表紙 目次 | ■■■ 「酉陽雑俎」の面白さ 2016.6.27 ■■■ 多肉植物「石耳」の指摘は鋭いという話をした。[→]芝/耳/菌といった、キノコの仲間の話が続いているとして、通り過ぎてしまっては、読む意味がないことがおわかりだろうか。 キノコは水と栄養分が無ければ生きていけない。そんなことは、生物観察ですぐわかる筈。 しかし、石の上でどうして可能なのか。霞を食って生きる仙人と同じかネ、というのが成式の問いかけ。 現代の答えは、"その通り"。 僅かな水分を保持し、栄養分分解能力がある細菌集団と、光合成能力がある藻が合体しているので、そんなことが可能ということ。 成式としては、乾燥状態に耐えていけそうなもう1種の植物にもえらく関心を示している。 石上ではなく、屋根の瓦の上で生き抜ける植物。 "瓦松"。である この名前だが、縁起から"松"にした訳ではなく、遠くから屋根の上に生えている情景を眺めるとまるで松のようという、単純な理由だろう。 養分無しで寒い冬を越して生き続ける強い生命力を感じさせるから、長命願望の社会では薬用として大いに使われていそう。ただ、実際には、花が咲いて枯れてしまうことも多いので短命かも。それに、蓚酸リッチの筈だから、服用しても大丈夫なのか気になるところ。 ともあれ、「石耳」同様によく知られた植物だったと思われる。 「尚書都堂瓦松」 唐 李華 華省祕仙蹤,高堂露瓦松。葉因春後長,花爲雨來濃。 影混鴛鴦色,光含翡翠容。天然斯所寄,地勢太無從。 接棟臨雙闕,連甍近九重。寧知深澗底,霜雪歲兼封。 さすれば、特段、珍しくもないから、「酉陽雑俎」にわざわざ収録する必要もなさそうな話題なのに、他の植物と比べるべきもないほど大々的な記述とくる。 お好みの観賞用植物だったのかも知れぬ。鉢栽培でなく、屋根上栽培を愉しんでいたのかも。 【瓦松】, 崔融[653-706年,宮廷御用文人]《瓦松賦序》曰: “崇文館【瓦松】者,産於屋溜之下。 謂之木也,訪山客而未詳。 謂之草也,驗農皇而罕記。” 賦雲: “煌煌特秀,状金芝之産溜; 歴歴虚懸,若星榆之種天。 葩條郁毓,根柢連卷。 間紫苔而裛露,淩碧瓦而含煙。” 又曰: “慚魏宮之鳥悲,恧漢殿之紅蓮。” 崔公學博,無不該悉,豈不知【瓦松】已有著説乎? 《博雅》: “在屋曰昔耶,在墻曰垣衣。” 《廣誌》謂之蘭香,生於久屋之瓦。 魏明帝好之,命長安西載其瓦於洛陽,以覆屋。 前代詞人詩中多用昔耶, 梁簡文帝《詠薔薇》曰: “縁階覆碧綺,依檐映昔耶。” 或言構木上多松栽土,木氣泄則瓦生松。 大歴中修含元殿,有一人投状請瓦, 且言: “瓦工唯我所能,祖父已嘗瓦此殿矣。” 衆工不服,因曰: “若有能瓦,畢不生【瓦松】。” 衆方服焉。又有李阿K者,亦能治屋。 布瓦如齒,間不通糸延,亦無【瓦松】。 《本草》: “【瓦松】謂之屋遊。” "瓦松"とは、多肉の粉緑色の葉からなる植物。無根の"草葯"とか。 ただ、百合根形と言えば想像がつくかも。近縁の園芸種が多々あり、爪蓮華や岩蓮華と呼ばれている手のもの。もちろん、仏像台の蓮華座に似ていることからくる命名だ。 唐代ではそのような形状には映らなかったのだろうか不思議に思ったが、写真を見ると、茎が30cmほど立ち上がっていたりするので納得。主に屋上に生えており、瓦塔、瓦葱、瓦霜とくれば、瓦松と呼ぶのもわかる。 つまり、形状変異は小さくないのだ。・・・晩紅瓦松,塔花瓦松,狼爪瓦松,有邊瓦松,狭穗瓦松,等々と種類は多そう。 ともあれ、この手の耐乾燥性の多肉植物が、人が住む場所に自然に生える訳がない。深山のガレ場から採取してきて植えたと見るのが常識だろう。 尚、生物分類学上では、瓦松は虎耳草/ユキノシタ系の景天/ベンケイソウ類に属しており、八宝や石蓮の類縁となる。含まれている種としては、白雪爪蓮華,玄海岩蓮華,子持蓮華,鳳凰の他、昭和,富士がある。 日本の園芸品種が登場する位だから、瓦松栽培は人気があると見てよさそう。中華帝国のことだから、観賞というよりは、銭勘定すると魅力的な植物ということかも。 (参照) 久保輝幸:「地衣の名物学的研究」MPhil. Thseis 2004年 (参考邦訳) 段成式[今村与志雄 訳]:「酉陽雑俎」東洋文庫/平凡社 1980・・・訳と註のみで、原漢文は非掲載. 「酉陽雑俎」の面白さの目次へ>>> トップ頁へ>>> (C) 2016 RandDManagement.com |