表紙 目次 | ■■■ 「酉陽雑俎」の面白さ 2016.11.6 ■■■ 仏典逍遥詩 禽事篇引き続いて、仏典逍遥詩 禽事篇。これは、今村注記を読んでいく以外に手がないものだらけ。さらっと読んで、一行に直してみた。内容に関心がある訳ではないし、仏典を当たる気もないので、すべて適当なもの。 但し、1ツだけ、小生が作った全く嘘の翻訳話を入れてある。その理由はご想像におまかせしよう。 おわかりだとは思うが、ついでに一言。 動物譚の解説とか、仏典に出て来る動物論議はいくらでもありそうだが、「酉陽雑祖」はそんなものを目指している訳ではない。 従って、たいていの書が重視する、所謂、報恩譚には目が向くことはない。 そもそも、中華帝国は独裁者と官僚のタッグで動く仕組み。こうした社会では、活動を円滑に進めるには、賄賂は不可欠。贈答交易なかりせば、経済発展は阻害されてしまうのである。 そして、報恩譚とは、それを大いに肯定する役割を果たしてきたのである。 すでに取り上げたように、布施で大いに助けてきた僧に、息子が刑罰に処せられるから救えという社会なのだ。そんなことはできかねると言えば、非常識な輩とみなされ、怒号に晒される羽目に。 (もちろん、有能な僧であるから、笑って、うまいことやる訳だ。成式も大笑いの構図がそこにある。) → 「一行禪師伝」【一行救命殺人犯】 ということで、癖球の詩は、こんなところ。 徵内典中禽事,須切對: 仏典の中から禽に関する事を呼び出してみよう。 鷲頭作嶺, 鷹頭は、法華経講和が行われた嶺の名前なり。 雞足名山。(夢復) 鶏足は、尊師の足跡ある名山の名前なり。 孔雀為經, 孔雀は、経典の題名に使われている。 鸚鵡語偈。(善繼) 鸚鵡は、偈を語る動物として登場する。 共命是化, 2頭鳥は、互いの嫉妬で命を失ってしまう。 入數論貪。(柯古) 前生を顧みれば、鴿の貪欲さが思い出される。 未解出籠, 苦悩の時を過ごした雁は、籠を抜け出し自由の身に。 餌三昧で過ごした雁は、籠のなかで肥満の態。 豈能獻果。(升上人) 獼猴は教徒として献果。師も皆も涅槃に入り悲嘆にくれる。 そこで仙人集に参加し指導。尊崇され供養される身に。 鵽居其上, 鵽は、象や獼猴より年上。釈尊前世の姿でもある。 雁墜於前。(柯古) 飛んでいた雁、僧の食不足と聞いて身を献上。 巣頂既安, 頭頂に鳥が巣作り。僧はじっと動かずに過ごした。 入影不怖。 鴿は、釈尊の影で安堵。舎利仏に変わると恐怖が復活。 字中疑鶴, 極寒地獄で巣篭りするとの話があるが、鶴ではなかろう。 朱裏認鵝。(柯古) 職人が席を外すと国王の珠消失。そこに居た比丘に返せと。 鵝がのみこんだのを見ているが、さあどうする。 (参考邦訳) 段成式[今村与志雄 訳]:「酉陽雑俎」東洋文庫/平凡社 1980・・・訳と註のみで、原漢文は非掲載. 「酉陽雑俎」の面白さの目次へ>>> トップ頁へ>>> (C) 2016 RandDManagement.com |