表紙
目次

📖
■■■ 「酉陽雑俎」の面白さ 2016.6.8 ■■■

六道の餓鬼と畜生

文章が続いているような感じがあって、わかりづらいが、ここで餓鬼の話に変わる。
表記は鬼怪となってはいるが。
鬼怪閻浮提下五百由旬,有三十六種魔羅令鬼,此言鬼子。

三十六種とは、「正法念処経」で定義されているが、矢鱈と細かい。
身,針口,食吐,食糞,無食,食気,食法,食水,望,食唾,食鬘,食血,食肉,食香烟,疾行,伺便,地下,神通,熾燃,伺嬰児便,欲食,住海渚,執杖,食小児,食人精気,羅刹,火爐焼食,住不浄巷陌,食風,食火炭,食毒,曠野,,樹中住,四交道,殺身.

これらを見て、現代の道徳観を当て嵌め、貪欲な飲食に対する戒めと思わない方がよい。
食に有りつけているのに、お布施をしないような輩はここに落ち込むゾというだけの話と言えなくもないからだ。そのため、反宗教勢力からすれば、絶対に許せん集団となったりもする。大勢の農奴を持ち続けている教団もあり、情報遮断と恫喝で奴隷制度を維持しているに違いないと見る訳だ。一見、まともそうな主張に映るが、お布施はなくなって、政治権力が奴隷解放との紙をくれるにすぎず、過酷な強制労働や徴兵が待ち構えている上、重税にあえぐことになるのが普通。
それを和らげるためには、賄賂としての上納金は不可欠となるだけ。それができない家は貧困のどん底への道しかない。それが中華社会の伝統と言えよう。そんな風土では、直接的な見返りなきお布施概念が受け入れられる可能性は極めて低い。
そんなこともあるのか、後世になると、供出能力というか、財力で地獄は3分類されるようになるようだ。
成式がこの辺りをどう考えていたかは知る由もなし。

ただ、ここの記載でのハイライトは「鬼子」の一言だろう。"神通很大的餓鬼"鬼子母神を取り上げたかったと思われる。
もともとは、子授け、安産、子育ての神であり、四天王の毘沙門天の妻 "訶利帝母"/Hārītī。本来は天人。ただ、人間の子を食っていたのでその位置付けからすべり落ちた格好。どうして、そのようになっているのかはわからぬが。
ともあれ、鬼との名称がついているだけで、帝釈天のヒエラルキーに逆らう阿修羅系ではないし、人間を食い物にする地獄の鬼とも違うのである。

ここで突然鳥の話がでてくる。

魔遮叱迦鳥,唯得食魚,舍鵝鬼受此身。

「正法念處經」には以下の原注あり。

此鳥唯食天雨,仰口承天雨水而飲之,不得飲餘水。

積財不施だと、この鳥がやってきて、恒常饑渇受大苦惱にあいなると言われている。
水鳥なら、魚を食いつくすこともありそうではあるが。
鳥舍に飼われている鵝[ガチョウ]はただただ草を食って太り、ガーガー鳴くだけで、飛ぶことはできない。ヒトの餌となるだけだが、肉用の家畜類を育てること自体が餓鬼かもとの問いかけかナ。
ココの意図よくわからず。
さて、餓鬼道に触れれば、次は畜生道である。

畜生有三十四億種。

イイネ〜、この感覚。
「人間界」と「畜生界」という分類だが、三十四億種v.s.1種なのかネと言っているのである。通常の論理なら、それほどに特殊な存在であるにもかかわらず、人間界だけ特別扱いするのはどういう根拠があるのかネと言っているようなもの。
おつきあいのための暗記で人生を送ってきている方々はなにも感じないだろうが。
と言うか、ヒトは特別であると考えることが精神的安定剤になっているというだけのこと。ソリャ、そのうち絶滅間違いなしですナ、とは冗談でも言えない環境ができあがっているのが人間社会ということ。
現代社会の不思議なのは、そんあこと自明と言いだしそうな自称科学者には、そのような発想が希薄なこと。大笑いは、そのような科学者ほど、進化論否定の人達の知的レベルを問題視すること。
成式的に言えば、どちらもたいした違いはない。

唐代の書物だというのに、「酉陽雑俎」の著者は、インテリはそんなことではアカンぞと早々と警告を発しているのである。
注をみる限り、今村はそこらを十二分にわかっている。しかし、言ったところで無駄どころか、逆効果しか生まれないことを理解していたようである。「知」の凄さとしか言いようがない。

おわかりにくいかも知れないので、補足的に一言。
現代進化論の肝は、人への進化の筋道ることというのが、マスコミ的なものの見方。ソリャ、当たり前で、小生でも面白そうに思うから。
しかし、進化論の本質はどう考えても細菌の多様性担保にある。それこそが、"娑婆"の厳然たるルール。だから、営々と生命が持続できたのである。その細菌によって生かされているのが、人だったり、畜生というにすぎない。
畜生に説滅危惧種ありということで問題視したところで、抹消的な話。どのような対策をとろうと、それは浅知恵以外のなにものでもなかろう。わかっていても、それを追求せざるを得ないのが娑婆という世界なのである。

さて、その"畜生"だが、獣が当てはまるとすれば、その祖先も入ることになろう。なにせ、龍も又、ヒトの世界である閻浮提に棲むとされるのだから。ただ、天に行く力を持つ龍もいるということになるのだろうか。 [→「龍は祖」]
さすれば、その数は少ないかと思いきや、なんと畜生の種類数の倍とくる。現存畜生の1種につき、雌雄ということか。

龍住閻浮提者,五十七億。

南の閻浮提/贍部洲だけでなく、西の瞿陀尼/牛貨洲、北の鬱単越/倶盧洲、東の弗婆提/勝身洲と、須弥山世界にはすべてかかわっているようだ。
龍於瞿陀尼不降濁水,西洲人食濁水則夭。
單越人惡冷風,龍不發冷。
弗婆提洲不作雷聲,不起雷光,東洲惡也。


ソースはこんな具合。
復次比丘。知業果報。觀一切龍所住宮殿。幾許龍衆住於海中。幾許龍衆住於衆流。即以聞慧。知閻浮提人不順法行。無量諸龍住於衆流。閻浮提人隨順法行。五十七億龍。住於衆流。---
觀瞿陀尼,云何順法龍王,護瞿陀尼,瞿陀尼界衆生心軟,唯有一惡,以水濁因縁,食之天命,順法龍王,於彼世界,不雨濁水,瞿陀尼人,食清水故,得無病惱,以龍力故。---
 「正法念處經卷第十八」

それに留まらず、上は兜率天、下は地獄にまで影響を与える力があるとされる。

其雷聲,兜率天作歌唄音,閻浮提作海潮音。
其雨,兜率天上雨摩尼,護世城雨美膳,海中註雨不絶如連輪,
阿修羅中雨兵仗,閻浮提中雨清水。
地獄一百三十六。三角生死善無記也。


龍は、一般には、天龍八部(一天,二龍,三夜叉,四乾闥婆,五阿修羅,六迦楼羅,七緊那羅,八摩羅伽。)に属すと言われているが、素人には、全体における位置がよくわからない。こうした記述を見ると、畜生ではあるが神扱いということであろうか。五十七億存在すれば、龍王の数も半端ではなかろうし、多種多様にならざるを得ないのであろう。

(参考邦訳) 段成式[今村与志雄 訳]:「酉陽雑俎 1」東洋文庫/平凡社 1980・・・訳と註のみで、原漢文は非掲載.

 「酉陽雑俎」の面白さの目次へ>>>    トップ頁へ>>>
 (C) 2016 RandDManagement.com