っているなら、教祖の生き様を知ることは信仰を強化することになるが、道教はそうはいかない。なんでもござれなので、奇々怪々であればあるほどよい。
釈尊を仏像化する際には、寓話を象徴するような形で定式化されたに違いない。いわば、思想を昇華させた結晶としての作品でもある訳で。従って、寺塔記のように仏像観賞記が成り立つ訳である。
一方、老子にはそのような思想的な話は原理的に存在しない。像を造るとなれば、老人の高級官僚的な姿で十分。そして、その本質は奇々怪々な容貌となるだけのこと。つまり、部分毎になんらかの意味付けできるなら、それを取り入れ、寄せ集めるだけ。当然、ゴチャゴチャ。それでよいのである。

マ、そこらが道教が理解し難き原因でもあろう。常に、混沌とした宗旨の印象を与えてしまうからである。
その象徴こそ、この老子の容貌といえよう。

ただ、混沌と言っても、教団がバラバラになることを意味している訳ではない。ゴチャゴチャしていようが、老子は始祖かつ最高指導者としての神だからだ。つまり、その神のもとに官僚組織が編成され、それぞれのポジションが決まるのである。ヒトも神もすべてが、統制下におかれる。もちろん、鬼や妖怪も例外ではない。

しかし、それはがんじがらめな組織を意味している訳ではない。
官僚的ヒエラルキーの一員とは言い難い、神仙を目指す隠遁家も大勢存在しているからだ。彼等は、傍目にはどう見ても自由人である。(と言っても、おそらく文書主義者であり、官僚制度とは親和性は悪くない思われる。)
ここらの矛盾を抱えながら、それを気にしないのが、道教の特質でもあろう。

南朝梁の文学評論家劉[465-532年]の著「滅惑論」には以下の如く記載されている。
"厥品有三。上標老子。次述神仙。下襲張陵。太上為宗尋柱史嘉遯。實惟大賢。著書論道貴在無為。理歸靜一化本虚柔。然而三世不紀慧業靡聞。斯迺導俗之良書。非出世之妙經也。若乃神仙小道名為五通。福極生天體盡飛騰。神通而未免有漏。壽遠而不能無終。功非餌藥コ沿業修。於是愚狡方士偽託遂滋。張陵米賊述紀昇天。葛玄野竪著傳仙。公愚斯惑矣。智可罔歟。今祖述李叟。則教失如彼憲章神仙則體劣如此。上中為妙猶不足算。況効陵魯事章符。設教五斗。"[CBETA 漢文大藏經]

つまり、[1]老子の哲学、[2]神仙思想、[3]護符/祭祀/呪術を相互に関係付けるのは難しいということ。

ここが肝。このような"批判"は老子信仰者にとってはどうでもよいからだ。
一番の関心事は、不老不死であり、それを実現させるための現生の栄華。それなら、「気」を養う内丹術と昇仙/不老不死を目指す服食(外丹)だから、[2]だけとはいかない。[1]も[3]も直接的に関係するからである。
実際、「老子」の真髄は、不死とその母の存在にありそうだし。・・・谷神不死,是謂玄牝。玄牝之門,是謂天地根。綿綿若存,用之不勤。[老子 六章](仏教徒から見れば、道教の核は「道」に映るが、道教信仰者からみれば「道」を追求することで、不老不死に近づくというだけのこと。)

この宗教の特徴は、一般の信仰のように死後(あるいは転生)の平穏を目指すのではなく、基本的には不死を目指すことにある。従って、他の信仰と比較しても、それこそオレンジとアップル的な議論になりかねないのだ。

つまり、この観点で、各地の土着的な健康追求に関係する話をひたすら取り込んだ宗教と見て間違いないだろう。
成式がいみじくも指摘しているように、1,200の老君が存在する世界なのである。仏教の多数の仏とは全く次元が違う。
本質的にゴッタ煮状態ということ。
ところが、政治的には、これを一つの宗教にまとめあげる必要がある。当然、みかけだけであるから、その中身は複雑化の一途。と言うか、部外者にそう映るにすぎない。宗教だから、一本の筋があるべしというドグマで見ればその通り。しかし、そんな見方はなんの意味もない。なんだろうと取り込める柔軟性を持つことこそが、ドグマなのだから。

それは、決して滅茶苦茶な宗教であることを意味してはいない。それどころか、仏教に対抗するために、その宗教勢力の動きを学んで、恣意的に教義を複雑化させたと言えなくもないからだ。
なにせ、外国人とつきあえる能力があるインテリ中心の仏教勢力に対抗しなければならないのである。複雑であればあるほど、理解し難くなり、高度なものと解釈されがちなのだから。
それは、四分五裂しがちな仏教勢力を反面教師にした結果でもある。仏教経典は大部なので、相互矛盾を感じさせる記載はいくらでも発見できる。しかし、それを解決したところで、たいした意味はない。しかし、当時者はそうはいくない。筋を通さねばならぬからだ。そのため、教理に熱をあげることになり、教条主義化する。
一方の道教は、様々な信仰を用語だけで見かけ一つに集めているだけだから、離合集散は自由自在。利あらば柔軟に変われるのである。

このように考えれば、インテリなど社会のほんの一部でしかないので、道教が優勢になって当たり前と言えよう。ただ、中華帝国の領土拡大を目指すには、海外ネットワークが充実している仏教は外せない。土着信仰ゴッタ煮が、帝国外では通用しないからである。
「酉陽雑俎」を読んでいると、そんな感覚に襲われる。そのような企画かもと思えるほど。

そんな風に考えると、怪奇話がたんまり収載されている意味も見えてくる。

成式が示すように、道教も仏教も、争うようにして、怪や奇異現象を大いに語っているのである。
このことは、両者にとって、信仰コミュニティ確立のためには、こうした話の流布が不可欠だったことを物語る。そんな話を扱っている、嘘八百的な「小説」など意義なしというのが為政者の姿勢であるが、それは儒教精神である。

つまり、怪奇譚語りとは、儒教勢力、つまり既存勢力打破の手法ということでもある。
言うまでもないが、儒教勢力とは貴族政治の権力層のこと。厳格な社会序列の維持を第一義的に考えており、血族の祖先に生け贄を捧げる儀式を執り行うことで、どうにかまとまっている訳だ。
この信仰の核を打ち砕く流れこそが怪奇現象譚の「説法」。儒教は、これを否定できず、にもかかわらず語るな、とくるから実に好都合なのである。怪奇現象の因果関係を説明し、その問題解決手段を訴求すれば、儒教をのりこえて奔流化できるのは間違いない訳である。

従って、インテリは仏教徒として、非インテリは道士シンパとして、怪を語ることが大いに流行ったのである。
成式は仏教徒のようだが、奇譚の成式流アレンジの仕方を眺めていると、そんな風潮を小馬鹿にしているように見えてくる。

(参照) 陳伸奇:「道教神仙説の成立について」「総合政策論叢」 第ー号 2001年 島根県立大学 総合政策学会
(参考邦訳) 段成式[今村与志雄 訳]:「酉陽雑俎」東洋文庫/平凡社 1980・・・訳と註のみで、原漢文は非掲載.


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