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■■■ 「酉陽雑俎」の面白さ 2016.6.20 ■■■

時間感覚は幻想

天人の寿命の話があったが、時間感覚についての記載は、僅か一行だけ。
経典の時間用語は、知られていない訳はないのに、わざわざ書いてあるところを見ると、どうしても触れておきたかったのだろう。その意を汲んでくれる読者もいるだろうということで。

要するに、インドの人々が生み出した時間軸のコンセプトとは、時間とは物質と変わることがない"モノ"であるとの見方がありそうと言っているようなもの。最小単位があるからだ。
つまり、昼夜1日という誰でもが感じ取れる自然な単位を分割していない点に注目せよ!、ということ。
あくまでも、「刹那」と命名された基本ユニットこそが時間の大元。どこからこのような考え方を生み出したのか、想像もつかぬ。

一千六百那為一迦那,倍六十名呼律多,
倍三十日為一日夜。
 [巻三 貝編]

細かなことだが、ソースと音が違いそうな用語が使われている。数字も一寸合わないようだ。
 時極短者,謂那也。
 120 那・・・1 坦
 60 坦那・・・1
 30 縛・・・1 牟呼栗多

 5 牟呼栗多・・・ 1 時
 6 時・・・ 1 日 1 夜

    「大唐西域記 巻二 印度總述 時」

今村与志雄注によれば、"摸呼栗多"とする「大集経」がソースだそう。単語の意味がはかりかねる素人には、どうでもよさそうな話ではあるが。

この時間の単位だが、日本人には印象的だったようである。今でも、両極端の呼び方が普通に使われているからその影響力はたいしたもの。
 刹那/せつな
 億劫/おくこう→おっくう
後者の億ヶの「劫」だが、最長の単位らしい。五劫/ごこうと言えば、落語「じゅげむ」でお馴染みなので、結構知られている単語である。
寿限無 寿限無 五劫のすり切れ 海砂利水魚の 水行末、雲来末、風来末 食う寝るところに住むところ やぶらこうじのぶらこうじ パイポパイポパイポのシューリンガン シューリンガンのグーリンダイ グーリンダイのポンポコピーのポンポコナーの長久命の長助

さらに、磐石劫、芥子劫といった用語もあるそうだ。前者は岩を綿で撫でることで摩滅するのに必要な時間で、後者は城里に広げた芥子の実の粒を1ッづつ拾って取り除くのに要する時間という意味との由。
実に詩情豊かな時間感覚と言えよう。

ついでながら、時間軸は、娑婆、天、地獄で、変わるので注意が必要である。夢における時間軸を考えるとわかり易かろう。
   「異界の時間」
以下、ご参考まで。(単純に倍々なだけ。)
 <欲界の天>
人間50年・・・四天王天1日夜 天壽500歳
人間100年・・・利天一日夜 天壽1,000歳
人間200年・・・夜摩天1日 天壽2,000歳
人間400年・・・兜率天1日夜 天壽4,000歳
人間800年・・・化樂天1日夜 天壽8,000歳
人間1,600年・・・化自在天1日夜 天壽16,000歳
 <色界の天>
人間3,200年・・・梵天1日夜 天壽32,000歳
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さらに続く.

もちろん、冥界の方は短かくなる。2,000年前に死んだ人でも、想像の世界とはいえ、ちょっと昔のイメージで出会うことができるのだから当然だろう。
ヒトの思惟活動からくる感覚を素直に数字に直しただけ。

成式がこの辺りをどう考えていたのかは、推測しかねるが、美学としての時間感覚を共有しただけでなく、仏教の原始経典を通じてインド哲学的時間感覚をも理解していた可能性は高い。
「酉陽雑俎」全体の印象からすると、現代の日本人的な発想からははなはだ遠いと言わざるを得ない。間違ってはこまるが、現代の方が非科学的という意味で。成式の見方の方が、量子力学に近そう。・・・

 我々が見ている外界は、すべて過去のものである。
 時間は過去から未来へ流れると言いきれない。
   宇宙が膨張を止めると逆転する。
 時間とは、ヒトの思惟が生み出した概念である。
 存在するのはあくまでも物質。
 その物質は、揺らぎの世界でしか存在しえない。
   +−的対称性が存在し、両者合体で消滅となる。
   対称性が崩れている空間に物質が存在する。

なんのこっちゃ。
アッハッハ。

(参考邦訳) 段成式[今村与志雄 訳]:「酉陽雑俎 1」東洋文庫/平凡社 1980・・・訳と註のみで、原漢文は非掲載.

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