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■■■ 「酉陽雑俎」の面白さ 2016.7.29 ■■■

蛻の殻

"蛻[もぬけ]の殻"の漢字を読める人は稀かも知れぬが、言葉自体は知らぬ人はいまい。
サスペンス劇の台詞で頻繁に登場するからだ。・・・刑事が踏み込んだ時、すでに容疑者は逃亡済みだった、ということで。
しかし、本来は、漢字を見ればおわかりのように、蝉や蛇の抜けがら[=脱皮残]を指す。[蛻,蛇所解皮也。@「説文」]ヒトに適応すれば、魂が抜け出たあとの遺骸の意味になるが、現代の用例は聞いたことがない。

この言葉は、「俗言重視」ですでに取り上げた。[→]
5月は、屋根へ上がることが禁忌。人は蛻化していて、屋根上で影を見てしまうと、魂が去ってしまうからとか。[卷十一 廣知]

ただ、"蛻"ではなく、"裳脱け"と書いてあることがある。当て字と思っていたが、そうでもないのかも。そのものズバリもあるからだ。・・・

興元城固縣有韋氏女,
能語,自然識字,好讀佛經。
至五,一縣所有經悉讀遍。
至八,忽清晨梭゚妝,默存下。
父母訝移時不出,視之,已蛻衣而失,竟不知何之。荊州處士許卑得於韋氏鄰人張弘郢。
[続集卷三 支諾皋下]
興元の城固県に住む韋氏の娘の話。
2才で話ができた。
  自然に文字も覚え、仏教経典を好んで読んだ。
5才になると、県内にある経文を、遍く読み通すまでに。
8才の時である。
 早朝、衣にお香を焚き込んで化粧を済ませ、
 窓の下で黙して佇んでいた。
 父母が怪しみ、見に行くと"裳脱け"で娘喪失。
 何処へかはわからず。


輪廻転生話にかこつけた、家出ということか。頭脳明晰な子供なら、その位のことはする。

脱皮といえばすぐに蛇が頭に浮かぶが、登仙の観点では、蝉の方がイメージが合っていそう。
成式も蟲篇で取り上げている。・・・

,未時名復育,相傳言所化。秀才韋莊在杜曲,嘗冬中掘樹根,見復育附於朽處,怪之。村人言固朽木所化也,因剖一視之,腹中猶實爛木。[卷十七廣動植之二 蟲篇]
脱皮しない時の蝉は、"復育"[=蝮]と名付ける。
伝説では""
[=糞虫/黄金虫類]の変態したモノ。

よくわからぬが、原典はこちら。・・・
之未蛻也為復育,已蛻也去復育之體,更為之形。
使死人精神去形體,若之去復育乎!則夫為者不能害為復育者。
不能害復育,死人之精神,何能害生人之身?
夢者之義疑。
  [王充:「論衡」 論死篇第六十二]

只、"蛻"の概念を脱皮として単純化すると、成式の考え方を見誤るかも。このような話をするのは、世界観から来ている可能性があるからだ。例えば、こんな感覚。・・・
舜問乎烝曰:「道可得而有乎?」曰:「汝身非汝有也,汝何得有夫道?」舜曰:「吾身非吾有,孰有之哉?」曰:「是天地之委形也。生非汝有。是天地之委和也。性命非汝有,是天地之委順也。孫子非汝有,是天地之委也。故行不知所往,處不知所持,食不知所以。天地強陽,氣也;又胡可得而有邪?」 [「列子」卷第一 天瑞篇]
天地強陽,氣也とあり、いかにも道教的な記述で、成式好みではなさそうだが、天地之委和也というところは共感している可能性あり。要するに、万物は造化の結果と見るのである。最終的には、肉体は地に、精神は飛散する。両者ともども元に戻る現象にすぎまいとの考え方。仙薬で登仙とか、脱皮で不死にという発想とは無縁な精神。
精神者,天之分;骨骸者,地之分。屬天清而散,屬地濁而聚。精神離形,各歸其真;故謂之鬼。鬼,歸也,歸其真宅。黄帝曰:『精神入其門,骨骸反其根,我尚何存?』」 [「列子」卷第一 天瑞篇]
そもそも、"百年,壽之大齊。得百年者千無一焉。"[「列子」卷第七 楊朱篇]であるのはわかりきった話。

(参考邦訳) 段成式[今村与志雄 訳]:「酉陽雑俎」東洋文庫/平凡社 1980・・・訳と註のみで、原漢文は非掲載.

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