表紙 目次 | ■■■ 「酉陽雑俎」の面白さ 2016.10.24 ■■■ 立春の行事立春を年初的にとらえるのは、いかにも思弁的である。自然との触れ合いでの新年は常識的には冬至であり、為政者が共生する「暦」の都合でこれが変わったに過ぎまい。ただ、春めく喜びの季節としての節日は必要であり、その代表としての立春ということになろう。生まれ変わる新年とは違うので、本来的には家の外に出て歓びを表現することが第一義なので、夫人として特別に行うべきことはなさそうな気もする。 ところが、どうも、手の込んだ手芸袋を贈っていたようである。出かけるに当たっての、チャーム的なものだろうか。 北朝婦人,常以 冬至---正月---, 立春進春書, 以青繪為幟[=革+戠],刻龍像銜之,或為蝦蟆; 五月---夏至---, 皆有辭。 [卷一 禮異] 南北朝時代の、北朝の夫人の風習はこんなところだと言われている。 冬至---正月---。 立春 春書を進呈。 青繪で幟を作る。 この表に、龍像を刻したものを付ける。蝦蟆でも。 五月---夏至---。 すべて、辭句をつけるのが習わし 水温む頃に合わせた、宗教教団のお印的な様相の品である。 これが官だとこうなる。・・・ 立春日,賜侍臣彩花樹。 [卷一 忠誌] こちらの方が余程自然な行為ではなかろうか。 注意すべきは、上記の文章では、立春の次ぎが五月となる点。その間には、女性の節句というイメージが強い重三(上巳)があるが、その行事にはついては一言もない。 この辺りをよくよく考えてみよ、と言うつもりかも知れぬ。 と言うことで、考えて見れば、春の到来行事は、官の差配とは無縁の、コミュニティの全員で寿ぐ行事だった筈。為政者の"理屈"から来る暦ではなく、土地毎に産まれる実感で決まるものだる。氷が張りつめ、未だ冬そのものでも、暦上の立春だからお祝いというのは、100%国家行事化してしまったことを意味しよう。 その三月三日だが、官的には、曲水の宴のような決め事があった筈だし、縁起物も配られていたのは間違いない。ただ、それは官僚社会での歓びにすぎず、民間風習にまで広がるようなものではなかろう。・・・ 三月三日,賜侍臣細柳圈,言帶之免蠆毒。 [卷一 忠誌] そういえば、踏青とか、初浜は、清明が似つかわしいという話をよく聞く。確かに、春風のなかでの外出は楽しいものである。しかし、春を寿ぐという本来の意味からすれば、それは立春が似つかわしい。春風ではなく、冷たいとはいえ、そこに春の息吹を感じるからこそ、行事の意義があるのだと思う。 言うまでもないが、清明や寒食とは仏教渡来以後の行事である。暖かい日和での野外宴会の好適日であるから、盛んになるのは当然かも知れぬ。 なにせ、寒食の日に、皆と郊外に遊びに出て、蹴鞠と相撲に興じたりするというのだから。[→]そのような遊びが、仏教の信仰と繋がりがあるとも思えないから、日本におけるクリスマスのように、西域文化のお洒落感を風俗的に楽しんでいたのだろう。 もともとこれらは、それは高級官僚の好みであり、それにつき合わされる家人も愉しむようになれば、そのうち下々まで拡がってもおかしくない訳で。 寒食日,賜侍臣帖彩球,繡草宣臺。 [卷一 忠誌] それに比して、宗教家の話は暗い。 蜘蛛,道士許象之言,以盆覆寒食飯於暗室地上, 入夏悉化為蜘蛛。 [卷十七 廣動植之二 蟲篇] (参考邦訳) 段成式[今村与志雄 訳]:「酉陽雑俎」東洋文庫/平凡社 1980・・・訳と註のみで、原漢文は非掲載. 「酉陽雑俎」の面白さの目次へ>>> トップ頁へ>>> (C) 2016 RandDManagement.com |