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■■■ 「酉陽雑俎」の面白さ 2016.11.28 ■■■

歴城大明湖の佳景

先ずは原文から。[卷十二 語資]

歴城房家園,齊博陵君豹之山池。
其中雜樹森竦,泉石崇邃,歴中之勝也。


山東済南の歴城には大明湖がある。
渤海に注ぐ小清河の源流に当たる。黄河や済川の湖ではなく、丘陵地帯を背後に持つ歴城一帯の地下水脈で生まれたもの。
その北には鵲山と華不注山/金輿山。略称が華山である。
ここら一帯が、房家園だったのであろう。同一なのかは定かではないが、その辺りには"使君林"があり、避暑地として利用されていたという。[→「象鼻杯」]
済南は猛暑厳冬で四季がはっきりしている準湿潤地域。大明湖は"蓮子湖"とも呼ばれ風光明美な地とされていたのは間違いあるまい。・・・
歴城北二裏有蓮子湖,周環二十裏。湖中多蓮花,紅濠ヤ明,乍疑濯錦。又漁船掩映,罟疏布,遠望之者,若蛛網浮枉也。  [卷十一 廣知]

黙っていると、樹木は薪になりかねない風土だから、樹木を大切にするようにとのご注意が長官からあったようだ。(今村は魏収ではないかと見ている。)

曾有人折其桐枝者,公曰:
 “何謂傷吾鳳條。”
自後人不復敢折。


その地の美しさだが、比較対象は奢侈を旨としていた石崇[季倫:249-300年]の邸宅、金谷園。荊州刺史となって大富豪化し、伎女緑珠と共に暮らすために豪華絢爛を実現したらしいから、さぞかし見事だったであろう。場所は洛陽西。

成式は、その金谷園など、とうに跡形もなくなっていることを知っているのであるが。
  「金谷園」  杜牧[803-852年]
  繁華事散遂香塵,流水無情草自春。
  日暮東風怨啼鳥,落花猶似墜樓人。


參軍尹孝逸はそこに招かれたことがあるようだが、大明湖辺りと比較するような場所ではないと。
公語參軍尹孝逸曰:
 “昔季倫金谷山泉何必逾此。”
孝逸對曰:
 “曾詣洛西,遊其故所。彼此相方,誠如明教。”


その參軍尹孝逸がへ帰るというので、送別会の宴が開かれた。

孝逸常欲還,詞人餞宿於此。逸為詩曰:
 “風淪歴城水,月倚華山樹。”
時人以此兩句,比謝靈運“池塘”十字焉。


詠んだ詩が、
 風淪歴城水,月倚華山樹。
樹種はわからぬが、桐かも知れぬ。大明湖畔であれば、間違いなく柳だが。

この10文字が、謝靈運の次の句と並び称されたというのである。
 池塘生春草,園柳變鳴禽。

このセンス、浅学の身には、さっぱりわからぬ。

  「登池上楼詩」  謝靈運
媚幽姿,飛鴻響遠音。薄霄愧雲浮,棲川淵瀋。
進コ智所拙,退耕力不任。徇祿反窮海,臥痾對空林。
衾枕昧節候,開暫窺臨。傾耳聆波瀾,舉目眺嶇
初景革緒風,新陽改故陰。池塘生春草,園柳變鳴禽。
祁祁傷歌,萋萋感楚吟。索居易永久,索居易永久。
持操豈獨古,無悶在今。

(参考邦訳) 段成式[今村与志雄 訳]:「酉陽雑俎」東洋文庫/平凡社 1980・・・訳と註のみで、原漢文は非掲載.

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