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■■■ 「酉陽雑俎」の面白さ 2016.5.29 ■■■

金剛経のご利益話の背景

玄宗の時代とは、年号としては開元。

その10年には、御注の「孝経」を配布。各州に老子崇拝用施設を設置。その上で、21年には「老子道徳経」、23年には「金剛般若経」を頒布。どちらも御注版。
そして、26年に開元観と開元寺を各州に設けた。天長節の斎会挙行の拠点ということだろう。日本的概念なら国分寺に当たるというか、それに倣ったようなものか。
一方、先帝の法事用寺院としては、竜興観と竜興寺を。おそらく、単なる改名。
見かけは、三教調和の策が着々と進められているように見えるが、実態としては、道教祭祀を通じた独裁的宗教政治の樹立路線。肝心要はあくまでも玄宗像への尊崇と見るべきだろう。道教がそれに一番親和性があるというだけの話。中華思想とはそういうもの。

こんな話をするのは、「金剛経のご利益」[→]についての話を取り上げたが、こうした背景を理解しておかないと、誤解を生むかも知れぬと気付いたから。
仏教にご利益ありとの話がそこかしこで生まれており、それはいかにも道教対抗臭さ芬々というトーンで、成式は書き下ろしている訳だが、その心根がどのようなものか、確認しておきたくなったということ。

と言うことで、段成式:「好道廟記」の全文を引用しておくことにした。[全唐文 卷七八七 段成式]
ついでに、成式の考え方がわかる部分をピックアップ。・・・

大凡非境之望,及吏無著績,冒配於社,皆曰淫祠。然感通,無方不測。
神有所臚,鬼有所歸。苟不乏主,亦不為氏B或降而觀禍,格而饗コ。能為雲雷,誅奸凶。俾苗之碩,俾貨之阜。
緤魃籍虎,磔蝮與蠱。可以屍祝者,何必著諸祀典乎?


縉雲郡之東南十五裏,抵古祠曰好道。
処州縉雲郡[浙江麗水]の東南十五里に好道廟と呼ばれる古い祠がある。
・・・三十六洞天の第二十九"仙都山洞"周回三百里。天寶七年[748年]の異変で命名。黄帝煉丹飛昇之地ということらしい。

詢於舊云:置自後周,莫詳年月。好溪本曰惡溪,時有陳氏子失名,任永嘉長史。秩滿北歸,卒於溪陰。意乎骨青獨勇,目紫方視。負垂冠之一敵,恥結綬於千石。齎誌就木,竟不呼醫。豈泰山伍伯,敦道而行;昊天藏吏,請告而返。何魂不斂於秋柏,氣不散於T蒿。若伯有見怪,據傳巫語,是時陸擅蛇虎,水制蛟。道路絶,一境相恐。吏民始為建廟。木人長史,徒儼衣冠。桐郎諸侯,未加印綬。州内ム定,畏途坦夷,安流漣。遂名溪曰好溪,路曰好道。裏人因以署廟焉。計其月,逾六甲子矣。
廟據水之陽,有堂一區。連甍四注,庭幅甚褊。圖像偶像,觀怪多駭。上ォ旋風,楮錢流蘇。馬竊銜而欲,犬搖而欲嗾。神状憑怒,而褒衣。伏寇氏C政在阿堵。其匡床古媛,蓋南帝女郎也。萱支紡績,狎十巫之語言;甘羅伯求,遵五路以巡邏。闔境畢事,鹹若戸到。致敬不,徼福有。豈同度朔地衰,山靈歇。


予大中九年到郡,越月方謁。
段成式は855年に到着。翌月、好道廟を訪問。
・・・処州官刺史職に着任。

至十年夏旱,懸祭沈祀。毒泉石,初無一應。始齋沐詣神以,誠附_,一擲而吉。其日遠峰殷雷,犯電雲。半夜連震,大雨如瀑。自一更至二更,中如散絲,遲明稍止。溝湧泛,斥鹵沈,信宿又作。梓潼之祠納著,王門之廟輸_替。事豈虚傳歟!以後渉旬不雨,田無蔭者。複懼,再命大將鄭達一杯直祝,來日雨一時,陰一夕,田苗鬥長,其長隱隱。稻巨葆,禾長稠,菽多旋,麻疏節。農夫大慶,乃撰日而祭焉。標二牲首,杳列方丈。參乎舍捐黍,徹犬以魚。乾鬆陽之,映石亭之_。蟹螯{制蟲}額,備海錯之珍;三菁七,殫陸毛之品。泥九,瀝溜十漿。伐鼓交符,笙狂會。巫忽嚏雲,神大喜,因效神軒渠焉。手又為迎神曲,著辭七章,俾優巫踏之。

予學儒外,遊心釋老,毎遠神訂鬼,初無所信。常希命不付於管輅,性不勞於郭璞。至於夷堅異説,陰陽怪書,一覽輒棄。
予は、儒學を学びし。
されど、心では釋老と遊び、
ことごとく神を遠ざけ鬼を訂し、
初めから信じる所無し。
常に、命は占師の管輅
[208-256年]に付せずして、
また、卜筮に長けた郭璞
[276-324年]にも労せざる性にて、
《夷堅録》に記載されている異説や陰陽道の怪書に至れば、
一覧して、そのたびに破棄するのみ。


自臨此郡,郡人尚鬼,病不呼醫,或拜間,火焚楮,故病患率以釣為名,有天釣、樹釣、簷釣,所治曰吹、曰方,其病多已。
此の郡に臨みて、始めてわかりしは、
郡人は鬼神を尚び、
病んでも医者を呼ばず、或いは、
[=墓地]にてして[=送食物]拝礼の上、
[=祭祀時に使用する紙銭]に火をつけ焚す。
それ故、病患卒に釣を以て名を為す。
それ、天釣、樹釣、簷釣と。
治癒することを、吹くと謂ったり、方術とも。
其の手の病多し。


予曉之不回,抑知元規忘解牛,太真因毀犀,悉能為禍,前史所著。

以好道州人所向,不得不為百姓降誌枉尺,非矯舉以媚神也。因肆筆直書,用酬神之不予欺。
好道州の人の向かう所を以て、
百姓の為に志を降ろし、
尺を枉げざるを得ず。
矯舉
[=詐称]し、以て、神に媚びるに非ず。

大中在景子季秋中丁日建。
しかして、碑を建立。

この状況で、どちらかと言えば哲学に近い「金剛般若経」を持ち込んだところで、どうにかなるものでもなかろう。
そのような土着信仰を大切にしながら、まともなモノの見方を広げるのが、インテリの務めと考えていそうなことがよくわかる記述である。

ご存知のように、このお経は禅宗系の定番であり、極めて哲学的な内容で溢れていて、ご利益をあげつらう他のお経とは性格が異なる。いくら注をつけようが、土着信仰の地で自然に広がるようなものではない。
道教を広げ、その上に飾りとしての仏教をかかげるために必要とされたのが「金剛般若経」と見てよいだろう。
当然ながら、「金剛般若経」の霊験記類は溢れかえっていた筈である。成式はそれらにほとんど目を通していた筈。しかし、余りに多いので「酉陽雑俎」には、文献名を記載していないにすぎまい。
それらの掲載漏れを載せたというのは、その通りではあるが、不足を補充したい訳ではない。どう考えても、そんなご利益を生む呪術的効果を信用するような人物では無いからだ。

と言うことは、本来的には長生ご利益のお経ではないのに、そのようにされてしまったことについて、インテリは無自覚ではアカンと警告を発したようなもの。

だが、こうした土着信仰と表裏一体なのが、中華思想。天子独裁の大帝国化を望む社会が続く限り、この風土は変わりようがない。
そんな環境下では、成式のようなインテリはもちろん異端でしかない。そこから警告が発信されたとて、馬の耳に念仏。

(参照) 手島一真:「唐代における士人の信仰について−玄宗朝末から粛宗朝期における動向−」印度學佛教學研究第四十七巻第一號 平成十年十二月
勝崎裕彦:「『金剛般若経』霊験記類について」印度學佛教學研究第四十巻第一號 平成三年十二月
(参考邦訳) 段成式[今村与志雄 訳]:「酉陽雑俎」東洋文庫/平凡社 1980・・・訳と註のみで、原漢文は非掲載.


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