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■■■ 「酉陽雑俎」の面白さ 2016.11.12 ■■■

先天菩薩幀の讃

「宦官政治創始者評」[→]で、高力士を取り上げた。

高力士は翊善坊の邸宅を保壽寺とし、盛大なお披露目斎食法会を挙行したという話を取り上げた訳だが、それに付け加え、菩薩降臨図との言われのある「先天菩薩幀」がそのお寺に所蔵されていたとの話も付け加えておいた。・・・
寺有先天菩薩幀,本起成都妙積寺。開元初,有尼魏八師者,常念大悲咒。
雙流縣百姓劉乙,名意兒,年十一,自欲事魏尼,尼遣之不去。
常於奧室立禪,嘗白魏雲:
 “先天菩薩見身此地。”遂篩灰於庭,一夕有巨跡數尺,輪理成就。
因謁畫工,隨意設色,悉不如意。
有僧楊法成,自言能畫,意兒常合掌仰祝,然後指授之。
以近十稔,工方畢。
後塑先天菩薩凡二百四十二首,首如塔勢,分臂如意蔓。
其榜子有一百四十二日鳥樹,一鳳四翅,水肚樹,所題深怪,不可詳悉。
畫樣凡十五卷。
柳七師者,崔寧之甥,分三卷,往上都流行。
時魏奉古為長史,進之。
後因四月八日,賜高力士。
今成都者,是其次本。
  [續集卷六 寺塔記下]
長安の翊善坊にある保壽寺には、「先天菩薩幀」が所蔵されていた。もともとは、成都の妙積寺が所有していたもの。
この幀の由来譚を書いておこう。

開元初年、713年のことである。
魏八師と呼ばれる尼がおり、何時も「大悲心陀羅尼」の咒語を念じていた。
それを知ってか、雙流県で百姓をしている劉乙 意兒という、11才の子供が、この魏八師尼に仕えたがっていた。
尼は立ち去るように言ったが、全く聴き気がなかった。
そして、常に奥の部屋で起立禅をしていたのだが、魏八師尼にこんな話をしたことがあった。
 「先天菩薩様がこの地にお出ましになり、
  その身をお見せになりました。」
そして、庭に篩で灰を撒き散らした。
とある夜、数尺もるような巨大な足跡が残っていた。
それは、車輪の理を現す表象に成っていた。
そんなことがあったので、画工にお会いし、随意の色彩感覚でそれを描いて頂いたのだが、悉く意趣に合わぬものばかり。
そこで、楊法成と名乗る僧侶が、絵画の才能ありと称していたので、描かせてみることにした。
意兒は、常に合掌し、仰祝の態だった。そして、しかるべき後に、僧に指示を授けたのである。
結局、10年近く要して、ようやくにして作業が完了。その後、先天菩薩塑像も造った。
242の頭があり、塔頂のような勢いを感じさせるものに仕上がった。分かれた腕は、まるで意のままに、蔓のように絡まっていた。
そこには、142の太陽鳥の樹、4翅の鳳1羽に、水肚樹も。
題はあったが、深遠にして奇怪で、とても詳らかにできる手のものではなかった。
画の体裁は、総てて十五卷。
崔寧の甥で、柳七師と言われている者が長安に出向き、3巻に分けて、流行させた。
その頃、魏奉古は長史をしており、これを進めた。
後のことだが、四月八日に因んで、高力士に下賜された。
現在、成都にある画は、その次本である。


この話は841〜1074年の絵画についての、後世の論に、ほぼママで引用されており有名だったことがわかる。
<先天菩薩>有先天菩薩幀,本起成都妙積寺。唐開元初,有尼魏八師者,常念大悲咒。
有双流縣民劉乙,小字意兒,年十一,自言欲事魏尼,尼始不納,遣亦不去,常于奥室坐禅。
嘗白魏云:
 「先天菩薩見身此地」,
遂篩灰于庭,一夕有巨迹,長数尺,倫理成就。
意兒因謁画工,随意設色,悉不如意。有僧法成者,自云能画,意兒常合仰祝,然后指授之,
僅十稔,功方就。
后塑先天菩薩像,二百四十二首,首如塔勢,分臂如蔓。
所画樣凡十五卷。
有柳七師者,崔寧之甥,分三卷往上都流行。
時魏奉古為長史,得其樣進之。
后因四月八日,復賜高力士。
今成都者,是其次本。
[郭若虚:「図画見聞誌」巻五故事拾遺]

なんだか、ずいぶんとオドロオドロしい絵画のようにも思えてくる。
この解説文は、以下の讃の序とも読める。

讃には、素人から見れば、なにがなんだかわからぬ迷文章が並ぶことが多いが、この場合もそれが当てはまる。今村訳があるが、注記が少なすぎて、浅学の身では理解不能。
そのまま放置するのは勿体ないので、大胆に解釈してみたい。・・・

辭。先天幀贊連句:
辞。
「先天菩薩幀」の讃を作った。連句形式である。


觀音化身,
觀音菩薩の化身である。
厥形孔怪。
逆鍵形で突き抜けているから、いかにも奇怪だ。
淫氏C
腹は刃物で切り開かれ、
神経はただならぬほど損傷を受けている。

衆魔膜拜。 (善繼)
しかれども、
魔界の衆は、ひれ伏して拝んでいる。


指夢鴻紛,
夢の世界を指すとしたら、
多種多彩な素晴らしさを描き切っている。

榜列區界。
表現は切れぎれだが、
列をなして一つの世界を造っている。

其事明張,
従って、
なにを主張しているのかは明らか。

何不可解。 (柯古)
意味が解らぬということは無い。

閻河コ川,
天竺の閻河は、はなから徳ある川だった。
大士先天。
悟りを求める心も生まれつきのもの。
衆像參羅,
沢山の像が参集し、列をなしている。
田田。 (夢復)
陽が上り、田毎の輝きが眩しいが如く。

百億花發,
100億もの花々が開いたばかり。
百千燈燃。
さらに、百千もの燈火が燃えている。
膠如絡繹,
絶え間ない人馬の往来の如くに、
すべてが繋がり合っている。

浩汗連綿。 (善繼)
あるいは、
溢れる大量の水のごとく、連綿として広がっているとも。


摩界戚,
閻魔の世界とは悲しみの凝縮したもの。
洛迦苦霽。
奈落に堕ちれば、苦しみがすべてを消し去る。
正念歸依,
正に念じて、菩薩に帰依するのみ。
眚如彗。 (柯古)
さすれば、
数々の過ちは、箒星の如くに飛んで行こう。


滓可汰,
総ては残りかすに帰する。
濁った状態を受け入れねば。

癡膜可脱。
迷妄での拝礼でも、脱却できる。
稽首如空,
頭をかしげたところで、空の如きものでしかない。
容若睇。 (善繼)
温和で慈祥を現す容貌でも、横目で眺めているかのよう。

闡提墨尿,
悟りを望まない人や、汚物のような輩もいるもの。
睹而面之。
それを目にしているだけでなく、対面することにもなる。
寸念不生,
そうなると、
ほんの少ししか念ずる気になれず、
生気も感じることがなかったりするもの。

未遇乎而。 (柯古)
と言うことは、
未だに、菩薩様には遭遇していないということか。

  [續集卷六 寺塔記下]

(参考邦訳) 段成式[今村与志雄 訳]:「酉陽雑俎」東洋文庫/平凡社 1980・・・訳と註のみで、原漢文は非掲載.

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