表紙 目次 | ■■■ 「酉陽雑俎」の面白さ 2017.1.26 ■■■ 釈老の時代「卷二 玉格」を、今村は"道教秘儀"としている。小生的には、今一歩、ピンとこなかったのだが、以下の箇所を読んで納得がいった。と言うのは、この篇には、以下の不思議な記述があるから。 道教の話だというのに、"釋"や"菩薩戒"の語彙が入っているのだ。・・・ 《釋老志》亦曰佛於西域得道。 陶勝力言,小方諸國 多奉佛,不死,服五笙精, 讀《夏歸藏》,用之以飛行也。 藏經,菩薩戒也。 先ず、「釋老志」との書名だが、もちろん、釈迦と老子のこと。 道教にも、仏教同様の確固たる歴史があることを示すための書。仏教の本質に迫ろうとか、中華帝国における仏教史を明らかにしたいのではなく、道教と仏教を同位並列的に記載するために編纂されたと言ってよかろう。当然ながら、仏教の記述内容は道教に都合のよい部分にハイライトが当たる訳である。 上記に登場する、陶勝力とは、教理を重んじた陶弘景[456-536年]のこと。「本草経集注」の著者でもある。梁 武帝期には事実上道教界の領袖。様々な仏教用語を道教に積極的に取り入れた第一人者でもある。 各地土着のバラバラな俗信の並立状況を、一気にまとめあげた道教偉人と呼ぶべき人。 《釋老志》とされ、冒頭から佛の話が始まっているが、仏教徒が不死の話をする訳がないし、そのための薬を検討することなどさらに有り得まい。そんな話を取り上げるということは、道教による仏教の改質が追及されたことを意味している筈。 しかしそれは、道教の仕業と言うよりは、仏教教団の変質が一気に進んでいたということであろう。 釈尊が天竺で始めた宗教は、道教的な不老不死や呪術を封印しようとしていた筈。しかし、次第に、それでは教団が成り立たなくなり、人々を救うために俗信と親和性が高い密教の道を選んだことは明らか。それでも、天竺では衰退一途で、結局駆逐された訳である。残れたのは西域。そこが、仏教の源となったという見方はあながち外れているともいえまい。 だが、そんなことより、「釋老志」は道教にとっては画期的な書と言ってよいだろう。そう、これは独立の書ではなく、国家認定の「魏書」の一部なのだから。これにより、陶弘景の教理を核とし、老子を祖と決め、国教化させたのである。・・・ 道家之原,出於老子。 : : 謙之守志嵩岳,精專不懈,以神瑞二年十月乙卯,忽遇大神,乘雲駕龍,導從百靈,仙人玉女,左右侍衞,集止山頂,稱太上老君。 謂謙之曰: 「往辛亥年,嵩岳鎮靈集仙宮主,表天曹,稱自天師張陵去世已來,地上曠誠,修善之人,無所師授。 嵩岳道士上谷寇謙之,立身直理,行合自然,才任軌範,首處師位,吾故來觀汝,授汝天師之位,賜汝雲中音誦新科之誡二十卷。號曰『並進』。」 言: 「吾此經誡,自天地開闢已來,不傳於世,今運數應出。 汝宣吾新科,清整道教,除去三張偽法,租米錢税,及男女合氣之術。 大道清虚,豈有斯事。專以禮度為首,而加之以服食閉練。」 使王九疑人長客之等十二人,授謙之服氣導引口訣之法。 遂得辟穀,氣盛體輕,顏色殊麗。 弟子十餘人,皆得其術。 [北齊 魏收:「魏書 卷一百一十四 釋老志十第二十」] 道教の祖は老子。 : 嵩山の道士 寇謙之[365-448年]は、大神に遭遇した。 神瑞2年[415年]10月のこと。 その神勅は、 「吾れ故に来りて汝を観て、 汝に天師の位を授け、 汝に"雲中音誦新科の誡"二十巻を賜う。」 : 「汝は吾が新科を宣べ、 道教を清め整え、 三張偽法[=五斗米道]、 租米銭税、 及び男女合気の術を除去せよ。」 続いて、"夏"の時代の《歸藏》が登場。 "歸藏"とは占卜3種のうちの一つを指す。伝説中の歸藏氏から来たとされているが、もともとの語彙は龜藏易だったのでは。 こんな断片が残っている。・・・ 《歸藏》曰: 「昔夏後啟上成龍飛以登於天,睪陶占之曰吉」 [@《太平御覽》卷九百二十九] 《歸藏鄭母經》 「明夷曰夏後啟筮,禦飛龍升於天吉。」 [@郭璞:《山海經海外西經"注"》] 仙的になれば、龍飛で天に登れるとの感覚はこの辺りからでているということか。(ついでながら、《歸藏》は後世の偽作文書とされていたらしいが、仏教伝来以前の可能性が高いことが、21世紀目前になって判明している。) ここらは、成式の道教の見方がよくわかる記述になっている。 なにせ、「易経」は単なる占筮本とし、本質的には怪奇譚の集積物でしかないと言っているのだから。 → 「序で垣間見える思想」 次の、"菩薩戒"が圧巻。 普通は、大乗仏教の"三聚浄戒[學律儀戒, 學攝善法戒, 學饒益有情戒]"を指し、経典的には、「梵網経」や「菩薩戒經二十二品」が出自とされている。 そうだとすれば、もともとは上座部仏教所伝の筈。ところが、現存の5世紀頃の漢訳版には父母孝順の記述がある。これは、出家の意義を否定しているようなものだから、中華帝国用独自創作版なのは明らか。 釈尊は脱難行で悟りに至り、説法で大教団化を果たしたため、戒律は細かい。道士は、もともと、不老不死の仙人志向だから、戒律と呼ぶような緻密な規則が存在したとは思えない。 しかし、道教を国教化し、統治を支える大教団を作り上げるには、戒律は不可欠。中華帝国版の"菩薩戒"とは、ある意味、道教が仏教を取り込む過程で作られたのが菩薩戒と言えるのかも。 (参考邦訳) 段成式[今村与志雄 訳]:「酉陽雑俎」東洋文庫/平凡社 1980・・・訳と註のみで、原漢文は非掲載. 「酉陽雑俎」の面白さの目次へ>>> トップ頁へ>>> (C) 2017 RandDManagement.com |