表紙 目次 | ■■■ 「酉陽雑俎」の面白さ 2016.10.23 ■■■ 正月の行事正月は、旧歴と新暦があるので、混乱は避けがたいが、それをおいておいて、民間風習のポイントが記載されているので見ておこう。たった2つの単語だけで、本質に迫ろうというのは、無理がありすぎるが、それなりに考えさせられることはあろう。・・・ 北朝婦人,常以 冬至---, 正月進箕帚、長生花, 立春---五月---夏至---, 皆有辭。 [卷一 禮異] 南北朝時代の、北朝の夫人の風習はこんなところだと言われている。 冬至---。 正月、箕帚と長生花を進呈。 五月---夏至---。 すべて、辭句をつけるのが習わし 嫁が姑に対して、新年を迎え、長命を願う気持ちを表明するのは当たり前の姿勢だと思う。 花と縁起絵を贈るのかと思ったら、前者は当たりだが、後者は、なんと箕帚。塵取りと箒である。 大伴家持の"初春の 初子の今日の 玉箒"を想いだしてしまった。(もともとは呪術が関係していそうだが、制度化された儀式である。天皇が田での耕作、皇后は蚕室での清掃を執り行う組み合わせの、後者の方だ。隋/唐の帝室から伝わったと見てよいだろう。) ただ、「酉陽雑俎」の話はあくまでも北朝婦人の場合で、民間の風習である。 新年に当たって新調するということは、古箒は悪さをすると考えられていたということだろう。 → 「器物霊」【箒の霊】 おそらく、旧年モノは前年中に焼却処分されるのであろう。 さすれば、蚕用の箒も、12月の最後の子の日か、仕事納めの子の刻に呪術師か仏僧が焼却処分しており、新年からは新品使用だったのだろう。もちろん、玉箒は一回限りの縁起物。 そうそう、夫人が行うものではなさそうだが、"民間の"一大行事としては、爆竹/爆竿があげられよう。当然ながら、日本の為政者が、そのような俗っぽい風習を真似する道理が無い。 この起源は相当に古いらしい。病気をもたらす山魈が都に来ないようにと、硝石を詰めた竹筒で爆裂音を出していたというのである。 長安もさぞかしうるさかったに違いないが、成式はこれに関する話は取り上げていない。 ともあれ、鬼が門から入ってこないようにすることが重要だったのであろう。 俗好於門上畫虎頭,書“聻”字,謂陰刀鬼名,可息疫癘也。予讀《漢舊儀》,説儺逐疫鬼,又立桃人、葦索、滄耳、虎等。“聻”為合“滄耳”也。 [續集卷四 貶誤] 除夜の儀式が重要視されるのも、鬼払いをしておかないと、新年早々に入ってこられるころを避けるためのものということ。本来は、冬至の前日の行事だったと思われるが。 御屠蘇のようなものは、その効果をあげるためのオマケでしかない。 梁主常遣傳詔童賜群臣歲旦酒、辟惡散、卻鬼丸三種。 [卷一 禮異] そんな姿勢からは、新年に遊ぶ風習は生まれようがない。 それは。西域の習慣と見てよさそう。 龜茲國,元日鬥牛馬駝,為戲七日,觀勝負,以占一年羊馬減耗繁息也。 [卷四 境異] (参考邦訳) 段成式[今村与志雄 訳]:「酉陽雑俎」東洋文庫/平凡社 1980・・・訳と註のみで、原漢文は非掲載. 「酉陽雑俎」の面白さの目次へ>>> トップ頁へ>>> (C) 2016 RandDManagement.com |