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■■■ 「酉陽雑俎」の面白さ 2017.1.8 ■■■

官位の筆師

"素晴らしき筆師"の話あり。

中華帝国では、御用達の職人という地位はありえず、必ずそれは官位にからむ。官職たる"筆匠"は定員6人だったとのこと。[「新唐書」百官志二]

南朝有姥,善作筆,蕭子雲常書用。
筆心用胎發。

開元中,筆匠名鐵頭,能瑩管如玉,莫傳其法。


蕭は南北朝時代の南斉〜梁の国姓。認定された筆ということになろう。
筆匠の方は、713-741年の話。名前がいかにも、筆頭をしっかり固めないと気がすまぬ石頭の職人気質を表した綽名のようであり、思わず笑ってしまうが、実名なのだろうか。"瑩管如玉"は、用品に凝っている人々の琴線に触れる言葉かも知れぬが、成式がわざわざ取り上げたくなった理由はなんだろうか。

唐代は、宣州の陳氏製作品が有名だったが、それらは余りにも通俗的なブランドデ」ピンキリということかも。
その手の作品は、成式好みでなかったということではないか。文具類にこだわらない筈がない訳で。

そんな風に思ってしまうのは、宣州[@安徽]の「宣筆」という名称だけは今も生き続いているからだ。
この地域名ブランドの発祥は、秦朝の将軍 蒙恬[B.C.250-B.C.210]。兎毛から初めて毛筆を作ったとされており、それは征服した中山[@宣州]でのこととされているのである。[「史記」]
しかしながら、考古学上では、それ以前に毛筆は存在していたことが判明している。[@長沙楚墓遺跡]
中華帝国では、官僚統治国家の故、ほとんどの技術は渡来のことが多く、将軍発明という話は信用したい人だけがそのまま読むもの。ここは、「毛筆」への名称統一と、筆使用の義務化を図った事績と考えるべきであろう。
それはともかく、その地を筆の産地としたのである。良い竹菅ができる地とは思えないし、兎の毛が書き易い訳でもないから、強引な設定といえよう。と言うか、どうも、材よりは技の方が格段に重要らしいから、優秀な職人を産む風土ができているかでの競争であろう。

尚、古代の名筆製作者としては魏 韋誕[79-253年]が一番にあがるらしい。「筆経」という著作があり、そこに筆の薀蓄が書かれていたのだろうか。
しかし、有名なのは、筆作りの方ではない。ご存知、揺れる塔上の額字揮毫を命じられ、その恐怖感で一瞬にして白髪化した人だからだ。従って、書家と見なされている筈だが、筆も製作していたようだ。
   「人間心理」【雲臺】
思うに、書く対象によって最適な筆を用意してあり、どんなものにも自在に書けると豪語していたので、官僚がその傲慢さに一矢報いるべき企画したのではないか。成式から見れば、クワバラクワバラといったところか。

検索すると、現代の商品宣伝に、古筆"金距筆"との名称をが散見される。これもおそらく唐代の人気筆だったのであろう。製作者は黄暉だろうか。・・・
 「寄黄黄暉處士」  齊己/衡岳沙門[863-937年:詩僧]
蒙氏藝傳黄氏子,獨聞相繼得名高。
妙奪金距,纖利精分玉兔毫。
濡染隻應親賦詠,風流不稱近方刀。
何妨寄我臨池興,忍使江淹役夢勞。


(参考邦訳) 段成式[今村与志雄 訳]:「酉陽雑俎」東洋文庫/平凡社 1980・・・訳と註のみで、原漢文は非掲載.

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