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■■■ 「酉陽雑俎」の面白さ 2017.2.8 ■■■

浄域寺[1:孔雀 v.s. 蛇]

長安 宣揚坊東六条の靜域寺[浄域寺]は隋朝初代皇帝が開皇5年[585年]に建立したようだ。その後、唐朝初代皇帝 高祖李淵の太穆皇后(太宗李世民母)用住宅寺となる。
[初代 文帝は618年暗殺, 第2代 煬帝は618年近衛兵に殺害される.]
恭帝は、"唐公"李淵に、隋朝第3代として擁立されたものの、すぐに禅譲の破目に。そして、李世民に殺害される。 [→「李王朝前期略史」]
その薨去の地とは、この寺の仏殿に連なる東廊にある古仏堂だとの伝承があるとのこと。

その辺りの状況を踏まえた、寺院鑑賞記である。・・・

宣陽坊靜域寺,本太穆皇後宅
寺僧雲:
三階院門外,是神堯皇帝射孔雀處。
  禪院門内外,《遊目記》雲王昭隱畫。
  門西裏面和修吉龍王,有靈。
  門内之西,火目藥叉及北方天王,甚奇猛。
  門東裏面賢門也,野叉部落。鬼首上蟠蛇,汗煙可懼。
  東廊,樹石險怪,高僧亦怪。
  西廊,萬壽菩薩。
  院門裏面南壁,皇甫軫畫鬼神及雕形,勢若脱。
   軫與呉道玄同時,呉以其藝逼己,募人殺之。
  萬菩薩堂内有寶塔,以小金銅塔數百飾之。
   大歴中,將作劉監有子,合手出胎,七念《法華經》。
   及卒,焚之,得舍利數十粒,分藏於金銅塔中。
   善繼雲合是劉銘。
  
佛殿東廊有古佛堂,其地本雍村。
   堂中像設悉是石作。
   
相傳雲隋恭帝終此堂。
  三門外畫,亦皇甫軫跡也。金剛舊有靈。
天寶初,馬獨孤明宅與寺相近,獨孤有婢名懷香,稚齒俊,常ス西鄰一士人,因宵期於寺門,有巨蛇束之卒。
 佛殿内西座蕃神,甚古質。
 貞元已前,西蕃兩度盟,皆載此神立於壇而誓。”
相傳當時頗有靈。
辭。
三階院連句:
 密密助堂堂,隋人歌桑。雙弧摧孔雀,一矢損貪狼
(柯古)
 百歩望雲立,九規看月張。獲蛟徒破浪,中乙漫如墻
(善繼)
 還似貫金鼓,更疑穿石梁。因添挽河力,為滅射天狂
(柯古)
 絶藝卻南牧,英聲來鬼方。麗龜何足敵,殪豕未為長
(善繼)
 龍臂勝猿臂,星芒起箭芒。虚誇絶高鳥,垂拱議明堂
(柯古)
     [續集卷六 寺塔記下]

太穆皇后は、北周武帝が幼児の頃から寵愛した姪で、宮中で育成され才媛に育った。求婚者多く2羽の孔雀の絵を射撃標的とし、眼を射たら娶らすとの課題を提示。それを唯一クリアした"神堯皇帝"とは、もちろん"唐公"李淵のこと。・・・
后生而髮垂過頸,三與身齊。周武帝特愛重之,養於宮中。
時武帝納突厥女為后,無寵,后尚幼,竊言於帝曰:
 「四邊未靜,突厥尚強,願舅抑情撫慰,以蒼生為念。
  但須突厥之助,則江南、關東不能為患矣。」
武帝深納之。毅聞之,謂長公主曰:
 「此女才貌如此,不可妄以許人,當為求賢夫。」
乃於門屏畫二孔雀,諸公子有求婚者,輒與兩箭射之,潛約中目者許之。
前後數十輩莫能中,高祖後至,兩發各中一目。
毅大ス,遂歸於我帝。
      [劉:「舊唐書」巻五十一 列伝第一 后妃上 高祖皇后竇氏]

孔雀とは、コブラを喰う仏教の聖鳥である。中華帝国には棲息していない。よりによって、その眼を射抜く力があるかと、問いかけるのだから圧巻。
話はそこで終わらない。
孔雀信仰者が敵視する蛇も、この寺では力を発揮する。
その逸話が面白い。・・・
玄宗/李隆基代の天寶[742-756年]の頃。寺のご近所に、玄宗皇帝の皇女が嫁いだ家があり、そこの婢と西の隣家の士人が恋仲になったという。寺門で夕方逢引したところ、蛇が巻き付いて絞め殺したというのである。身分をわきまえぬ恋愛など許しがたいのであろう。

(参考邦訳) 段成式[今村与志雄 訳]:「酉陽雑俎」東洋文庫/平凡社 1980・・・訳と註のみで、原漢文は非掲載.

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