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■■■ 「酉陽雑俎」の面白さ 2016.9.6 ■■■

多猿国殲滅

成式流の馬鹿話をとりあげてみよう。

熊楠先生が真面目に文献資料として取り上げている文章なので、それをオチョクっているように映るかも知れないが、そのような気はさらさらない。
こうした言い草はできる限りひかえてきたつもりだが、色々と書きなぐって来たから、一発位はよかろうということで。・・・

婆彌爛國,去京師二萬五千五百五十裏。此國西有山,巖峻險。上多猿,猿形絶長大。常暴雨年,有二三十萬。國中起春以後,屯集甲兵,與猿戰。雖殺數萬,不能盡其巣穴。  [卷四 境異]
(都から2万5千5百5十里の地の話。)婆弥爛国西に山あり、
(急峻な山岳地だが、)上に猿多し、猿形絶だ長大、常に田を暴らす、年に二、三十万あり、国中春起ちて以後、甲兵を屯集し猿と戦う、歳に数万殺すといえども、その巣穴を尽くす能わず。
  [南方熊楠:「十二支考 猴に関する伝説」@青空文庫]
(熊楠先生が、抜いた箇所がある点に、ご注意の程。括弧でくくってある小文字部分。)

バミラン国/婆彌爛國はバーミアン/梵那衍國ではないようだ。後者は、"金輪王齒"の話[→]で引用されているから。
ただ、猿だらけという点からみて、インド北方の森に囲まれた山国だと思われる。

熊楠翁は、「西域記」のマツラ/秣莵羅[インド北方古城:大K天聖地]にある猿の卒塔婆にまつわる話から、そこを、"いと古くより猴に縁あった地"とみなしている。(昔如来この辺を経行した時 猴が蜜を奉ると仏これに水を和してあまねく大衆に施さしめ、猴大いに喜び躍って 坑に堕おちて死んだが、この福力に由って人間に生まれたと)猿トーテム族の都市国家はそこここに存在していたのかも知れぬ。
当然のことながら、彼らの住処であり生活基盤となっている森を切り拓く農耕部族との間で摩擦が生ずる訳だ。
結果、脆弱な武器しか持たぬ民兵に対して、最新兵器完全武装の組織化された軍隊が毎年のように戦争を仕掛けたのである。もちろん、この部族絶滅を狙ってのこと。
しかし、軍事的にいかに弱体であろうと、森をすべて焼き払うところまで踏み込まねば、土着部族を根絶やしにするのは無理ということ。
一般的には、軍事的圧力に晒されると、多猿国は急峻な山奥へと逃れていくことになる。

マ、いかにもあからさまな、その手のご教訓話である。

と言うことは、こんなレベルの比喩話を箴言的に扱う人もおられよう、という半ば皮肉のお話と言ってよかろう。
"25,550=365日(=天) x 70回"であり、サロンの与太話には最高だゼ、といったところ。

(参考邦訳) 段成式[今村与志雄 訳]:「酉陽雑俎」東洋文庫/平凡社 1980・・・訳と註のみで、原漢文は非掲載.

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