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■■■ 「酉陽雑俎」の面白さ 2016.10.1 ■■■

ガンダーラの帝

健駄邏國[Gandhara]には、蟻塚仏像ありというのが、玄奘のもともとの記。「酉陽雑俎」では、「卷十 物異」にこの話の変形版を収載。石壁佛像に金色ありというのである。[→]
小生は、磨崖仏だらけの時代であったから、成式の記述の方が当時の国際感覚に合っている感じがするが、どうだろうか。
ただ、玄奘の記載は正確。訪問時にはすでに仏教施設は荒廃していた筈だから。
ところが、同じカンダーラだと思われる乾陀國という国家での焦米の話も。玄奘は、そこの屍王を引いているが、成式はカット。

その乾陀國だが、実は、「卷十四 諾皋記上」にも登場する。
仏教とは全く無関係な話で、インド特産の「」をめぐる話なので、こちらの文字の方がイメージ的に合うと考えたのかも知れない。
(「」は、訓では"きずな"とか、"つな-ぐ"と読むらしいが、絆や紐という文字とはどう見ても出自が違う。もともとは、"木棉"の文字だったと見た方がよかろう。古書では、その素材で作られた衣類も指すようだ。)

ということで、早速、本文を見てみよう。・・・

乾陀國。
昔有王神勇多謀,號伽當,討襲諸國,所向悉降。


ここで登場する、勇猛果敢に諸国を武力平定したガンダーラの王とは、130年頃即位した迦膩色伽一世/Kanishka Iではなかろうか。北西インドを中心地にしたとされ、現在のパキスタンの要衝の地、"高原の砦"ペシャワールに遷都。
---すぐ西はカイバル峠。ここを越えればアフガニスタンのカブール。---

至五天竺國,
得上細二條,自留一,一與妃。


"ガンダーラ"は、中央アジアから中部インドに至る広大な地を支配する大帝国。当然ながら、君臨する為政者は、土着の権力者とは異なり、ある種の使命感に支えられた筈。支配構造維持のための哲学というか、明確な方針があったろう。
その観点では、貢物は象徴にすぎぬが、極めて重要な役割があるといえよう。・・・被支配者たる各地の王は、その地の最上級の産物を帝に貢ぐ必要がある。これこそ、すべてを帝が差配していることを示す儀式になるからだ。
そのような物品として、天竺から、細糸で作られる上等な印度木綿製品が献上された訳である。
2抱えあったので、帝は、妃に半分分け与えたのである。

妃因衣其謁王,當妃乳上有郁金香手印跡,
王見驚恐,
謂妃曰:
 “爾忽著此手跡之服,何也?”
妃言:
 “向王所賜之。”
王怒問藏臣,
藏臣曰:
 “本有是,非臣之咎。”
王追商者問之,
商言:
 “南天竺國娑陀婆恨王,有宿願,
  毎年所賦細,並重積之,
  手染郁金柘於上,區劃千萬重手印悉透。
  丈夫衣之,手印當背。
  婦人衣之,手印當乳。”
王令左右披之,皆如商者言。

王妃は賜った衣類を着用し、王に謁見。
ところが、衣の、丁度乳の辺りに金香の手形がついていた。
王は、驚き懼れた。
 王妃は、頂戴した衣についていたにすぎず、と。
王は、怒って、担当臣下を呼び詰問。
 臣下は、もともとの献上品についていたにすぎず、と。
王は、運んできた商人を追及。
 商人は、南天竺國の娑陀婆恨王の宿願によるもの、と。
その説明によれば、
・毎年の賦で収められた細糸印度木綿布に決まってすること。
・綺麗に並べて積み重ねた上で、鬱金で染めた手を上にあてる。
  これにより、染料が浸透して手形がつく。
   丈夫用の場合はそれが背中側につくし、
   婦人用の場合はそれが乳の辺りにつく。
王はそれを確かめさせたが、
やはり、商人の言う通り間違いなかった。

(染色剤は、特別栽培した南インド特産の"鬱金"。
特産の細糸印度木綿の最上級品には、
陀婆恨王のお印がつけられたのである。
それは呪術を意味する。)


王因叩劍曰:
 “吾若不以劍裁娑陀婆恨王手足,無以寢食。”
乃遣使就南天竺索娑陀婆恨王手足。使至其國,
娑陀婆恨王與群臣紿報曰:
 “我國雖有王名娑陀婆恨,
  元無王也,但以金為王,設於殿上,
  凡統領教習,在臣下耳。”
王遂起象馬兵南討其國。
其國隱其王於地窟中,鑄金人來迎。
王知其偽,且自恃福力,因斷金人手足,
娑陀婆恨王於窟中,手足亦自落也。

これは、帝を懼れぬ大胆な行為である。
娑陀婆恨王の"御下賜品"を、帝が受け取ったことになるからだ。
しかして、王は剣を叩いて決断を宣言。
 自らの手で、娑陀婆恨王の手足を剣で切るしかなかろう。
 それなくしては、おちおち寝ても食べてもいられぬ、と。
早速、南天竺に使いを派遣。
娑陀婆恨王を探索させ、その国を同定。
娑陀婆恨王とその群臣はこれは拙いということで、一策。
 当国にはそのような名前の王は存在せず。
 それどころか、王無き国家であり、
 金を国王とみなし、それを殿中に。
 統領役は、その任に慣れた臣下が果たすのです、と。
娑陀婆恨王を地下の窟に匿まってしまい、
迎えたのは、鑄金の像。
もちろんのことだが、
帝はそんなことは百もご承知。
(と言うか、そういうことで、決着をつけようと、
外交官でもあった仏僧達が支度したのである。
そして、これこそが「福」的処断と喧伝し、
帝国の基盤は一層強化されることとなる。)

早速、像の手足を切断。
窟内にいた娑陀婆恨王の手足も自然に落ちたと伝わる。
(つまり、娑陀婆恨王は、一生、狭い洞窟牢のような場所に押し込められてしまい、手足が萎えてしまったということ。)

(参考邦訳) 段成式[今村与志雄 訳]:「酉陽雑俎」東洋文庫/平凡社 1980・・・訳と註のみで、原漢文は非掲載.

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