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■■■ 「酉陽雑俎」の面白さ 2016.8.13 ■■■

禁忌日

もともと、五月は「悪月」とされており、様々な禁忌があった筈との話をした。ただ、農業的には忙しい時期だったりもするから、一ヶ月間丸々"斎"と言ってはいられない訳で、特定の禁忌日が生まれた訳であるとの話をした。[→]

ただ、史記で肯定的に書かれている。5月5日出産は禁忌というルールは流石に消されてしまったが、おそらく、今でも、現生利益にさしつかえないものは生きているに違いない。

この手の、禁忌の取捨選択は、どう考えても、宗派官僚によって執り行われている。社会安定と天子支配に好都合なものは早速取り入れ、ウケがわるければ即刻それは邪宗として切り捨てるだけの、ご都合主義で行われてきたということ。
これに逆らうのは危険なことで、下手に意見すれば、鬼神の手先とされる訳である。そういう点で、宗派間闘争や、宗派内部での指導権奪取の手段としても、使われたに違いないだろう。

だからこそ、五月の「蛻の殻」についての、成式の著述も、思想的に異なった2つのバージョンが残っているということ。編纂者としては、時の流れから見てこまるものには、手を入れざるを得ないのである。つまり、成式の意図せざる「毒」が含まれていたということ。

読者としては、そこに気付けば、中華帝国にとって何が「こまる」のか見えてくる訳であり、それはそれで面白い。

その話の前に、文献的にどうなっているのか、メモしておこう。・・・

「酉陽雑俎」は懿宗が即位した翌年の860年頃成立とされている。
残っている文献とは、もちろん、当時のものではなく、それをもとに編纂した何世紀も後の書。中華分類では、「酉陽雑俎」はどうでもよい無意味な書に該当するし、その内容から見て、公的に保存する必要性はゼロ。読者もインテリ層の極く一部に限られるにもかかわらず、そんな書を大切に抱えてていた異端の人がいたので、復刻できたのである。
明代のことだが、政権の意向に合わせ、古書消滅を防ごうと収集家が精力的動いたのである。もちろん、実利もあるからだが。
だが、その書にしても、一部のインテリ用でしかないから、政権の意向が変われば、そのうち焚書の憂き目。それこそが中華的風土。
そんなことを考えると、この後世の編纂本にしても、大陸にはほとんど残っていない筈。それに比し、白川静流に言えば"文化のふきだまり"たる日本には、必ずといってよいほど、一度貴重とされたモノは大切に保管される。風土的にはえらい違いだ。
そのコピー版を目ざとく見つけて、態度を一般させて、伝承の書と呼ばせたりしかねないのが中華文化である。

さて、今村版の翻訳本の底本だが、その明代の書家、趙g美[1563-1624年]の藏書樓版"脈望館"本。
ほとんど同時代だと思われるものに、毛普[1599-1659年]版があり、さらに、李雲鵠の万暦三十六年刻本[1608年]があるらしい。(嘉靖の翻刻本もあるとかで、この時代、大いに流行ったことがわかる。)もちろん、それぞれ微妙に異なる。
ついでながら、清代に入ると、それらをもとにして、文淵閣"四庫全書"本や張海鵬照閣"学津討源"本が出版されたとのこと。この時代は、文献的吟味にも力が入ったようで、書家/地理学者の楊守敬[1839-1915年]、考証学者の労権、寧周登、といった人達が鋭意検討したようである。(今村は、労権の注を付録に収めているから、文献学的には質的に優れた本が生まれたのであろう。)

言うまでもないが、素人であるから、この辺りを追求する気はさらさら無い。専門家の話を鵜呑みにするだけのこと。
ただ、今村の校記には、時々、"この条、毛本になし。"と記載されているので、多少気にはなる程度。

しかし、「悪月」の「蛻」についての、"脈望館"本と、「太平御覽」の引用では、思想性が異なる点を考えると、結構、そこにも注意を払う必要がありそうだ、と感じる訳である。
校注のみなら、なにも気付かないが、註記によって感づかせてくれたのであり、今村与志雄、流石といったところ。

と言っても、版の違いなど五万とある訳で、そんなところを逐一見るなど、常人にできることではない。しかし、今村流に馴れると何処を見るべきかが見えて来る。
要するに、「【五月禁忌】については、成式の記述を弄りたくなるような、何かがあった可能性あり。」と示唆してくれたのである。禁忌日に関する箇所は、ご用心すべきですゾ、と指摘したも同然。

実際、【禁忌日】の今村訳に対応する原文は、ウエブ上に公開されていないようで、マイナー原本扱いなのは間違いあるまい。(国会図書館提供デジタル印影版は非掲載バージョン.)繰り返すが、"この条、毛本になし。"の項目である。

この箇所は、原文がすぐに引けないので、今村が指摘している、ほとんどコピーに近い文章の方をあげておこう。・・・

【入山忌み日】
<抱樸子曰入山之大忌正月午二月亥三月申四月戌五月未六月卯七月甲子八月申子九月寅十月辰未十一月己醜十二月寅入山良日甲子甲寅乙亥乙巳乙卯丙戌丙午丙辰已上日大吉抱樸子曰按九天秘記及太乙遁甲雲入山大月忌三日十一日十五日十八日二十四日二十六日三十日小月忌一日五日十三日十六日二十六日二十八日以此日入山必為山神所試又所求不得所作不成不但道士凡人以此日入山皆凶害與虎狼毒蟲相遇也 [「抱朴子」内篇卷十七登渉]

なんとなくだが、この項が外された理由がわかる。
古代、入山とは、とてつもなく危険なこと。死を覚悟しての行動だった筈である。
毒蛇や肉食野獣の支配する領域に入るのだから当たり前だが、それを除いても死とは隣合わせ。現代でも、藪漕ぎ単独行をすれば、迷ったり、ヘンテコな地形に落ち込むだけで、たとえよく知っている地域や民家の極く近くであっても死ぬことはあり得るのだから。道があっても、足でもくじけばどうなるかはわかりきったこと。
現代人が、そのような感覚を忘れ去っているのは、ある時期から、山を危険な異界と見なさず、経済圏に組み込んだからである。そして、禁忌日は、宗派的祭祀の日程に組み入れたのである。ご都合主義的な動きそのもの。
ここを蒸しかえされてはこまるのである。

要するに、宗教儀式あるいは、宗派の指導の下で行われる民間祭祀は、そのようなご都合主義で内実が代えられていそうとのお話をしていることになる。
なにせ、「史記」が5月5日はお産の禁忌で、それを破った子供は殺せといったルールを広言している位で、そんな昔のことを世間に触れ回って欲しくないのは当然の姿勢。

多くの節句は、以下のように、もともとは禁忌日だったことを、成式は知っていたということ。社会が発展してきたことで、それは禁忌というより、僻邪の祭祀を挙行するだけで十分となり、そのうちお祝いのお祭り日になってしまう。そんな、流れを見ておこうヨと呼びかけているようなもの。そんな流れを作りだしてきたのは民衆と考える人もいようが、支配層と腕を組んで社会の安定化に邁進している宗派官僚のご都合主義的な思考が生み出したモノと言えなくもない。
そんなことを感じさせる内容の本を復刻しようというのである。この辺りの記述は余計だから削除しておくか、となるのは自然な流れでは。

【様々な禁忌日】
勿怒日月星辰勿以八節日行威刑勿以月朔日怒恚勿以三月三日食百草心勿以四月八日殺草伐樹勿以五月五日見血勿以六月六日起土勿以七月七日思存惡事勿以八月四日市履屐附足之物勿以九月九日起牀席勿以十月五日罰責人也勿以十一月十一日不沐浴勿以十二月三日不齋燒香念仙也諸如此忌天人大禁三官告察以是爲重罪 [「三洞珠嚢」]

ただ、面白いのは、どうでもよさそうな禁忌日がある点。正確には逆禁忌日だが。

【老人の白髪抜き日】
正月四日二月八日三月十一日四月十六日五月二十日六月二十四日七月二十八日八月十九日九月十六日十月十三日十一月十日十二月七日右老子拔白日 [「真誥」]

不死あるいは、長寿の仙人願望をかなえる道教に帰依している人だらけの社会だとすれば、白髪老人になるのは悪くないのでは、と思うが、社会一般では、老化現象を見られないように気を遣う人が多かったようだ。そうなると、日々、白髪抜きを行う人も大勢でてくる訳だが、その行為は推奨しがたいから、せいぜい月一回程度に抑えておくべしというご指導になるのだろう。
そんなコトまで官僚公認ルールにしてどうするの、という気分にさせるお話である。(もっとも、日本だと、皆でご一緒の行動が嬉しい人が大多数なので、このような日を設定すると、皆、元気溌剌になるかも知れぬ。)
いかにも、成式流のオチョクリ。
ただ、読者層は老人だろうから、笑は呼べないが。

(参考邦訳) 段成式[今村与志雄 訳]:「酉陽雑俎」東洋文庫/平凡社 1980・・・訳と註のみで、原漢文は非掲載.

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