表紙 目次 | ■■■ 「酉陽雑俎」の面白さ 2016.8.14 ■■■ 仏僧による妖怪斬手話龍興的ムードだった四川での話が掲載されている。陵州龍興寺僧惠恪,不拘戒律,力舉石臼。 好客,往來多依之。 常夜會寺僧十余,設煎餅。 二更,有巨手被毛如胡鹿,大言曰: “乞一煎餅。” 衆僧驚散,惟惠恪掇煎餅數枚,置其掌中。 魅因合拳,僧遂極力急握之。 魅哀祈,聲甚切,惠恪呼家人斫之。 及斷,乃鳥一羽也。 明日,隨其血蹤出寺,西南入溪,至一巖罅而滅。 惠恪率人發掘,乃一坑醫石。 [卷十五 諾皋記下] 陵州[=仁壽県:四川盆地中西部丘陵地,成都南方]の龍興寺に 恵恪という僧侶がいた。 戒律に拘泥せず、石臼を持ち上げるほどの強力の持主。 お客好きなので、往来も多く、頼りにされていた。 ある夜に、10余人の僧を招待し会食。 煎餅を供した。 夜が更け、(突然のことだが、) 毛で被われた、胡鹿のような形の、巨大な手が現れた。 そして、大声で「煎餅1枚を乞う。」と。 僧達は驚いて散り散りに。 ただ、恵恪だけは別で、 煎餅数枚を掌に置いてやった。 魑魅魍魎が合掌したので、急にその手を強く握った。 魑魅魍魎は哀願し、切ない声を出した。 恵恪は、家人を呼び、その手を切り落とさせた。 断ち切ってみれば、それは鳥の片羽。 翌日、その血がしたたる跡を辿ってみると、西南にある溪谷へと。 とある岩のヒビの處で消えていた。 恵恪は人を引き連れ発掘してみた。 すると、醫石[墨玉か?]が一個見つかった。 この話、胡鹿のような毛深い手という描写が肝では。 胡に棲息する鹿の一種のような単語だが、"胡籙/禄"の言い換えらしい。矢をまとめて入れる携帯用武具である。 実際、【異魚】("腸胃成胡鹿刀槊之状,或號秦皇魚。")ではいかにも戦争命の秦の始皇帝の代名詞的表現になっている。[→] しかも舞台は四川。唐朝が平定どころか、侵略を受けて苦しんだ吐蕃と南紹[結局は吐蕃の属国化.]の両勢力の接点と呼ぶべき地。(821年の"大唐-大蕃"間の長慶会盟だけでなく、両国は何度も戦争後に講和を結んできたのである。)地政学上、穏やかにしていられる地域ではないのである。 言うまでもないが、安史の乱[755年]以降、唐は軍事的に劣位に落ち込み、シルクロード全域から締め出された。成都も20万の大軍に侵略されたりと散々。 しかるに、その当時の成都一帯は、磨崖仏だらけだった筈。 両国の仏教勢力は、そうした戦乱防止にはなんの寄与も出来なかった訳である。斬手どころか、手も出なかったのである。さすれば、これは単なる願望話ということになろう。 (参考邦訳) 段成式[今村与志雄 訳]:「酉陽雑俎」東洋文庫/平凡社 1980・・・訳と註のみで、原漢文は非掲載. 「酉陽雑俎」の面白さの目次へ>>> トップ頁へ>>> (C) 2016 RandDManagement.com |