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■■■ 「酉陽雑俎」の面白さ 2016.7.19 ■■■

蟲(蜂[続])

「蟲 (蟻, 紙切, 蝿, 蜂)」[→]で、似我蜂[ジガバチ]、白色の巣を作る徳利蜂、竹熊蜂を取り上げた。
似我蜂は蜘蛛同様に、本の虫たる成式が愛する虫。紙の大敵から書(巻物)を守ってくれる方々だから当然のこと。従って、どうしても書いておきたかったのだろう。
次の蜂も、成式は可愛い生き物と眺めていたようだが、弟が、その巣を叩き壊してしまったので驚いたようだ。白をそこまで忌み嫌らうのか、と。
最後の蜂は、竹に巣作りという点に興味があるのではなく、蜜が甘くて極上ということ。知る人ぞ知る、四川名産品かも。

ただ、正確には、「蟲篇」に所収されている蜂には、あと2種ある。どういう種か推定することは可能だが、それほど自信もわかなかったので割愛しただけ。
ここで眺めておくことにしよう。・・・

【異蜂】,有蜂如[=蜜蜂]稍大,飛勁疾,
好圓裁樹葉,卷入木竅及壁罅中作
成式常發壁尋之,
 毎葉卷中實以不潔,或雲將化為蜜也。


成式先生、昆虫の生態観察が好みなので、壁を壊してどうなっているのか調べてみたようである。当然、の壁で作られた巧妙な巣ありと期待したのだが、全く違ってがっかり。そこで、"異質"な種と断定したのだ。
いつもながらの鋭さ。
書いているように、見かけ上は、特段珍しい種ではない。しかし、一般的な蜂の概念には当てはまらないことに気付いたのである。
おそらく、この蜂は泥蜂類。
蜂といえば、蟻同様に、社会性昆虫とされているが、この系統だけは猫的で、群れないのである。
巣というのはあくまでも繁殖用だから、コロニーを編成していれば、立派な細工で構築することに意義があろうが、そうはならないのである。まさに"異質"な蜂だ。
とはいえ、大規模な巣はいらないが、単独生活者であっても、卵を産み付ける場所としての"巣"は必要である。違った形ではあるが、それなりに整備する必要がある。と言うか、孵化後の子供のための餌が保存可能な設計で巣を作るのである。ところが、人間には、それがゴミのように映る。何故かと言えば、その中心部に毒で麻痺状態の生きている蛾の幼虫が存在しているからだ。親は、なかなかのハンターなのである。流石に、成式先生も、そこまでは観察しきれなかったようである。

お次。

【毒蜂】,嶺南[広東〜越南]有毒菌,
夜明,經雨而腐化為巨蜂,
K色,喙若鋸,長三分余。
夜入人耳鼻中,斷人心系。


情報が少ないので、自信はないが、巨大ということから見て黒雀蜂系ではなかろうか。
地中に巣穴を作り、(素人には巣は見つからない。)朽ちた木々のなかで餌をあさるタイプもいる筈だから。
そこだけ見れば、毒キノコの生えた場所から生まれ出てくるように見えておかしくない。
ただ、このタイプは、生活パターンから見て凶暴性は薄かろう。しかし、蜂なのだから、かまったり、近寄れば刺すのは当たり前。スズメバチ系は強毒性のことが多いし、大型体躯だから針についている毒袋も大きい筈。刺されるとえらいことになるのは言うまでもない。
一般的には、蜂は昼光性だが、スズメバチには夜行性の種も存在している。そういう種なら、就寝中に側にやってくることがあってもおかしくはない。耳穴や鼻穴に臭気を感じれば、習性的に穴に入ろうとするだろうし、それに気付いたりすれば、ヒトは恐怖で心の糸が切れそうにもなろう。

マ、生物学的お話だけではつまらぬから、「蟲 (蟻, 紙切, 蝿, 蜂)」では、「卷十四諾記上」の胡蜂[スズメバチ]を扇で叩き落とす話を取り上げておいた。訳のわからぬ"物の怪"がついていて、悲惨な形で命を奪われる怪奇譚として紹介される手の作品。
小生は、もちろん、そんな見方を受け入れることはない。・・・
スズメバチ一匹と油断すると、巣に控えている大群が登場し、襲われかねないという話では。蜂に刺されて命を落とす人は少なくない訳で。
一般的に、巣を集団で防衛する習性の蜂は大いに危険な訳で、特に、アシナガバチは要注意である。

今回も、毛色の変わった話を取り上げておこう。
禅師による、蜂の独立した社会性を描いた作品。じっくり考えれば、公案よりは面白いかも。

東都[洛陽]龍門有一處,相傳廣成子[古代仙人@葛洪:「神仙伝」巻一]所居也。
天寶
[742-755年]中,北宗雅禪師者,於此處建蘭若。
庭中多古桐,枝幹拂地。
一年中,桐始華,有異蜂,聲如人吟詠。
禪師諦視之,具體人也,但有翅長寸余。
禪師異之,乃以卷竹幕巾網獲一焉,置於紗籠中。
意嗜桐花,采華致其傍。經日集於一隅,微聆嗟聲。
忽有數人翔集籠者,若相慰状。
又一日,其類數百,有乘車輿者,其大小相稱,積於籠外,語聲甚細,亦不懼人。禪師隱於柱聽之,
 有曰:“孔升翁為君筮不祥,君頗記無?”
 有曰:“君已除死籍,又何懼焉。”
 有曰:“叱叱,予與青桐君,勝獲瑯紙十幅,君出可為禮星子詞,當為料理。”
語皆非世人事。終日而去。
禪師舉籠放之,因祝謝之。
經次日,有人長三尺,黄羅衣,歩虚止禪師屠蘇前,状如天女:
  “我三清使者,上仙伯致意多謝。”
指顧間失所在。自是遂絶。

   [續集卷二 支諾中]

生物学的に解釈すれば、巣を分ける頃の女王蜂を捕まえたということ。
繁殖行為に特化しているから、攻撃性は薄いし、命を落としかねない動きもしないから、比較的楽に捕まえることができるのである。
しかし、女王蜂の存在が知れると、巣の仲間がそこに馳せ参じてくる。最初は数匹だが、やがて万にまでに膨れ上がるもの。この時期、ただただそれだけの行為に"無心"になって集中するのである。
その様子を見ていて、禅僧は、蜂の心根を感じとったのである。中華帝国によく似ている社会ではあるが、互いに干渉することなく併存しているのだ。それを知って、一種の感動を覚えたのかも。
そして、捕らえたことを、大いに詫びて、逃がしてあげたのである。一種の放生会。

(参考邦訳) 段成式[今村与志雄 訳]:「酉陽雑俎」東洋文庫/平凡社 1980・・・訳と註のみで、原漢文は非掲載.

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