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■■■ 「酉陽雑俎」の面白さ 2017.2.10 ■■■

浄域寺[3:三階院連句]

この時代、正法[第一階]や像法[第二階]の時代が終わり、末法[第三階]の時代に入ったとの認識が生まれていた。これに対応したのが、一仏志向の浄土教と、乞食的な苦行忍辱を旨とする汎神の三階教。三階院は後者の施設ということになる。特異な形態だった見てよかろう。
そのような教派を思い描きながらの連句が作られている。廃仏方針で滅茶苦茶にされたが、なかでも三階教は、すでに隋朝で邪教とされ發布禁令を喰らっており、長らく弾圧対象だった。三階院はその名残りではないか。

三階院連句にはその辺りの感覚が詰め込まれていそう。上記で述べたような三階教とどう繋がるかも定かでないし、そもそもどの句をとってもナニガナニヤラのモードではあるが、文言をトレースしてみよう。[續集卷六 寺塔記下]・・・

辭。
三階院連句:

 密密助堂堂,隋人歌桑。雙弧摧孔雀,一矢損貪狼
(柯古)

隋朝末、河南の暴動の指導者李密[=自称魏公]は、結局のところ、唐["堂"]の李淵に加担することになり、唐朝による中華帝国の統一を助けた。隋朝に邪教とされた三階教も同じような役割を果たしたとは言えまいか。
ところで、隋代の人々は、弓材の上モノを桑材として、歌で寿いでいたもの。
[今村選定原本では"桑→檿桑"になっている。:【周礼 冬官考工記】弓人取之道,柘為上,檿桑又次之---。]
それに応えるが如く、唐朝開祖李淵は二羽の孔雀の目を射抜いたのだ。[→]
そして、多謀にして、飢えている狼を、そのたった一矢で倒した訳である。

 百歩望雲立,九規看月張。獲蛟徒破浪,中乙漫如墻(善繼)

開祖李淵は、先ずは、弓術の神技をみせるべく百歩歩いたが、そこで雲が立ち上がるのをみた。
士の弓は三規、諸侯の弓は七規、天子の弓は九規だが、月を看て天子としての弓を張ったのである。
ここに、偉大なる力が発揮されることとなる。揚子江の蛟を捕獲するに、わざと波浪をおこし、河で仁王立ちになるほど。
[今村が作成した労権手校本校語抄録によれは"中乙漫如墻→中立漫如床"である。]

 還似貫金鼓,更疑穿石梁。因添挽河力,為滅射天狂(柯古)

それは、正法の時代に戻ることを意味するのかも知れぬ。
弓を射れば、遠き金鼓を貫通し、さらには石橋を穿っているのではないかと疑うが如し。
さらには、黄河の力をも呼び込んだが、それは、天神を射るという狂った帝王を滅ぼすためである。
末法の世として当然の姿勢でもあろう。

 絶藝卻南牧,英聲來鬼方。麗龜何足敵,殪豕未為長(善繼)

開祖李淵には事績も数々。
弓術の絶技をして、"南牧"を退けた。
[突厥時屬亂離,---北虜如或"南牧",降戸必與連衡。 [「舊唐書」卷九十三列傳第四十三]]
一方、"鬼方"には優美的聲で呼びかけたのである。
["鬼方"は殷周代の有力な西北少数民族。]
仙亀を称する輩など、弓の良い標的にするだけ。
["麗龜"は射中禽獸背部隆起的中心處。]
巨大な猪にしても、屠るのは訳なく、長とさせておくことなどあり得ぬ。

 龍臂勝猿臂,星芒起箭芒。虚誇絶高鳥,垂拱議明堂(柯古)

猿のような長い腕でなんでもつかみ取ろうとしても、龍の腕で射止める力に勝てる筈がない。
星の輝きがあるからこそ、弓矢が光の如く飛ぶもの。
誇れる者も、その前には虚ろな存在。空の高みを飛ぶ鳥も絶やされる対象にすぎぬ。
しかして、袋手して、明堂で、議論に明け暮れる時代が到来することに。

(参考邦訳) 段成式[今村与志雄 訳]:「酉陽雑俎」東洋文庫/平凡社 1980・・・訳と註のみで、原漢文は非掲載.

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