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■■■ 「酉陽雑俎」の面白さ 2016.8.17 ■■■

トカラの王女

アフガニスタン〜ウズベキスタンの地図を眺めると、アムダリア/縛蒭中〜上流域に、パミール/葱嶺とヒンズークシ/大雪山に挟まれた盆地がある。そこは古代のトカラ域。
<吐火羅國/覩貨邏/トカラの主要都市:
 縛喝国/Balkh/バルフ(Bactra/バクトラ or BACTRIA/バクトリア)
 蜜国/Termez/テルメズ
 _/Takht-i Sangin
 _/Ai-Khanoum/アイ・ハヌム
 _/Kunduz or Imam Sahib

アムダリア上流の台地にあるのがアイ・ハヌム。そこには1964年に発掘が始まったギリシア人の都市遺跡がある。[神殿、円形劇場/amphitheatre、運動場/gymnasion、王宮、墓陵、住宅、等]
「大唐西域記」には、文字は左から右への横書きとの記載があり、ギリシアのアルファベットが使われていたようだ。

だが、この地域一帯は、玄奘訪問の頃はかなり廃れていたとはいえ、北インド(ガンダーラ,等)をしのぐほどの仏教拠点の地域だったのである。
ところが、土着住人は、人種的には、インドやギリシア、はたまた中央アジアの遊牧民とは無縁の、波(刺)斯國/ペルシア系とくる。
極めて複雑な地と言えよう。

地理的状況を確認しておこう。
北方にある、シルクロードの要衝"ソグディアナ"のサマルカンドの間には、険しい山岳地がありほぼ壁状態。しかし、そこには、バルフから一か所だけ隘路[via"鉄門"]がある。それが、とてつもなく重要な交通路だったのは間違いない。
全体構図としてはこんなところ。
アムダリア中流域"バクトリア"(中心地:バルフ)
│    │("鉄門"経由山岳越え)
│  ザラフシャン川流域"ソグディアナ"
│    │ホジェンド(倶振提國),サマルカンド(康国),ブハラ(安国)
│    │
│    ├─[東]シルダリヤ支流流域
│    │タシュケント(石国),フェルガナ(大宛國 or 破洛那)
│    │
アムダリア下流域"ホラズム"
[→「ゾロアスター教の思い出」]
当然ながら、バルフはここらの要衝なのである。

それを踏まえて、トカラの話を読む必要があろう。・・・

吐火羅國縛底野城,古波斯王烏瑟多習之所築也。
王初築此城,即壞。
歎曰:
 「吾今無道,天令築此城不成矣。」
有小女名那息,見父憂恚,
問曰:
 「王有鄰敵乎?」
王曰:
 「吾是波斯國王,領千餘國。
  今至吐火羅中,欲築此城,
  垂功萬代,既不遂心,所以憂耳。」
女曰:
 「願王無憂,明旦令匠視我所履之跡築之,即立。」
王異之。
至明,女起歩西北,自截右手小指,遺血成蹤。
匠隨血築之,逐日轉蹤匝。
女遂化為海神,其海神至今猶在堡子下,澄清如鏡,周五百餘歩。

  [卷十四 諾皋記上]

ペルシアが1,000以上の国を支配下にという状況にまで来たが、(トカラだけでも玄奘の時代に20〜30ヶ国あったのだから、傘下都市の数が誇張されていると見る必要はなかろう。)バルフでのペルシア的築城はすでに上手く進まなくなっていたようだ。地震も多かったと思われる。

広大な支配地を擁しながら何故にそうなのかと、王が嘆くのは無理からぬところがある。それに対して、王女がそれを解決できると説くのにも理があろう。

王女が重視した"北西"とは、すでに地に埋まってしまった、この一帯を支配したギリシア系古代帝国首都の方角を意味する。その地下帝国にはゼウス神がおり、願を掛けるなら、自らの血を捧げて祈る必要があるということ。これは突飛な話ではない。なにせ、偶像否定の原始仏教を仏像崇拝の方向に転換させた神でもあるのだから。
そのような信仰に海神が登場するのも至極当然。もちろん、内陸だから、誤解を与えないように書くなら湖神となるが。
要するにギリシアの"オーケアニス"[海神オケアノスの娘(各地に存在するので数は不明.)]だったということ。

古代に存在したが完全消滅してしまったかに見えるギリシア神への信仰は、土着の"オーケアニス"神への尊崇という形でずっと残っていると指摘しているのである。

(参考邦訳) 段成式[今村与志雄 訳]:「酉陽雑俎」東洋文庫/平凡社 1980・・・訳と註のみで、原漢文は非掲載.

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