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■■■ 「酉陽雑俎」の面白さ 2016.5.24 ■■■

葬儀の原点

大陸の信仰の基底には、魂魄がある。死ぬと、それが漂うことになる。日本における死霊と同じ概念なのかはなんとも言いがたいが、死者の弔いの意味付けに関してはよく似ている。
組織が規定する"決まり"に基づいて、霊の扱いが決まらないと、いつまでも死んだ場所辺りで生きている人々の回りをうろつくことになるとされる。
それを避けるためには、生きている人々がその霊を鎮めるための葬儀を挙行する必要があるということ。
そんな話が収録されているので、見ておこう。 [續集卷三 支諾皋下]

荊州[湖北]百姓惟諒,性粗率,勇於私鬥。
楚の国があった地域で百姓の身分だった、惟諒は、性格的には軽率で、体質的にはヤクザ的な勇ましさ。
武宗會昌二年[842年],寒食日,與其徒遊於郊外,蹴鞠角力,
墓前式典を行う清明節の前日である寒食の日に、皆と郊外に遊びに出て、蹴鞠と相撲に興じた。
因醉臥番間。逮宵分方始寤,將歸,
その後、したたか酔ってしまい、墓の間で伏せてしまった。宵になって寝入ってしまったことにようやく気付く。そこで、すぐに帰途に。
歴道左裏余,一人家,室絶卑,雖張燈而頗昏暗,
遂詣乞漿。
睹一婦人,姿容慘悴,服裝羸弊,方向燈縫,延,以漿授
里に続く道を辿ると、一人住まいと思しき家があった。これ以上卑しい家はなさそうなほどで、燈火は点いていたものの辺りは闇に包まれていた。しかし、喉の渇きを覚えていたので、飲み物がどうしても欲しくなり、立ち寄って頼むことにした。
入ると、一人の婦人が目にとまった。
その容姿は慘悴たるもので、服装も羸弊といったところ。燈火に向かい裁縫仕事中だったが、を中に入れ、飲み物を出してくれた。
良久,謂曰:
 “知君有膽氣,故敢陳情。妾本秦人,姓張氏,嫁於府衙健兒李自歡。自歡自太和
[827-835年]中戍邊不返,妾遘疾而歿,別無親戚,為鄰裏殯於此處,已逾一紀,遷葬無因。凡死者肌骨未復於土,魂神不為陰司所籍,離散恍惚,如夢如醉。君或留念幽魂,亦是陰コ,使妾遺骸得歸泉壤,精爽有托,斯願畢矣。”
が一息ついたことを見計らってから、その婦人は語り始めた。
 「気力的に据わった方とお見受けしましたので、あえて、陳情したくて。
実は、わたくしめ、秦出身で旧姓は張。府衙の健兒職の李自歡の嫁でございます。
ところが、自歡は10年ほど前に、辺境に出たっきり返ってきません。わたくしめも、疾病で死没の憂き目。親戚もなく、隣家の方々が対応され殯のままの状態で、すでに一紀過ぎてしまいました。未だに、遷移のための葬儀が行われていないのです。
およそ、死者というものは、肌骨を土に戻さない限り、陰司によってその魂が鬼籍に記されることはありません。恍惚状態で、辺りに離散しているだけなので、酔って夢を見ているような感じなのです。
そんな幽魂を念じ留めて頂けるとしたら、それは陰徳と言えましょう。
わたくしめの遺骸が冥泉の土のもとに帰ることができましたなら、霊魂は託する処を得て精爽な気分になることでしょう。そんなお願いをさせて頂きたいと思いまして。」と。
謂曰:
 “某生業素薄,力且不,如何?”
は承諾しかねた。
 「それがしの生業は素薄なものでして、その力ではお望みをかなえることはできかねますが、どういたしましょうか?」と。
婦人雲:
 “某雖為鬼,不廢女工。自安此,常造雨衣,與胡氏家傭作,凡數矣。所聚十三萬,備掩藏固有余也。”
婦人の霊は、このように言った。
 「わたくしめ、鬼となってしまったとはいえ、女工の仕事をやめた訳ではありません。ここに安んじてからも、いつも雨衣を造っておりました。胡氏の家の人達のためものを数年間作っていましたから、集めると13万位にはなります。備えとして、それを貯め、しっかりとしまっておりますので、費用としてなら余るほどでしょう。」と。
許諾而歸。
遲明,訪之胡氏,物色皆符,乃具以告。即與偕往殯所,毀視之,散錢培,緡之數如言。
胡氏與哀而異之,復率錢與同輩合二十萬,盛其兇儀,於鹿頂原。
其夕,見夢於胡、

、申し出を許諾。
夜が明けると早速に胡氏のもとを訪れた。物の怪の話は全て符合しており、ことの次第を告げた。即刻、胡氏と殯所に赴き、毀損している状況を視てみると、棺にはが、その傍らには銭が散乱していた。緡の数は言われた通り。
胡氏とは哀れさを感じたが、異なコトと不思議に思った。そこで、同輩諸兄からの弔意金を含めて総額20万にして、盛大に葬儀を執り行い、鹿頂原に埋葬した。
その夜、胡氏とは夢を見た。


「卷十三 屍」篇の収録話の主対象は、葬儀用品(お棺)。それに、狗、罔象、/豬(ぶた)が加わったにすぎない。 [→「葬儀のしきたり」]
ここでは、そんな見方が生まれる心情がわかるような話をもってきたのだと思われる。要するに、殯所と墓所の両者が不可欠と考えられていると指摘している訳だ。
ただ、この記述はいかにも成式らしさを感じさせるものになっている。・・・墓とは残った遺族、血族、関係者のために作られるものではなく、死んで行く人の要望に応えて作るものとしている点。現世の人々が、死に逝く当人の要望にできる限り応える形での葬儀を行うのと違いはない。現代的な思想に近いとも言えよう。 [→「昆明池と終南山」【渾子塚】]

そんな風に考えてしまうのは、「巻八 夢」に、夢に関する「周礼」の話で、方相氏が悪夢を四方から四郊まで送るとの以下の記述があるせい。
  《周禮》有掌占夢,---
  又曰:“舍萌於四方,以贈惡夢。”
  謂 會民方相氏,四面逐送惡夢至四郊也。
どのような祭祀なのかよくわからぬが、鬼を払う役目を負った呪師の役人が挙行することになっていたようである。(日本の宮中儀式では、追儺は、4ッ目の黄金仮面を被り、朱の裳をつけた玄衣を着用し、内裏の4門を戈と盾を持って回り、疫鬼を追い出すことになっている。霊柩車の先導も務めている。「周礼」型典礼に倣ったのであろう。)
もともとは、墓の中に入って、お棺の四隅を呪具で撃つことにより、死者の霊魂、つまり「鬼」である魑魅魍魎を駆逐する儀式だったと思われる。つまり、葬式には呪術を必要としていたということ。

関係者が鬼が物の怪となってその辺りを徘徊せずに、冥界に往ってしまうというか、現世から追い払うために、呪術師を先頭に立たたせて関係者総出で追い払う儀式だったのであろう。
おそらく、この風習がすたれつつあったのだと思われる。

ただ、故人にお世話になりながら、葬儀が終わればその後は一切知らん顔でいるのも、気が咎めるので、清明の日に冥界から現世にご招待して歓待する風習が生まれたと見てよさそう。もともとは、儒教の血族ありきの宗教の"根"となっている信仰からくる習わし臭いが、仏教が渡来して変化したのであろう。
要するに、経典なき古代呪術からの脱皮の動き。しかし、それは中途半端な形で終わってしまった。
思うに、物の怪とあらば、即、ブッ殺してしまえという体質だから、鬼を折伏する姿勢を見せる仏教は肌があわなかったのでは。なにせ、津々浦々まで官僚統治が染みわたっているから、お金を貢いで組織力が発揮できる鬼の官僚に対応してもらうのが一番となりがち。その組織図も定員と職掌が定められている精緻なものだったから、現実性を感じさせたのであろう。・・・
南巨川常識判冥者張叔言,因撰《續神異記》,具載其靈驗。叔言判冥鬼十人,十人數内,兩人是婦人。又烏龜狐亦判冥  [巻十三 冥跡]

(参考邦訳) 段成式[今村与志雄 訳]:「酉陽雑俎 4,2」東洋文庫/平凡社 1980・・・訳と註のみで、原漢文は非掲載.

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