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■■■ 「酉陽雑俎」の面白さ 2016.7.28 ■■■

宝剣

成式の頃、宝剣を身体の代りに現世に残して仙人になる尸解(「剣解法」)が、登仙術として人気を博していたようだ。[→]
しかしながら、"剣"を必須条件とする理屈には無理を感じる。日本的イメージなら、遺骸の替りに残っているのが、杖とか竹箒の方が似合うからそう見てしまうからかも知れぬが。
大陸で、"剣"が重視されるのは、古代から副葬品として広く用いられていたからだろう。

そういうことで、宝剣に関して収載されている話をとりあげておこう。[卷六 器奇]

有名なのは、俗に言う青龍剣。小説「三國演義」で関羽が用いる【青龍偃月刀】を指し、刃の部分に青龍の装飾が施されている長柄の大刀とされているる。3世紀初頭の出土品から見て、宝剣あるいは環首刀であり、実在していたと見られているようだ。
そんな青龍剣は、唐代でも、名剣とされていたようである。・・・

開元[713-741年:玄宗治世前半/唐最盛期]中,河西騎將宋青春,驍果暴戻,為衆所忌。及西戎犯邊,青春毎陣常運臂大呼,執馘而旋,未嘗中鋒鏑。
西戎憚之,一軍始ョ焉。
後吐蕃大地獲生口數千,軍帥令譯問衣大蟲皮者:
 “爾何不能害青春?”
答曰:
 “嘗見青龍突陣而來,兵刃所及,若叩銅鐵,我為神助將軍也。”
青春乃知鉤之有靈。青春死後,鉤為瓜州刺史李廣所得,或風雨後,迸光出室,環燭方丈。
哥舒鎮西知之,求易以它寶,廣不與,因贈詩:
 “刻舟尋化去,彈鋏未酬恩。”


青龍剣としては、河西の騎將、宋青春が常時佩びていたとの話も収載されている。・・・

毎運之陷陣,輒見青龍往來沖突。
劍矢所及,如叩金鐵。或風雨后,迸光出室,環燭方丈。
毎陣常運臂大呼,執馘而旋,未嘗中鋒鏑。青春乃知鉤之有靈。


これらの名剣は実用的な武器ではないだろう。白楽天が鋳造師鴉九剣の詩を詠んでおり、鍛造された太刀ではないようだから。(両刃が"剣"で片刃は"刀"。前者は儀礼用で後者は戦闘用では。)一種の呪術モードの宝剣と言うこと。・・・

  「新楽府 鴉九剣 思决壅也」  白居易
欧冶子死千年后,精靈闇授張鴉九。鴉九鋳剣呉山中,天与日時神借功。
金鉄騰精火翻,踊躍求為剣。剣成未試十餘年,有客持金買一觀。
誰知閉匣長思用,三尺青蛇不肯蟠。客有心,剣無口,客代剣言告鴉九。
君勿矜我玉可切,君勿誇我鍾可。不如持我决浮云,無令漫漫蔽白日。
為君使無私之光及万物,蟄虫昭蘇萌草出。


次の剣は、鱗鋏星の宝剣。調べてもよくわからないが、柄が鼈甲(玳瑁)で、鍔が蠍を象徴する貴石製なのだろうか。持ち主有事の際に吠えるという神剣らしいが。
その所有者、鄭雲達は「唐書」列傳第九十 一鄭高權崔に大理卿として記載されているが、「新唐書」卷一百六十一 列傳第八十六 張趙李鄭徐王馮が詳しい。

鄭雲達,系本陽。父戸,為城尉,州刺史移職,民之暴者遮道留,戸誅殺六七人。采訪使奇之,言状,擢北海尉。安祿山反,縣民孫俊驅市人以應,戸率衆撃殺之。改登州司馬。李光弼表為武寧府判官,遷沂州刺史,諭降賊李浩五千人。終州刺史。

鄭雲達少時,得一劍,鱗鋏星鐔,有時而吼。常在莊居,晴日藉膝玩之。忽有一人,從庭樹然而下,衣朱紫,發,露劍而立,K氣周身,状如重霧。鄭素有膽氣,佯若不見。
其人因言:
 “我上界人,知公有異劍,願借一觀。”
鄭謂曰:
 “此凡鐵耳,不堪君玩。上界豈藉此乎?”
其人求之不已。
鄭伺便良久,疾起斫之,不中,忽墜K氣著地,數日方散。
鄭雲達の若い頃の話。
一振りの剣を入手。
鐔には、鱗鋏星あり。時に、吼えたと。
大事にして、常に身辺に置いていた。
ある晴れた日に、愛でていたら、忽然と、庭の木に人が現れた。
頭巾を被っており、衣の色は朱紫。剣を手にしており、霧の如き黒気芬々。
鄭は肝が据わっていたので、その男を無視した。
すると、話しかけてくるではないか。
 「我は上界人。君が異剣所有と知りやって来た。
  一度観せてはくれまいか。」
鄭、それに対し、
 「この剣は凡鉄モノ。
  上界の方々が観るようなモノではござらぬ。」と。
求めを断っても、その男はしつこかった。
そこで、鄭は隙を伺い、疾風の如く斬りつけた。
男はいなくなったが、黒気が地に渦巻いたまま。
しかし、数日後、それも消えた。


古代、部族のリーダークラスが持っていた霊器だったと思われるが、何故に、そのような剣を入手できたかは、ご想像におまかせ。
ただ、それを示唆する話を付け加えている。・・・

成式相識介雲:
“大歴
[766-779年:安史の乱直後]中,
 高郵百姓張存,以踏藕為業。
 嘗於陂中見旱藕,梢大如臂,遂並力掘之。
 深二丈,大至合抱,以不可窮,乃斷之。
 中得一劍,長二尺,
 色青無刃,存不之寶。
 邑人有知者,以十束薪獲焉。其藕無絲。”


どう見ても、宝剣に特段の関心があって引用しているようには思えない。小生の感覚だと、"孔周曰:「吾有三劍,唯子所擇;皆不能殺人,---"を示唆していそう、と書きたくなる。[「列子」卷第五湯問篇 第十六章]・・・
ひどく弱々しい男が、私怨で親を殺されたので、その敵を討とうと計画。その相手とは、常人を越える強靭な身体を持ち、矢や刀をなにするものぞタイプ。友人がみかね、孔周が保有する殷帝[周の武王に滅ぼされた王朝]の宝剣を用いよとアドバイス。大軍に責められても撃退できると伝わる剣である。
早速、借りるべき持主のところへ。しかし、その話は伝説で本気にするなと言われる。しかも、用途が無いから、封印もそのままだ、と。
結局、借りることができ、酔って寝ている時に斬りつけたが、もちろん死なせることはできず。
敵は、「醉而露我,使我疾而腰急。」と妻に怒っただけ。


(参考邦訳) 段成式[今村与志雄 訳]:「酉陽雑俎」東洋文庫/平凡 社 1980・・・訳と註のみで、原漢文は非掲載.

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